夢燈籠第1回

第一章 暁闇に起つ

 江ノ島にある実家の「弁天楼(べんてんろう)」には、大きな石燈籠があった。それはごつごつした花崗岩(かこうがん)でできていて、触れるとざらざらしていた。何か特別な時、例えば来客があり、祖父が庭を見せながら酒食を楽しむ時など、石燈籠に灯が入る。すると不思議なことに、それは処女のように頬を朱に染めるのだ。
 石燈籠に照らされた庭は、昼間に駆けまわっていた庭とは異なり、次兄が読む講談本に出てくるような魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する世界だった。だが留吉(とめきち)にとって、その燈籠だけは気味悪いものには思えなかった。
 その燈籠がいつからそこにあったのか、ついぞ知ることはなかったが、他所(よそ)から運んできたとは聞かなかったので、おそらく明治の中頃、祖父が「弁天楼」を買い取った時からあったのだろう。その薄く苔むした基礎部分を見れば、相当年季が入っているのが分かる。
 留吉はよく夢を見た。それは他愛(たわい)のないものばかりだったが、なぜか家の石燈籠が出てくることが多かった。何か恐ろしいものに追われれた時は、石燈籠に辿り着けば救われる気がした。しかしあがけばあがくほど足は前に進まず、何かはすぐ背後に迫っている。だが石燈籠は救いの手を差し伸べるでもなく、ただ黙って見ているだけなのだ。
 何の変哲もないその石燈籠こそ、留吉にとって実家の思い出の中で最も記憶に残るものだった。庭の隅にひっそりと立っているだけなのだが、その石燈籠は喩(たと)えようのない存在感を示していた。

坂田(さかた)家の家父長である祖父は、常に家族の頂点に君臨していた。祖父は横浜で外国人相手の妓楼(ぎろう)経営に携わり、一代で財を築いた男で、東京と横浜に大小四つの妓楼を所有していた。
しかし明治も終わる頃、経営の実権を息子、すなわち留吉の父にあたる善四郎(ぜんしろう)に譲り、隠居することにした。それで自らの隠居所として物件を探していたところ、江ノ島の旅館「弁天楼」が経営不振から売りに出ていると聞き、迷わず買い取った。
祖父の父、すなわち留吉にとっての曽祖父は、小田原藩の下級藩士だったこともあり、当初は小田原近辺に隠居所を構える予定だったが、祖父は江ノ島をいたく気に入っており、たいそう喜んだという。
 明治に入ると、江戸時代は参詣者用の宿坊だった施設が払い下げられ、岩本(いわもと)楼、金亀(きんかめ)楼、恵比寿(えびす)屋、さぬき屋といった旅館が次々と営業を始めていた。弁天楼はそうした老舗旅館よりも一段格下だったためか、参詣客を思うように集められず、売りに出されたのだ。
一代で財を成した立志伝中の人物である祖父には、莫大な蓄財があったので、「弁天楼」では旅館業を営まず、隠居所として使うことにした。
だが弁天楼は二十四部屋もあったので、祖父は長男一家を呼び寄せることにした。
明治四十一年(一九〇八)生まれの留吉にも多少の記憶がある頃だから、明治も末の四十五年(一九一二)頃、一家は横浜の元町(もとまち)にあった自宅を引き払い、江ノ島に引っ越してきた。
かくして祖父、祖母、父、母、長兄、次兄、長女の七人に留吉を加えた八人家族が、同じ屋根の下で暮らすことになった。むろん住み込みの使用人もいるので、常時二十人前後が起居していたことになる。祖父や父の部屋は、二つの部屋の間の壁を壊して一部屋として使っていたが、ほかの者たちは旅館の一部屋を与えられた。
 留吉は末っ子だからか、庭の片隅にあった離れをあてがわれ、その面倒は、平井ぬいという名の老婆が見ていた。それが特別な意味を持っているとは、幼い留吉が知るはずもなく、留吉は自由奔放な幼少年時代を送ることができた。

 江ノ島は海に囲まれ、その景観は風光明媚(めいび)なことこの上なく、また魚介類も新鮮なので食事は進み、祖父にとっては言うことない隠居所だった。子供たちにとっても遊ぶ場所に事欠かず、楽園のようなところだった。それも祖父が息子一家を呼び寄せた理由の一つだった。
また砂州で腰越(こしごえ)とつながっていることから、島にありがちな不便さもなく、行商人らがひっきりなしにやってきていた。そのため祖父と父の商用にも差し支えることはなかった。
 江ノ島は江戸時代以前から庶民に親しまれた信仰の島でもある。昔からその奇岩の織り成す奇景が、人知の及ばぬ造形に思えたのだろう。それゆえ修験や宗教者が移り住み、「江島縁起」と呼ばれる仏教説話的歴史を育み、弁財天のまします神の島となっていった。
 弁財天こそ江ノ島の象徴だった。
江ノ島には、嚴島(いつくしま)神社と竹生(ちくぶ)島と共に弁財天を主神とする本宮(岩屋)、上之宮(中津宮)、下之宮(辺津宮[へつみや])があり、それぞれに弁財天が祀(まつ)られていた。神仏習合だった江戸時代には、三社それぞれにいた別当たちが競い合うように開帳や祭礼を行ったので、その噂が江戸まで及び、「江ノ島詣で」は「お伊勢参り」に次ぐほどの人気を博していた。
ぬいによると、江ノ島は「神仏の住まう島」なのだという。それゆえ江ノ島にある三社やそれらに付属する小さな宮に、幼い留吉はよく連れていかれた。
行く度に、ぬいは「神仏を敬うのですよ」と留吉に言い聞かせ、長い時間手を合わさせられた。こうしたことから留吉は終生、弁財天を信仰することになる。
江ノ島は、幼い留吉にとってこれ以上ないほどの遊び場だった。龍池(たついけ)と呼ばれる潮溜り、かつて稚児(ちご)の白菊という少年が身を投げたという伝承から名付けられた稚児ヶ淵、晴れた日には富士山が望める西浦、そして神秘的な岩屋といった江ノ島の名所旧跡は、幼い留吉にとっての全宇宙だった。
夏になると、夕日の中、岩場から海に飛び込み、蛸(たこ)を取ってくる少年たちのたくましい姿が見られる。その中には長兄の慶一(けいいち)もいた。その頃、慶一は十になるかならないかくらいだったろう。それでも、もっと大きな少年たちと一緒に飛び込み、競うように蛸を取ってきた。それを竹籠に入れ、留吉のいる場所まで走ってくると、「ほれ、触ってみろ」と言って竹籠の蓋を開けてくれた。それは大きな吸盤のある足をくねらせ、何とか竹籠から這い出ようとしていた。
「触れんか」
「ううん、触れる」
 そう答えて恐る恐る吸盤に触れてみると、吸盤が指先に巻き付いた。慌てて手を引っ込めると、慶一とぬいが大笑いした。なぜか二人の声に安堵して、留吉も一緒に笑った。
 姉の登紀子(ときこ)は年が十も離れていたので、さほど思い出はない。いつも母親のいさと口喧嘩していた記憶があるが、同じくらい談笑していたので、けして仲は悪くなかったのだろう。いさと登紀子は留吉に優しく、いつも菓子などをくれたが、留吉を連れて出歩くことは、ついぞなかった。一家そろってどこかに出掛けたりする際も、留吉は常にぬいと留守番だった。当時、ぬいは「坊ちゃんは小さいからだよ」と言っていたが、別の理由があるのを知るのに、さほど時間はかからなかった。
 長兄は父が理想とするような好青年に育っていったが、次兄の正治(まさはる)は長兄とは対照的だった。元々、喘息(ぜんそく)の持病があり、部屋に引き籠もりがちだった次兄だが、十をいくつか超えたくらいになると、その傾向はさらに強くなった。鵠沼にある尋常小学校に兄は通っていたが、一度、学校で喘息の発作を起こし、生死の境をさまよってからは、学校に行くことも少なくなった。それでも両親は、次兄には文句を言わなかった。病がちなこともあり、長くは生きられないと思い、好きにさせてやったのだろう。だからと言って次兄は難しい性格だったわけではない。いつもにこやかな笑みを絶やさず、口数は少ないが、その口から出る言葉は、わくわくするようなものばかりだった。
 部屋に遊びに行くと、次兄は難しい本ばかり読んでいた。中には科学雑誌のようなものもあり、宇宙の不思議について熱く語ってくれた。留吉は夜空を見上げることはあっても、宇宙などというものについて考えたこともなく、次兄の話に魅せられた。その話の数々は、尋常小学校の教師たちの話とは比べ物にならないくらい面白かった。
 こうした家族に囲まれ、留吉は何不自由ない幼少年時代を送っていた。
 そうした日々がいつまでも続くと思っていた矢先、大きな出来事が突然襲ってきた。祖父が倒れたのだ。
祖父の庄三郎(しょうざぶろう)は身体頑健なことが自慢で、七十を過ぎているにもかかわらず、毎朝、木刀の素振りを三百回こなすことを日課にしていた。また外出することも多く、パナマ帽をかぶり、ステッキを持ち、ステテコ姿で腰越や鵠沼まで、よく散歩に出かけていた。
 そんなある日、東京での寄り合いがあり、帰宅後に「気分が悪い」と言い出し、早めに床に入った。祖母は「飲みすぎですよ」と言ってさほど案じていなかったが、翌朝、祖父は冷たくなっていた。医者の診断によると、死因は脳内の血管が詰まったか切れたということだった。
 これにより家父長は父の善四郎になった。父は嬉々(きき)として祖父の葬儀を執り行い、それが一段落した後、家族を集め、「これからは、わしが家父長だ」という宣言をした。つまりすべて自分の命令に従えということだ。
 それから一年もしないうちに祖母も逝去した。横暴な祖父に対し、いつも一歩引いた形で付き従っていた祖母だが、祖父の死でほっとしたのか、それからは気の抜けたようになり、自分が誰かも分からなくなった末、寝付いて数日で亡くなった。
 祖父と祖母の死という一大事はあったものの、坂田家に大きな変化はなかった。留吉も、これまでと変わらず勉学と遊びの日々を送っていた。
 だが少年時代は、瞬く間に過ぎていった。

夢燈籠

Synopsisあらすじ

江ノ島の実家の庭にある苔むした石燈籠。その人生において坂田留吉は、この石燈籠に問いかけ続けることになる――。裕福な家に生まれつつも、彼の出自には秘密があった。自らを鼓舞し、逆境をはねのけ、明治・大正・昭和・平成と駆けぬけた男。その波瀾万丈の生涯を描く!

Profile著者紹介

1960年、横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。外資系企業に勤務後、経営コンサルタントを経て2007年、『武田家滅亡』でデビュー。『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞を受賞。そのほか文学賞多数受賞。近著に『一睡の夢 家康と淀殿』がある。

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