夢燈籠 狼を野に放て第56回

 昭和四十年(一九六五)三月、久しぶりに会った三島は、以前にも増して強い光を発していた。
「君とは本当に久しぶりだね」
 奈良の圓照寺の参道を歩きながら、三島は笑みを浮かべていた。その後方に、担当編集やスタッフが距離を取って続いている。
「かれこれ六年ぶりになりますね」
「そんなになるのか。普通だったら、それでご縁も途切れるところだね」
「申し訳ありません。三島さんがご多忙ではないかと察し、用もないのに遊びに行くことを差し控えていたのです」
「そんな忖度(そんたく)は不要だよ。私は文学に取り囲まれているので、近視眼的にならないためにも、君のようなビジネスマンが必要なんだ」
「そうだったんですね」
 留吉は忖度しすぎてコンタクトしなかったことに後悔した。しかし三島は、六年前とは隔絶するほどの輝かしい存在になっていた。
「おっ、山門が見えてきた」
 三島がうれしそうに言う。
「このお寺さんには、何度か来ているのですか」
「まだ二回目だよ」
「そうでしたか。それでは、なぜここに来たのですか」
「インタビューは、もう始まっているのかい」
「これは失礼しました」
 今回、留吉はダメもとで三島にインタビューを申し入れた。ところが三島は、その申し出を快く受けてくれた。おそらく旧知の間柄だからだろう。ただ「せっかくなので奈良に来ないか」と誘われ、奈良の圓照寺でのインタビューとなった。
「この寺はね――」
山門の柱を撫でながら三島は続ける。
「中宮寺と法華寺と共に大和三門跡の一つで、この三寺共に尼寺なんだ」
「それで非公開寺院なんですか」
 大和三門跡は三寺共に尼寺で、拝観不可の非公開寺院となっている。
「それもそうだけど、門跡寺院だからだろう」
 門跡寺院とは、かつて皇族や公家出身の僧侶が住職を務めた格式の高い寺院のことだ。
「なるほど、それで事前に見学の申請をせねばならないのですね」
「そういうことになる」
 三島がこの寺の歴史などを述べていると、数人の尼さんがやってきた。
「お待たせしましたか」
 やけに明るく初老の尼さんが問う。
「いえ、少し早く着いたもので――」
 そんなやりとりをしながら、一行は中に入れてもらった。

 その後、境内をしばらく散策した後、休憩用に用意された客殿に案内された三島と留吉は、編集やスタッフを置いて、机と椅子のある小部屋に案内された。
 留吉はテープレコーダーをセットすると、写真を二、三枚撮らせてもらった。それが終わると、いよいよインタビューだ。
「君が新聞社の社長とは驚いた」
「いくつかの偶然が重なっただけです。社員が十人もいないちっぽけな新聞社ですから」
「そうは言っても君のことだ。これから大きくするつもりだろう」
「もちろんです。ただ大手のようにはいかないと思います」
「大手とは朝日や毎日のことだね。でも君は失敗はしないだろう」
 そんな雑談などをした後、留吉は本題に入った。
「では、インタビューに入ってもよろしいですか」
「もう始まっているのかと思ったよ。構わないから始めてくれ」
「まず、圓照寺を見学しているのには、何か理由があるのですか」
「ははは、いい質問だね」
 そう言いつつ、三島が煙草を探すふりをしてやめた。尼寺なので全面禁煙なのを思い出したのだ。
「もちろん取材だよ。新作のためのね」
「やはりそうでしたか。それはどんな作品になるんですか」
「企業秘密だ。だが、そう言い切ってしまうと、君も仕事にならないね」
「はい。少しで構いませんから、教えていただけませんか」
「まずは、その作品に至る経緯からだな」
「はい。お願いします」
「僕は金閣寺を焼いた」
 三島は意表を突いてきた。
「そ、そうですね。確かに焼きました」
「戦前の価値観が否定され、うすぼんやりとした戦後昭和が始まり、僕は戸惑った。それまで国民が一丸となって守ってきた価値観が瞬(またた)く間に消滅し、民主主義という新たな価値観を米国から押し付けられた。しかしそれによって経済成長がもたらされたことで、誰も文句を言わなくなった。日本人全員が豊かさに酔うようになったからだ。だからこそ僕は、燦然(さんぜん)と輝く金閣寺を焼かねばならなかった」
「金閣寺とは、戦後昭和の象徴だったんですか」
「それは短絡的だな。金閣寺とは――」
 三島は一拍置くと笑みを浮かべて続けた。
「君は絶対性の象徴、例えば天皇のようなものとでも言ってほしいんだろう」
「それは文芸評論家の皆さんの言葉ですね」
 多くの文芸評論家や識者は、「三島は絶対的な価値の象徴として金閣寺を燃やした」といった論評を書いていた。
「そうだよ。だが、燃やしたのは金閣寺でも天皇でもない。私自身だ」
「どういうことですか」
「この世には絶対的なものなど存在しない。絶対的だと思っていても、それは自分の中で光合成された幻影でしかないんだ」
「つまり三島さんは、幻影を焼いたと――」
「この世のすべては、自分というカメラを通して見ている幻影だよ。君が見ている僕も、実在しているという証拠はないだろう」
「確かにありません。すべては夢の中のような気もします」
 三島が太い腕を後頭部に回して高笑いする。
「ははは、君は素直だね。われわれに実体はあるよ。だが、頭の中にあるものには実体がない。だからこそ、そいつを焼かないことには前に進めないんだ」
「よく分かりませんが――」
「いいかい。金閣なんてものは陳腐(ちんぷ)な建築だ」
「はい。それは以前に聞きました」
「しょせん、われわれの頭の中にあるものなんて陳腐なものだ。それを形作ってきたのが、価値観を合一させようという戦前・戦中の教育であり、それをわれわれは焼いたんだ」
「そうです。その焔(ほのお)の中から、経済発展を至上主義とする民主主義国家日本が生まれたんです」
「分かってきたな。だから僕はそれも焼いた」
「それで、その焼け野原から生まれたのは何だったんですか」
 三島が真剣な眼差しで考え込む。
「欲に駆られた生々しい人間さ。あの老師のようにね」
小説『金閣寺』には、物欲と性欲に囚われた戦後人間の象徴として、金閣寺の住持が描かれる。
「それが戦後昭和なんですね」
「そうさ。私は期待した。心から待った。戦前・戦中の価値観から解放された新たな価値観に包まれた戦後昭和を。しかし、そこから生えてきたのは――」
「横田英樹、小佐野賢治、五島慶太、堤兄弟、そして児玉誉士夫といった面々ですね」
「そう。君の身近の人々だ」
「それを焼き尽くさねばならないのですね」
「実際に焼いたら殺人事件になってしまう。少なくとも自分の頭の中でだけ焼いて、自分の中だけでも、新たな価値観を創生しなければならない」
「三島さんは今、その過程にあるのですね」
「うむ。いったん金閣寺を焼いてみた。そこから何が生まれるかと思い、『鏡子の家』を書いた」
『鏡子の家』は、資産家令嬢である鏡子の家に出入りする四人の青年たちに仮託して、戦後をどう生きるかを示唆した作品だ。それだけ戦後昭和は価値観が錯綜し、若者たちは道標(みちしるべ)を失って彷徨(さまよ)っていた。
「読みました。ボクサー、役者、芸術家、エリート商社マンの四人が、困惑しながらも自分の道を探す物語でしたね。その相手をするのが、まさに彼らの鏡のような存在の鏡子という構造でした」
「ああ、少し単純化しすぎたきらいはあるが、たまには、分かりやすいメッセージの作品も必要だと思ってね」
「しかし『鏡子の家』は、評論家たちに酷評されましたね」
「それは僕の読み通りだよ。奴らは分かりにくいものを、さも解き明かしたかのように自説を展開するのが得意だからね。ところが『鏡子の部屋』には、奴らの出番がない。だからその鬱憤を文芸誌などにぶちまけたわけだ」
「そしてその後、三島さんは結婚し、あの豪華な家に住むわけですね」
「それもアイロニーさ」
 三島が鼻で笑う。
「えっ、それはどういうことですか」
「もちろん家内も家も愛してはいるさ。私にとってなくてはならないものだ。しかし考えてみてくれよ。私のことを神のように思っている評論家や読者に対し、私が彼らと何ら変わらない家庭人であり、成金趣味のくだらん男だと知れば、少しは安心するだろう」
「ははは、それを本気で言っていますか」
「もちろん半分はジョークさ。だが、半分は本気だ」
 三島の顔が般若(はんにゃ)のようにひきつる。
「僕は俗人になりたかったのさ」
「どうしてですか」
「俗人にならないと、戦後昭和を理解することはできない」
「つまり、金の亡者たちの側に立ってみたいと――」
「そうさ。横田さんや小佐野さんが、なぜあれだけ金を欲するのか。僕にとっては永遠の謎だ。その謎を謎のまま放ってはおけないだろう」
 三島にとって、彼らのような金の亡者こそ、戦後昭和の象徴だったのだ。
 そこまで話した時、お茶が運ばれてきた。
 三島は運んできた尼僧に「ありがとうございます」と言って深く頭を下げると、お茶をすすった。
「うまい。それで、ここまでの記事はインタビューにしないでくれよ」
「えっ、それは困ります」
 ここに至るまで一時間はかかっている。
「分かっている。では人名を除いたりして、うまく要約してくれよ」
「お任せ下さい」
 二人が声を合わせて笑う。
「さて、ここからは当たり障りのないことを聞いてくれよ」
「では、新作についてですが――」
 その後、三島は新作『宴の後』や『お嬢さん』について語ったが、特筆すべきものはなかった。
「それでは、最後にお尋ねしますが、なぜこのお寺さんにやってきたのですか」
「君は輪廻(りんね)転生という言葉を知っているかい」
「仏教やヒンドゥー教などの死生観にある、魂は死後、肉体から離れて新たな生命に宿るというやつですか」
「そうだ。さすがに知っていたね」
「つまり新作は、輪廻転生をテーマにした作品になるということですね」
「まだ、分からない。だが、漠然とそんな思いはある」
「で、なぜこちらのお寺さんなのですか」
「それは企業秘密だよ」
 三島が呵々大笑した。

インタビューの前半部分をうまく要約したことで、三島の掲載許可が取れた。それが幸いし、『萬朝報』に掲載した「三島由紀夫ロング・インタビュー」は大好評だった。読者からの反応もよく、誰もが戦後昭和をどう生きるか模索していると分かった。
 この結果により、留吉は『萬朝報』にもっと文芸寄りの記事を多くしていこうと思った。
 そして『萬朝報』は、大きな飛躍を遂げていくことになる。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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