夢燈籠 狼を野に放て第32回

二十

 このカラクリはこういうことだった。
 浜町クラブで総会が開かれているのと同じ時刻、横田派は東京會舘の一室を「山下汽船 山下」の名で借り、独自に総会を開いていた。
 開会宣言の後、議長役が言った。
「会場変更は総会の決議によってのみ行われます。従って中央クラブでの総会は違法となり、ここでの総会が合法となります」
 議長役が議案を読み、それに横田や鈴木が賛同するといった形で議事は進行した。
 実は、横田派の株は委任状分も含めて二百九万株、すなわち全発行株式の二分の一に達し、決議権は有効だった。
 議長役が声高に言う。
「第一号議案についてですが、白木屋現経営陣の公表した貸借対照表を検討し、これを納得できないものとして否決します。なおこの計算書については、監査役五名を選任して調査することにします」
「賛成!」
「続いて第二号議案の取締役選任についてですが、選挙の形式を省略し、議長の指名によって選挙に変えたいと思います」
 会社法で、これは合法になる。
 議長役が、取締役として横井や鈴木らの名を読み上げる。続いて議長役が「第三号議案の定款変更について反対します」
「賛成!」
 これで三つの議事は終了した。わずか十五分のスピード総会だった。
 その後、引き続き取締役会が開かれ、代表取締役に横田が選任された。この結果をまとめた書類を瞬く間に作り上げ、ちょうど到着した留吉に託した。
 そして法務局に駆けつけた留吉と岩井が、瞬く間に登記を完了した。
 その後、登記所に現れた鏡山派は驚愕した。すでに横田派の登記が済んでいたからだ。
 登記所としては、手続書類がそろっていれば受け付けねばならない。そのため鏡山派は総会の結果を登記できないことになった。
 
 この日の夜、鈴木の行きつけの赤坂の高級クラブ「ミカド」で、横田派は祝杯を挙げていた。
「ははは、作戦成功だな」
 満面に笑みを浮かべ、横田がオレンジジュースを飲み干す。
「さすが岩井弁護士だ。まあ、飲め」
 鈴木にブランデーを勧められた岩井が、恐縮しながら口を付ける。
 今回の計画は法の盲点を突いた岩井の発案だった。
 横田が得意げに言う。
「鏡山の吠え面が見えてくるようだ。それで岩井君、敵は次にどんな手を打ってくる」
「おそらく公正証書原本不実記載罪で、こちらを告訴してくるでしょう」
「何だ、その公正証書なんたらというのは」
「刑法百五十七条一項にあるもので、公務員に対し、虚偽の申告に基づく虚偽の記載がなされた公文書を提出した時に適用されるものです」
「今回の件は、それに該当するのか」
「裁判官の解釈次第です。それだけグレーゾーンなのです」
 岩井によると、虚偽の申し立てとは、存在しない事実を存在したとし、申し立てすることだとという。
「虚偽など全くない」
「われわれはそう思っていますが、鏡山が何を虚偽として訴えてくるかは分かりません」
「では、相手の出方待ちということだな」
「そうなります」
 鈴木が問う。
「それを押し切るにはどうすればよい」
「既成事実の積み上げです」
「そうか。それで明日にも白木屋に出向き、業務引き継ぎを要求するのだな」
「そうです。鏡山派がそれに応じなければ、こちらの思うつぼです」
 横田が問う。
「どういうことだ」
 岩井がにやりとする。
「業務引き継ぎを断ってきたら、事務所引き継ぎ請求や業務執行妨害の仮処分を申請すればよいのです」
「なるほど、それはいいな」
 鈴木が皆を鼓舞するように言う。
「登記は成功したんだ。主導権はこちらにある。今夜は飲もう」
 それで飲み会となったが、相手にはまだ手札が残っているらしいと知り、留吉は少し不安になった。

二十一

 翌三日、横田と鈴木は公証人を引き連れ、白木屋に赴いた。留吉と岩井も一緒だ。
 留吉が受付の女性に言う。
「前社長の鏡山さんに取り次いでいただきたい」
 鏡山を前社長と呼ぶことは打ち合わせ済みだ。
 しばらくすると、緊張の面持ちで常務の渡辺が出てきた。
「鏡山は不在ですが、何かご用でしょうか」
 横田がにこにこしながら言う。
「本日から私、横田英樹が白木屋の代表取締役に就任しましたので、事務の引き継ぎに参りました。まずは鏡山前社長にご挨拶をと思いまして」
「社長は不在です。だいいち、当方はあなた方の登記は不法なものと考えておりますので、せっかくのお申し出ですが、それに応じる気は毛頭ありません」
「私たちは会社法を踏まえて登記を済ませています。もしそれが違法なら、法務局は受け付けていません。業務引き継ぎ要求に応じられない場合、民事上の責任を問われますが、よろしいですね」
 民事上の責任とは一般的に損害賠償責任のことになる。
「結構です。われわれは違法と認識していますから」
 鈴木が口を挟む。
「鏡山氏に面談できないのは仕方ないとして、業務引き継ぎだけでも行っていただきます」
「私は知りません」
 鈴木が凄みを利かせる。
「曲がりなりにも、あなたは常務ではありませんか。知らないとは、どういうことですか」
「ですから、これから法務局に抗議を申し入れます。それまでは引き継ぎなどできません」
 額に汗を浮かべて弁明する渡辺に、横田が顔色を変えて迫る。
「まさか会社法の番人たる法務局に、法律を盾に抗議するというのですか」
 すでに周囲は白木屋の社員が取り巻いている。彼らは、この議論の行く末を不安げに見守っている。
「私は、それ以上のことを申し上げられません」
「それが常務の言うことですか。役員の一人として恥ずかしくないのですか」
「待って下さい」
 その一言で渡辺の真意が見えてきた。
 ――まさかこの男は、横田体制になっても生き残ろうとしているのか。
 傍らでやり取りを聞きつつ、留吉も啞然(あぜん)とした。
「何を待つのです」
「私の立場も察して下さい」
「立場とは何ですか」
「当社は、鏡山がすべてを決めています。私は鏡山の使い走り同然です。ですからこの場では、何も決められません」
 ここで岩井が横田の耳に何かを呟いた。それにうなずいて答えた横田が声高に言った。
「分かりました。たった今、渡辺前常務は新社長の横田に対し、業務の引き継ぎができないと言われました。先生、よろしいですね」
 連れてきた公証人が、「認めます」と答えた。
「いや、そういうつもりはありまん。今言ったのは、私の立場です」
 鈴木が渡辺の肩を叩く。
「それも白木屋の経営体制の一つです。常務に実権なしというのは、鏡山氏の独裁を証明する重大な情報です」
「えっ、そ、そんな――」
「では、失礼します」
 満面の笑みを浮かべ、その場から立ち去ろうとした横田は、立ち止まるとそこにいる社員たちに言った。
「皆さん、もうしばらくお待ち下さい。皆さんの白木屋を取り戻します!」
 しかしそれに反応する者はおらず、白けた雰囲気の中、留吉たちはその場を後にした。
  
 翌四日、鏡山一派は中央クラブで継続総会を開いた。この総会を横田派は無効という解釈なので、誰一人出席しなかった。
 そしてその日のうちに、鏡山派は法務局に異議申し立てをした。
 それを要約すると、「総会における代理委任状の現物は、中央クラブの総会にあった。東京會舘での横田派の総会は定足数が不足していて無効となる」「白木屋の重役はただの一人も東京會舘の総会にいなかった。それゆえ総会と認めることはできず、公正証書原本不実記載にあたる」となる。
 これに対し、法務局の回答は辛辣(しんらつ)だった。
「登記は、会社法ないしは訴訟事件手続法に定められた手続きが形式上、整っていれば、当局は受け付けなくてはならない義務がある。その法律上の有効・無効の問題は、法務局の管轄ではないので、裁判所で争って下さい」
 これにより、戦いは法廷闘争に移っていった。

 四月五日、鏡山一派は公証証書原本不実記載罪にあたるとして、横田らを刑事告訴した。同時に、横田派の重役権利行使・執行停止の仮処分を東京地方裁判所に申請した。
 これに対し、横田派は事務所引き継ぎ請求の仮処分、業務執行妨害の仮処分、会社重役の社屋立ち入り禁止の仮処分申請をした。
 翌六日、東京地方裁判所は回答を書面で行った。そによると、「横田英樹氏の白木屋役員としての職務執行を停止する」という横田派にとって予想外のものだった。
 しかし、鏡山をはじめとした現役員の重任が認められたわけではなく、東京地方裁判所は代行者四人による経営の継続を命じてきた。
 これを受けて横田派は、会場変更手続きの不備による中央クラブでの決議取り消しの仮処分申請を行った。
 かくして双方は訴訟合戦となり、体力勝負の様相を呈してきた。体力とは言うまでもなく財力のことだ。
 そうなれば金利がかさみ、内輪揉(うちわも)めも起こる。横田派はサンウエーブ社長の柴崎勝男が、横田に貸した金が返ってこないことを理由に激しい口論となり、横田の顔をソロバンで殴るという事件が起こった。これに対し、横田は「柴崎社長の愛の鞭、ありがたく受け取っておきます」とうそぶいた。これにより柴崎は横田派から離脱していった。
 かくして白木屋騒動は持久戦の様相を呈してきた。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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