夢燈籠 狼を野に放て第29回
十七
株主総会を数日後に控えた二十五日、新たな情報が入ってきた。
その情報を携えた鈴木が横田産業にやってきた。横田に呼ばれた留吉と岩井も同席した。
「横田さん、今日はたいへんなことになりそうだ。どうやら鏡山が新田新作に声を掛けたらしい」
「新田新作と言えば、あの明治座の――」
「そうなんだ。表向きは明治座の社長で新田建設という土建屋もやっているが、要は暴力団だ。新田は中央クラブの前の料亭まで買収し、二号を女将(おかみ)にしているという。まさにあの辺り一帯の主だ」
「総会の会場を決める権限は奴らにあるからな。こちらはどうにもできない」
「だが、新田の縄張りに乗り込んでいくのは、あまりに危険だ」
日本橋浜町の中央クラブは、まさに新田の懐のような場所にある。
鈴木が怯えるような顔で付け加える。
「しかも力道山まで連れてきているという」
力道山は言わずと知れたプロレスラーで、その後援者の一人が新田新作になる。力道山は相撲取りからプロレスラーになった頃、食べていけなくて新田建設の資材部長という肩書をもらい、月給取りだったこともある。そのため新田の頼みなら何でも引き受けていた。力道山は気のいい男だが、粗暴で感情の起伏が激しい人物としても有名で、飲食店での暴力沙汰は日常茶飯事だった。この頃、新田らの助力によって「日本プロレス」という団体を立ち上げ、二月に十四回も行われた初興行は、テレビ放送が始まったこともあって大成功を収めていた。
横田がしかめ面で問う。
「つまり鏡山は何らかの方法を講じた上で、力ずくで株主総会を終わらせようというわけか」
「おそらくね。こちらの出方次第だが、速戦即決で来るか、遅滞戦法を取ってくるかは、まだ分からない」
「では、どうする」
鈴木が決然として言う。
「力には力で対抗するしかないでしょう」
「どういうことだ」
「こちらも血の気の多いのを集め、あの辺を歩き回らせるのです」
――そんなことをさせたら血の雨が降る。
留吉は気が気でなかった。隣の岩井も青い顔を引きつらせている。
「待って下さい。威勢のいいのを歩き回らせれば、必ず衝突します。何かほかに手があるはずです」
鈴木がうんざりしたような顔で言う。
「そんなことを言ってもねえ。ほかにどんな手があるというんだ」
「それでも歩き回らせるのは危険です」
「だったら、どんな手がある」
留吉の頭に一つのアイデアが閃(ひらめ)いた。
「先ほど、中央クラブの前の料亭を新田が買収していると言いましたよね」
「うん。『割烹新田』という店だ」
「威勢のいいのを、そこに集めたらいかがでしょう」
鈴木が確かめる。
「こちらの威勢のいいのをか」
横田が笑い飛ばす。
「新田の店だぞ。入れてくれるわけがなかろう」
「いや、架空の会社の名で予約を入れてしまえばいいんです」
横田の顔色が変わる。
「そうか。こちらの兵を前日からそこに待機させ続け、相手に脅しを掛けるんだな」
「そうです。それなら衝突も起こりませんし、新田の店なので相手も突入できません」
鈴木が手を打って喜ぶ。
「それはいい。一石二鳥だ」
横田が留吉に命じる。
「すぐに電話し、宴会場を押さえてくれ」
留吉が電話すると、「割烹新田」は予約を引き受けてくれた。
「少しぼられるかもしれませんが、致し方ありません」
「そのくらいは構わん。さもないと新田も収まらんからな」
横田と鈴木が高笑いする。確かに水増し請求されても、たいした額にはならない。しかも水商売の店と違って料亭には看板があるので、あまりに逸脱した価格は請求できない。
「では、安藤さんたちに派手な宴会をやってもらいます」
鈴木が横田に問う。
「坂田君も『割烹新田』にいてくれるのですね」
「うん。総会が始まるまではそうしてもらう」
――たいへんな役を引き受けてしまった。
万に一つもないとは思うが、敵方が『割烹新田』に殴り込みを掛けてくることも考えられる。だが、自分がいなければ、いざという場合に抑えが利かないことも考えられる。
「分かりました。私が引き受けます」
これで総会前日から当日までのフォーメーションは決まった。
「割烹新田」には、ビジネススーツで決めた面々がずらりと居並んでいた。
「何も、そう固くならなくていいですよ」
万年東一が留吉に言う。
「まさか万年さんまで来られるとは思いませんでした」
安藤が得意げに言う。
「宴会をやって翌日まで居続ける仕事を引き受けたと言ったら、兄貴も来られると言うんでね。お願いしました」
万年が笑って言う。
「私も株主総会の現場に立ち会ったことがないんでね。しかも宴会をやりながら総会を待つという趣向が面白い」
万年はビジネススーツを着こなし、人前で喜怒哀楽を見せることは一切ないので、一流企業の役員と言っても通る。だが酒は一滴も飲めず、仲間と騒ぐことも一切ない。しかもヤクザや暴力団は大嫌いで、自分のことを実業家と名乗っていた。だが実際は、ヤクザと喧嘩になっても一歩も引かないので有名だった。
その時、料理が運ばれてきた。
留吉がビールの栓を抜こうとすると、女将に袖を引かれた。
留吉が万年らに「失礼します」と言って廊下に行くと、女将が困り果てた顔で問うてきた。
「すいません。皆さんはどういう集まりなんですか」
「ああ、われわれですか。もちろん総会屋ですよ」
「ええっ」と言って女将が絶句する。
「うちの主人からは何も聞いていませんが――」
「それはそうでしょう。われわれは横田陣営ですから」
その言葉に女将の顔が蒼白になる。何も確かめずに予約を受けたことが新田に伝われば、きっと叱責されるのだろう。
「う、うちの主人は、それを知っているんですか」
「知っているわけがないでしょう。何なら伝えて下さい。私の手間が省けます」
よろけながら階段を下りていこうとする女将の背に、留吉が声を掛けた。
「新田さんに電話するなら、万年東一さんや安藤昇さんもいらっしゃっているとお伝え下さい」
女将は逃げるように階下に下りていった。
Synopsisあらすじ
戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!
Profile著者紹介
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。
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