夢燈籠 狼を野に放て第31回

十九

 午後になった。結局、鏡山の主張する議案審議延長は成らず、二重に出された委任状の確認が行われ、総会は再開された。
 まず横田陣営の田島将光が立ち上がり、よく通る声で発言した。
「鏡山さん、あなたは今回の株主総会まで名義書き換え停止という通告を、われわれ株主に出したではありませんか。われわれはそれを守り、誰一人として名義書き換えをしなかった。それなのにあなたは、あなた自身の株を中島某(なにがし)という方に名義書き換えした。この事実をどう釈明しますか。あなたは善良なる株主を愚弄したのです。あなたのような不誠実な人間に白木屋の経営を任せておくわけにはいきません」
 これに対し、久保祐三郎が立ち上がる。
「それは違います。鏡山氏にも株式を売買する権利はあります。しかも企業の持続的な成長のために必要なことです。つまり高齢の鏡山氏に何かあった場合を考慮し、若い中島氏に株式を譲渡し、白木屋の経営を安定させようとしたのです。法的にも全く問題のない行為です」
 田島が反論する。
「確かに法律上の問題はないとしても、道義上の問題はあります。われわれ株主にも高齢の方はいます。その方々にも万が一ということはあり得ます。しかし鏡山氏が書き換え停止を通達してきたので、そうした方も唯々諾々と従ったのです。それを鏡山氏だけが書き換えるのは、おかしいのではありませんか」
 久保が答える。
「鏡山氏は白木屋の社長です。一般株主とは立場が違います。名義書き換えによって、経営を安定させることは、株主の皆さんのためでもあるのです」
「仰せの通り、鏡山氏はわれわれ株主とは立場が違います。しかし名義の書き換え停止期間中に、例えば高齢の株主Aさんに万が一のことがあった場合、誰が責任を取るのですか。相続税を白木屋で払ってくれるのですか。それでもわれわれは白木屋のためを思い、鏡山氏の通達を聞き入れました。そんな善良な株主を鏡山氏は裏切ったのです」
「違います。こうした場合だからこそ、経営を安定させることが大切なのです。鏡山氏こそ、白木屋の株主のことを思い――」
「それは詭弁(きべん)だ。議決権を行使したいがために、名義を書き換えたのだろう!」
 互いに決定打のないまま、双方の怒鳴り合い、罵り合いが始まり、会場は騒然としてきた。
 要は「道義上の問題」を盾にした田島に対し、久保は「名義書き換えは合法であり、また白木屋のためにやった」と言い張ったのだ。
 これでは、話が平行線を辿るのは目に見えている。そこで特別に議事進行委員会が設けられた。これは株主から他薦自薦も含めて十人の委員が選出され、総会の運営方法を協議し、調停案を作るためのものだ。しかしこの十人の意見が合わず、委員会自体が紛糾したため、結局、解散となった。
 そこで頭を冷やそうとなり、一時間の休憩が宣告された。だが一時間後、議長の鏡山は登場すると、突然「延会を宣言します」と一方的に通告し、総会は翌々日再開されることになった。横田陣営は抗議したが、鏡山らが引き揚げたので、翌々日の再開で納得せざるを得なかった。
 
四月二日、午前十時半から丸の内の東京會舘で開催されると発表された総会は、会場側の断りによって、再び日本橋浜町の中央クラブで開催されることになった
東京會舘側は混乱を見越しての措置だったが、開催前日の会場変更なので、郵便で各株主に伝えることは不可能だった。そこで夕刊に公告を出し、さらに東京會舘から中央クラブまで大型バス三台を出すことにした。
 中央クラブにバスが着くと、総会屋たちは前の席に殺到した。その大半は横田陣営の株主と総会屋だった。だが前列に近い席は、すでに鏡山派の株主や総会屋に占められていた。おそらく先に会場のキャンセルを知った鏡山陣営は、味方に電話で知らせていたのだろう。
 一方、横田や鈴木は東京會舘にいた。その理由はすぐに分かってくる。

 十時半、中央クラブでは、鏡山が「定款に従って株主総会の開会を宣言します」と言って総会が始まった。
 留吉は横田のキャデラックを外で待たせ、一人会場内に入った。
 開会宣言がなされるや、すぐに横田派の田島が立ち上がる。
「総会の決議による継続会の場所や時間の決定は、総会の決議によってのみ変更できるはず。いかなる理由があろうと、これは総会と認められない」
 これに対し、鏡山派の久保が立ち上がる。
「そんなことはない。商法では場所について制限はなく、取締役会で自由に決定できる」
「それは違う。今回の場合、株主の参加が著しく困難になるようなケースだ。それは招集通知に明示する必要がある」
「突然の会場変更を招集通知に明示する時間的余裕はなく、大手五紙の夕刊で公告した。これは違法ではない」
「いや、違法合法を論じているのではない。これは株主を煙に巻くような会場変更だ。株主総会決議の取り消し事由となる」
「それは違う。会場側からの申し出による不可抗力による会場変更だ」
 法律解釈が微妙なので、双方のやり取りは平行線を辿った。
 双方の論争が一段落した間隙を縫い、鏡山が会場に向けていった。
「第一号議案の計算書類商人議決の件で、賛成の方は挙手お願いします」
 ここで言う計算書とは、貸借対照表や損益計算書といった財務諸表のことだ。
 前列を占めた鏡山陣営が「賛成!」という声を上げつつ挙手する。中には起立する者もいたため、後方の席が見えなくなった。
「賛成多数と認め、可決されました」
 後方の席で横田陣営の者たちが反対の罵声を浴びせるが、それを無視して鏡山が続けた。
「第二号議案の取締役および監査役選任について――」
 鏡山は現取締役の名を挙げた。これに拍手する鏡山派と怒号を浴びせる横田派だが、鏡山派が優勢なのは言うまでもない。
「では、取締役と監査役の重任を決定します。続いて第三号議案の定款の一部変更についてですが――」
「賛成!」
 鏡山派の大半が立ち上がり、大声で叫ぶ。横田派は完全に圧倒されていた。
「第三号議案も可決されました。これにて株主総会は閉会といたします」
 そんな中、横田派の総会屋の一人が「名義書き換え停止中の書き換えは不法だ!」と喚(わめ)きながら議長席に詰め寄ったが、鏡山派によって瞬く間に制圧された。
 ――段取り通りだ。
 留吉は心中にやりとした。
 ――これらが時間稼ぎだと気づく者はいないだろう。
 総会屋の田島からは「十五分も稼げれば御の字」と言われているので、これで十分だった。
 鏡山派の歓声の中、総会は終わり、久保や新田らが壇上から下りた鏡山を囲み、肩を叩き合ったり、握手したりしている。どの顔も満面の笑みを浮かべている。
 それを見届けた留吉は、連れてきた横田産業の若手社員に、この状況を横田に電話するように伝えると、速足で外に出て横田のキャデラックに乗り込んだ。
 ――東京會舘まで十分から十五分ほどか。
 この頃は車の数が少ないので、あっという間に東京會舘に着いた。
 表口で待っていたのは、何と横田本人だった。
「後は任せたぞ」
 車から下りずに留吉は答えた。
「はい。お任せ下さい」
 車に乗り込んできたのは、分厚い書類を抱えた岩井だ。
「岩井、万事順調だな」
「ああ、手はず通りだ」
「運転手さん、日本橋の東京法務局に向かって下さい」
 運転手は無言で車を走らせた。
 留吉は岩井と共に法務局の登記所に入ると、株主総会の議事録に基づく新たな白木屋経営者の名前を登記した。
 そこには「代表取締役 横田英樹」と書かれていた。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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