夢燈籠 狼を野に放て第24回

十二

 十二月一日、横田陣営は帝国ホテルに集まり、作戦会議を開いた。招集から集合まで十日以上も掛かったのは、この日の地裁の決定次第で、今後の対応が決まるからからだ。
 現在の苦境を一切面に出さず、横田がにこやかに鈴木を紹介する。だが、今回集まったメンバーは鈴木のコネを生かして集めた人たちが主なので、鈴木の紹介は不要のはずだが、こうした場を借りて、横田は鈴木のご機嫌取りをするつもりなのだろう。
「鈴木さんと私は故郷を同じくし、『刎頸之友(ふんけいのとも)』の間柄ですが、鈴木さんの男気や反骨精神は私以上で、愛知の誇りと言ってもいいくらいです」
「刎頸之友」とは、相手のために命を懸けても悔いないほどの友人のことで、中国の故事に由来する。
 しかし横田と鈴木とは生誕地は近いものの、知り合ったのは東京に出てきてからで、財界の愛知県人会の場だった。そこでもとくに親しいわけではなかったが、横田は百年来の朋友のような紹介の仕方をした。鈴木は笑っていたが、心の中では「よく言うわ」と思っているに違いない。
 続いて鈴木が、自らの伝手(つて)で連れてきた人々を紹介する。
 まず鈴木のメインバンクである平和相互銀行の創業者で元頭取の小宮山英蔵を紹介した。英蔵は父に参議院議員の常吉、次弟に現頭取の精一、三弟に後に郵政大臣を務める重四郎を持つ政財界を股にかけた顔役で、小宮山コンツェルンと呼ばれる企業連合を作り上げていた。だが、成り上がりなのは間違いない。
 続いて鈴木が「鎌倉の宮内老人」という人物を紹介した。たいへんな金持ちらしいが、過去は一切秘匿(ひとく)されており、なぜ宮内が金持ちになったかは誰も知らない。おそらく戦後のどさくさに紛れて、軍の資金や物資を懐に入れた者の一人なのだろう。
 鈴木は山崎証券の山崎種二も連れてきた。若い頃から山種の愛称で親しまれた米の相場師で、後に社名を山種証券に改称し、証券業界で大きな成功を収めることになる。気骨のある人物で信用第一を旨とするが、ビジネスには厳しい。今回も何らかの勝算を見出し、鈴木の誘いに乗ったのだろう。
 一方、横田が新たに連れてきたのは、菱和工業の柴崎勝男社長と森脇将光だ。
 柴崎は幼くして父を亡くし、大工見習として腕を磨き、菱和工業を創業した立志伝中の人物。日本初のステンレスキッチンの量産化に成功し、この頃、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。また横田の説得に応じた森脇は、金を貸す立場から出資者という立場に替わっていた。
 さらに横田は、新たに雇い入れた弁護士を紹介した。かつての満鉄副総裁で、商法の神様と呼ばれた松本烝治だ。実は鏡山陣営が、民法の大家である岩岡宙造のチームを雇っていることが判明し、それに対抗すべく松本を雇い入れたのだ。
 松本は東京帝大教授を経て、満鉄副総裁を務めた後、貴族院議員、関西大学学長、斎藤実内閣の商工大臣、幣原喜重郎内閣の国務大臣などを歴任したが、戦後になり、企業法務専門の法律事務所を設立していた。
 残念ながら岩井では役不足ということになったが、岩井は逆に松本のチームで学べるということで張り切っていた。
 かくして伝統的な財界人から成る鏡山陣営に対し、松本を除けば、成り上がり者やアウトローから成る横田陣営が形成された。
 横井が甲高い声を張り上げ、鏡山陣営の工作を語った。
「鏡山らの主張が通れば、来年三月の定期株主総会までの間、私は名義書き換えができません。これは私の株主権を剥奪されたも同じです。明日の株主総会で増資に踏み切られれば、私の握る百二万部は八分の一の価値に目減りします。これでは戦いようがありません。松本先生、何か手はありませんか」
 松本が冷静な声音で答える。
「すでに地裁に訴えを出しているので、その結果次第となります」
「ということは、敗訴することもあり得るのですか」
「裁判官がどういう解釈をするか次第です。地裁の決定は今日中に出ますので、しばしお待ち下さい」
――鏡山らの主張が通れば、万事休すか。
 重苦しい沈黙が訪れた。
 地裁の決定次第で勝敗はほぼ決まる。横田も気が気でないのだろう。何度も茶碗に手を伸ばし、派手に茶をすすっている。
 地裁の決定が出るまで、一同は煙草をふかしながら、雑談に興じるしかなかった。
 これは長引くと思った留吉が、部屋を出て帝国ホテルの担当に弁当を用意するよう指示していると、横田も出てきた。
「岩井君からは、まだ連絡は入らないですか」
 岩井は東京地裁に行っている。
「まだです。帝国ホテルには、電話が入ったら、すぐに私を呼ぶよう頼んでいますから大丈夫です」
「分かった。こうなれば待つしかないな」
 横田が不安そうにため息をつく。
「社長、われわれは、まな板の上の鯉です。もはや覚悟を決めるしかありません」
「君の立場ではそうだろうが、私の立場は違う。この勝負に負ければ、多額の借金を背負い込むことになる」
 ――だから言わないこっちゃない。
 留吉や岩井もそうだが、横田産業の役員の面々も、今回の白木屋買収には乗り気ではなかった。しかし鏡山が横田を蔑視したことで、横田は感情的になってしまい、引くに引けなくなったのだ。
 ――人の行く手を阻むのは感情なんだな。
 ここまで戦後の経済成長の波にうまく乗ってきた横田でさえ、相次ぐ成功によって次第に傲慢になり、自らの感情に支配されてしまった。
「とにかく待つしかないな」
「そうです。泰然自若としていて下さい」
「ははは、その通りだ。坂田さんには敵(かな)わないな」
 横田が笑いながら会議室に戻っていった。その後ろ姿には、敗軍の将の悲哀がにじんでいた。
 ――横田は、これでおしまいかもしれないな。
 その時、帝国ホテルのボーイが足早に近づいてくると、留吉に耳打ちした。
「東京地裁にいる岩井様からお電話です」
「分かった。どの電話だ」
 ボーイが指し示す先にある電話に出ると、岩井が息せき切って告げた。

「失礼します」と言って留吉が入室すると、視線が一斉に注がれた。留吉は横田の許へ行くと、息をのむような顔の横田に耳打ちした。
「間違いないな」と横田が確かめてきたので、留吉が「間違いありません」と答えると、横田の顔が一瞬にして明るくなった。横田は立ち上がって皆に告げた。
「東京地裁の結果が出ました。天はわれわれに微笑みました。私の百二万株は、正当に議決権を行使できることになりました!」
「よし!」と鈴木が言って拍手すると、皆も口々に祝辞を述べた。
「ありがとうございます。これで明日、臨時株主総会が開かれても、敵は何もできません」
 松本弁護士が言い添える。
「鏡山氏らは明日の臨時株主総会を延期するはずです。勝負は来年三月の定期株主総会に持ち越されました。鏡山氏らが、その間にどんな手を打ってくるか予想し、それを阻止する手を考える時間もできました。様々なケースを検討しておきます」
「よろしくお願いします!」
 横田が目頭を押さえる。首の皮一枚でつながったのだ。うれしいのは当然だろう。
 ――横田という男は、どこまで運が強いんだ。
 留吉は横田の強運ぶりに舌を巻くしかなかった。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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