夢燈籠第43回

 
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かわごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる......

 その書き出し部分を読んだだけで、留吉の背筋に戦慄(せんりつ)が走った。
「どうだ」
「どうだと問われても、素晴らしい作品だとしか答えられません」
「そうか。お前にも詩が分かるか」
「この悲しみというのは、泰子さんへの思いが、次第に汚れていくということですか」
 中原がため息をつく。
「だから俗人は困る。すぐに詩と私生活を結び付けたがる」
「では、違うのですか」
「いいか」
 中原の顔が近づく。その小さな顎が震えている。
「詩人は宇宙を見ている」
「宇宙、ですか」
 留吉にとって宇宙とは、星々がきらめき、宇宙船がその間を行くような「少年倶楽部」のイメージだ。
「そうだ。この世の生きとし生けるものすべての営みを、詩人は体で感じ取り、それを文字にする」
「これは、そんなにたいそうな詩なのですか」
「失礼な奴だな」
「しかし、なんで狐の革裘(かわごろも)が出てくるのですか」
 詩の中に「汚れちまった悲しみは たとへば狐の革裘」という一節があった。そこだけがやけに具体的で、全体の詩の基調から浮き上がっているような気がする。
「新聞記者のくせに、そんなことも知らないのか。昔から中国では狐の革裘、すなわち革で作った衣服を尊重し、漢詩などでは高貴な女性の比喩として使うのだ」
「つまり泰子さんのことですか」
「この俗物め!」
 中原がテーブルを叩いたので、ちょうどウイスキーの水割りを持ってきた女給が驚いて身を引いた。
「すいません。お気になさらず」
 中原の代わりに留吉が謝る。女給はウイスキーの水割りを置くと、逃げるように戻っていった。
「何でも泰子に結び付けるな。さては気があるな」
 さすがの留吉もうんざりしてきた。
「やめて下さいよ。そんなことを言うなら、もうあんな役は引き受けませんよ」
 あんな役とは、高田のアトリエから泰子の後を追って、泰子の真意なるものを確かめに行った時のことだ。
 ウイスキーを一気飲みし、女給に大声で「もう一杯」と怒鳴ると、中原が言った。
「それもそうだな。邪推が過ぎた。すまなかった」
「分かってもらえれば、それでいいんです」
「まあよい、詩人の悲しみは詩人にしか分からぬ。ここで言う悲しみは俺自身なんだ」
「ああ、そういうことですか」
「そうだ。人というのは生きていくうちに様々な悲しみを背負う。つまり悲しみが人というものを形成していく」
 中原本人の解説で、この詩の趣旨が理解できたが、どうしても「狐の革裘」だけが浮いているような気がする。
「どうして中原さんが狐の革裘なんですか」
「いいか、狐の毛皮なんてものは、ほかの動物の毛皮に比べれば、さほど寒さを凌げるものではない。つまり風雪に耐えられるものではないということだ」
「ああ、なるほど」
 その一節の意味がようやく理解できた。つまり狐の革裘では、世間の風雪に対して何の役にも立たないということなのだ。
「それだけ世間の風雪は厳しいものだ」
 その詩には、世間の風雪におびえるナイーブな一人の青年の姿があった。
「ありがとうございます。目の前の霧が晴れたようです」
「目の前の霧だと」
「はい。つまらぬ比喩を使ってしまい申し訳ありません」
「そんなことはどうでもよい。いけないのは、詩の意味を理解しようとする、その俗物根性だ」
「詩の意味を理解してはいけないのですか」
「そうだ。詩は意味を理解するものではない。感じるのだ」
 またしても中原が煙に巻くようなことを言った。
「感じると言われましても――」
「まあ、よい。ではこれを読め」
 次に渡されたのは『紀元』の六月号で、タイトルは「骨」だった。

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨―― 
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処(ところ)にやって来て、
見ているのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。

 その詩を読んだ時、留吉は息をのんだ。
「これは――、素晴らしい詩じゃないですか」
「お前も語彙(ごい)の少ない男だな。何でも素晴らしいんだな」
 そうは言いながらも、中原はご満悦の体だった。
 その詩は、これまで中原の詩にまとわりついていた悲しみや孤独がユーモアに転化され、一種の乾いたイメージをもたらしていた。そこには一種の余裕さえ感じられた。
「やはり妻帯したことで、何かが変わったのですね」
「そんなことはない。年を取っただけだ」
 中原も年相応の成熟の境地に達しつつあるのだ。
「この詩からは、死に対する透徹した達観が感じられます」
「死、か――」
 中原がため息をつく。
「そうです。生きている時に受けた苦しみを吸収してきた肉体が剥げ落ちれば、そこには赤子のように純粋な骨だけが残るということですね。それを本人が第三者的に見つめている。つまり本人の意識は肉の方にあり、骨には何もないということですね」
「厳密には、人は肉と骨と魂からできている。つまり見つめているのは魂であり、すでに肉は洗い流されている」
「なるほど。だから無垢なる者が無垢なるものを見つめているという構図ですね」
「そういうことだ。お前も少しは詩が分かってきたな」
「ありがとうございます。つまり中原さんの肉体は、もう苦しみを受け入れ難いということですか」
 思い出したように煙草(タバコ)を取り出すと、中原がうまそうに吸った。
「多分な。だから骨だけになれば、せいせいすると思ったのだ」
「では、なぜ立て札ほどの高さに、骨はしらじらととんがっているのですか」
「それは俺の骨、すなわち作品は、俺の死後も人の目に晒され続けるという意味だ」
「そうか。骨は作品の比喩(ひゆ)でもあるのですね。俗世界で生きている中原中也が肉体というわけか」
「うむ。死ねば肉体はなくなり、骨と魂だけが残る。だが魂は生きている人間たちと会話できない。つまり残された作品だけが、後世の人々と対話できるのだ」
 この解釈により、最終連の「僕」にクエッションマークがつく意味も分かった。見ているのは僕ではなく、後世の人々なのだ。
「中原さん、あなたは凄い詩人だ」
 中原が紫煙を吐くと言った。
「だから俺は詩集を出したい」
「えっ、詩集ですか」
「そうだ。詩を書き続けるためには、食い物が必要だ。それは俺の面倒を見てくれる孝子とて同じ。つまり金を稼がねばならない」
「それは分かりますが――」
「要は、金を貸してくれということだ」
「はあ――」
 ようやく中原が会いたいと言ってきた真意が摑めた。
「必ず返す。だから些少でもよい」
 中原がそこまで言うからには、全く返す気はないのだろう。
「しかし僕には金なんてありません」
「少しはあるだろう」
「少しって――」
「五百円くらいは出せるだろう」
 この時代の一円は現代価値の六百三十八円に相当する。つまり五百円なら約三十二万円になる。
「とんでもない」
「だったら、いくら出せる」
「待って下さい。出すなんて誰も言ってませんよ」
「おい!」
 中原が再びコップを強く置く。
「詩人が会いたいと言ってきたら金策に決まっているだろう!」
「そんなことは知りませんよ」
 冷静になって考えれば、留吉は誰かの紹介で中原と知り合ったわけではなく、中原が勝手に家を間違えたことで知り合っただけなのだ。そんな友人とも知人ともつかない相手に、「金を貸せ」と言われるのも理不尽な話だ。
 ――しかし、これだけの作品群を世に出さないのも惜しいのではないか。
 同人誌では読者は限られてしまう。しかも紙質が悪いので、読んだそばから捨てられる。だからこそ中原は、しっかり製本した上製判を世に出し、それを骨のように掲げたいのだろう。
 中原が泣き出しそうな声で哀訴する。
「そんなつれないことを言うなよ。俺だって結婚して物入りなんだ。孝子は貧乏生活に慣れていないし、こちらに知己もいないので毎日泣いてばかりだ。うまいものの一つも買ってやり、慰めてやりたいが、先立つものがない」
 中原が泣き落としに移る。草野から聞いていたが、中原が無心をする時は横暴な態度から始め、最後は泣き落としにかかるという。その時は、百五十センチという身長とその憂いの深い美少年顔が効果を発揮する。
 だが留吉は知っていた。
 ――先立つものは飲んでしまうのだろう。
 中原が留吉の心中を読んだかのように言う。
「お前は、金を出したところで酒代に消えると思っているのだろう」
「そこまでは思っていませんよ。出してあげたくてもないんですから」
「嘘をつくな」
「嘘などついていません。考えてもみて下さい。私は安い給料で働く勤め人ですよ。出せる金などありません」
「いくらなら出せる」
 留吉は少し躊躇(ちゅうちょ)すると言った。
「これまでの貯金の大半ですが、結婚のご祝儀も含めて百円なら出せます」
 百円も出すのは辛いが、これも人の縁なので仕方がない。もちろんその縁は腐れ縁なのだが。
「よし、決まった!」
 中原が手を差し出したので、留吉は握手せざるを得なかった。おそらく留吉以外の知り合いという知り合いに、中原は借金を申し入れているのだろう。しかし百円も出すお人よしはいないので、中原はとたんに上機嫌になったのだ
「坂田君、君は素晴らしい。きっと将来出世する」
「出世しなくても構いません」
 中原はそれには答えず、女給を呼ぶとシャンパンを注文した。
「よし、乾杯だ!」
 上機嫌になった中原は、留吉を誉めそやし、瞬く間にシャンパンを空けた。もちろんこの日の飲食代は留吉持ちとなった。
 留吉は銀行で百円下ろし、数日後にやってきた中原に渡した。中原は借用書に実印を捺したが、その金が戻ってくる可能性は皆無に近かった。
 結局、中原の処女詩集『山羊の歌』は、文圃堂からこの年の十二月三日に出版されることになる。しかも四六倍判、タイトルと著者名は背表紙も含めて純金箔(はく)押しという豪華本となった。刷数は限定二百部で、価格は三円五十銭という無名の新人の処女詩集としては破格のものになった。

夢燈籠

Synopsisあらすじ

江ノ島の実家の庭にある苔むした石燈籠。その人生において坂田留吉は、この石燈籠に問いかけ続けることになる――。裕福な家に生まれつつも、彼の出自には秘密があった。自らを鼓舞し、逆境をはねのけ、明治・大正・昭和・平成と駆けぬけた男。その波瀾万丈の生涯を描く!

Profile著者紹介

1960年、横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。外資系企業に勤務後、経営コンサルタントを経て2007年、『武田家滅亡』でデビュー。『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞を受賞。そのほか文学賞多数受賞。近著に『一睡の夢 家康と淀殿』がある。

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