夢燈籠 狼を野に放て第25回
十三
昭和二十九年(一九五四)の正月早々、横田と鈴木は連れ立って、ある人物に会いに行った。これには留吉も同行した。
日本橋三丁目で車を止めると、二人は「田島事務所」と書かれたプレートが貼り付けられた小さな事務所に入った。
そこで待っていたのは、大物総会屋の田島将光だった。
田島は市ヶ谷に広壮な邸宅を構え、赤坂で料亭を経営している。さらに奥多摩の小河内(おごうち)でホテルを経営し、十七頭もの競走馬を有する馬主でもあった。
総会屋とは株主の代理人となり、株主総会などで質問し、議事進行を遅らせるなどして存在感を示し、次回からそれをしないと約束し、企業から顧問料を受け取ることで生計を立てている。またそこから派生して、企業が前もって顧問料を払い、株主総会で議事進行を妨げる発言をする株主を威圧し、企業側の思惑を援助する役割を果たすこともある。
今回、守る側の鏡山陣営が先んじて久保祐三郎という大物総会屋を雇い、横田陣営の発言を封じようとしたので、攻める側の横田陣営も総会屋を使う必要が生じたのだ。
一通りの挨拶と状況説明が終わった後、田島が煙草を勧めながら言った。
「君が横田君か。思っていたより若いな」
田島は黒縁眼鏡を掛け、穏やかそうな風貌をしていた。だが田島には、多くの修羅場を潜り抜けてきた者でないと醸し出せない迫力がある。
「はい。四十歳になったばかりです」
「そうか。こうして世代は替わっていくんだな」
田島は今年で六十三歳になる。
鈴木が口を挟む。
「用件は電話でお伝えした通りです。白木屋側が久保祐三郎氏を立ててきたので、こちらも対抗せねばならなくなり、お伺いした次第です」
「対抗ね。私と久保さんを戦わせたいんだね」
久保は田島と並ぶ大物総会屋で、この二人を上回る総会屋はいないことから、横田が田島を自陣営に引き込めば、いよいよ二人が正面からぶつかることになる。
横田が顔の前で手を振る。
「戦わせるなど滅相もありません。久保さんの総会運営を封じたいだけです」
「つまりシャンシャン総会にしたい敵方を妨げるというのだね」
シャンシャン総会とは、会社側の説明に、総会屋が「異議なし」「原案賛成」「議事進行」といった声を張り上げ、総会を無風で終わらせようとすることだ。
「そういうことです。今回は敵の論理矛盾や不備を見つけ出し、そこを突くことで総会を混乱させ、シャンシャン総会となることを防ぎたいのです」
田島が煙草をゆっくり吸うと言った。
「白木屋の件は、政財界の要人をいかに味方に付けるかで勝負が決まる。場合によっては、右翼やヤクザまがいの者まで使わねばならない。となれば無限に近い実弾、つまり金が要る。勝負を最後まで捨てないとなると、破産さえ覚悟せねばならない。あんたにその覚悟はあるのかい」
横田が力を込めて言う。
「私は最後まで戦い抜くつもりです。そのためには金に糸目をつけません」
「とは言っても、限りのない資金などないだろう」
「そこを突かれると痛いです」
「だが、資金などは相対的なものだ。相手が矢折れ弾尽きれば、それで勝てる」
「その通りです!」
横田が前のめりになる。
「しかし考えてもみろ。相手は財界の支援を受けるわけだ。つまり都市銀行がそろって支援する。ところが、こちらの財源は平和相互銀行と鈴木君だけだろう」
「は、はい」
「そうなると勝つためには、よほどの工夫が必要になる」
「それを先生にお願いしたいんです」
田島が灰皿で煙草をもみ消す。
「いいかい。私の立場ははっきりしている。金さえもらえれば、あんたが負けたってかまわない。だが久保さんに負けたとなれば、私の名に傷がつく」
「そうです。だから勝っていただきたいんです」
「それは久保さんも同じだ。私に負けたら面目丸潰れだ。だから双方共に、やるとなったら徹底的にやるしかなくなる」
鈴木が横から口を挟む。
「現状を整理しましょう。まず金ですが、正直な話、不利は否めません。続いて法律ですが、商法、民法、刑法に詳しい権威を顧問にしているので、双方同等です。そうなれば、総会技術で勝つしかありません」
「そんな技術は互角だ。最後は力業だろうな」
横田が不安そうに尋ねる。
「それは、どういう意味ですか」
「決まっているだろう。右翼やヤクザまがいの者をどれだけ動員できるかだ」
「つまり血を見ることもあり得るということですか」
「当たり前だ。奴らも負ければ面子(メンツ)が潰れる。時には雇い主に牙を剥くことさえある。それでもよければ全力を尽くす」
鈴木が横田の顔を見ると、横田は田島に視線を据えたまま、カバンに入れてきた札束を積んだ。おそらく百万はあるだろう。
「これは支度金です。よろしくお願いします」
「分かったよ。いただいておこう。俺もいよいよ久保さんと勝負か」
田島の顔が引き締まった。
――これで後に引けなくなった。
勝利か破滅か、横田は危険な一歩を踏み出した。
この頃、鏡山と久保も同様のやり取りをしていた。もはや鏡山にとっても意地なのだろう。そのため久保は博徒系暴力団の阿部重作に声を掛けた。これによりヤクザ系の総会屋はこぞって鏡山派となった。阿部は住吉一家三代目総長を務め、関東の博徒を束ねていると言ってもよい。
この情報を聞いた横田派の田島は、右翼団体の愛国青年同盟や安藤組の安藤昇を自陣営に誘った。
これにより白木屋をめぐる戦いは、きな臭い様相を呈してきた。それは政財界のエリートたちの腰が引けることにつながり、鏡山派にとって決して有利なことではなかった。
Synopsisあらすじ
戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!
Profile著者紹介
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。
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