夢燈籠 狼を野に放て第55回

 留吉は山口孝から株主のリストをもらうと、次から次へと株主を訪問し、株を横田に売るよう説得した。その額はプレミアムを載せて倍近くになったので、株主たちは喜んで株を手放した。しかし中には、欲の皮を突っ張って売らない、ないしはもっとプレミアムを載せろと言う者もいた。そうした連中には、金を払って委任状を取り付けた。委任状さえ手にしてしまえば、株が横田名義にならなくても、横田の議案に賛成となるからだ。
 留吉は『萬朝報』の仕事をしつつ、横田のために株を買い集めた。そして昭和三十九年(一九六四)十二月、富士屋ホテルの定期株主総会が、湯本の某ホテルで開かれた。

 形式的な株主総会だと思っていた者たちは、最前列にタキシード姿に蝶ネクタイの男が座っているのを見て、一様に驚いていた。それが誰か分らなかった者も、横にいる者から「あれは横田英樹だ」と囁かれて啞然とした。
 とくに一段高い舞台上の議長席に着いた山口賢吉は、息をのむような顔をしている。
 ――何も知らなかったんだな。
 横田が株を集めているという情報を、賢吉や役員は一切知らなかったようだ。株の売却を拒否した者の中には、賢吉支持派もいると思っていたが、どうやら株主は賢吉に注進することを控えたらしい。そんなことをしても、何の利益もないからだろう。
 留吉は記者を連れ、その様子を後方の席から見ていた。
賢吉が気を取り直したかのように、「では、富士屋ホテル株式会社の株主総会を始めます」と高らかに宣言した。
 前期の決算の承認の決を採る第一号議案が何の反発もなく終わり、第二号議案となった。
「では、第二号議案の役員の選任に移ります」
 その時だった。横田が立ち上がり、よく通る声を上げた。
「累積投票を要求します!」
 賢吉が諭すように言う。
「お静かに。累積投票をするためには――」
 賢吉の言葉を遮り、横田が手に持つ書類を掲げた。
「ここに富士屋ホテルグルーブの三分の一を超える株式があります!」
「そんなことはないはずです。あなたが持っている株式数は、四分の一にも満たないはずです」
 富士屋ホテルは浮動株が少ないので、賢吉にはおおよその見当がつくのだろう。
「では、ご確認下さい」
 横田は進み出ると舞台に上り、係員に書類の束を手渡した。それを賢吉らが確認する。
 賢吉らが株数を数えている間、横田は舞台上から舞台下の株主たちに向かって言った。
「私、横田英樹名義の株が約三十万株。その他、山口一族の委任状を含めると、手持ちの株数は三分の一を超えています」
 当時の富士屋ホテルの資本金は一億二千六百二十万円。総発行株式数は二百五十二万四千株になるので、三分の一だと八十五万株弱になる。
 横田は悠然と微笑むと自分の席に戻った。会場は静まり返り、壇上で株を数える賢吉らに見入っている。
 横田が壇上に向かって言う。
「どうやら数え終わったようですが、間違いありませんね」
 賢吉は口惜し気な顔で俯(うつむ)いている。ほかの役員も顔を見合わせている。
「山口賢吉社長、この株数によって、長男脩一郎氏と孝氏の二人を相談役に、脩一郎氏の長女恵美子氏の婿の悦男氏、三女美香氏の長女久美子氏の婿の安永三郎氏の二人を取締役に推薦します!」
 横田が追い打ちを掛ける。
「賢吉社長、新たに加わった役員の総意により、あなたを解任します!」
 それについて現役員陣が何も反論できないので、横田はさらに続けた。
「賢吉社長、よろしいですね。株主の皆さんも異議はありませんね。異議のある方は申し出て下さい」
 賢吉は立ち上がると、「これにて閉会にします!」と怒鳴ると、舞台の袖に向かって歩き去った。それに現役員たちも従う。
「お待ち下さい。男なら堂々と負けを認め、退陣して下さい。それが富士屋ホテルのためでもあるのです!」
 現役員がいなくなった舞台に上った横田は、マイクを手に取ると、まだ会場に残っている株主たちに向かって言った。
「この横田英樹が乗り出したからには、富士屋ホテルグループを、株主の皆様へ多大な見返りのある、まっとうな会社にしてみせます。どうか、ご協力お願いします!」
 横田が深々と頭を下げた。

 その後、別の旅館に集まった横田一派は祝杯を挙げることになった。
 拍手の中、横田が立ち上がると、山口孝をはじめとした山口一族に頭を下げてからスピーチを始めた。
「今回は完勝でした。これで山口家の手に伝統ある字屋ホテルを取り戻すことができました。これは、この世に正義が存在する証(あかし)しです」
 割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「これも山口家の皆様のおかげです。では、皆さん、グラスを掲げて下さい」
 横田がシャンパングラスを高々と掲げる。
「乾杯!」
 それで会場内は打ち解けた雰囲気となった。横田の周りに人が集まる前に、留吉は横田の傍らに行くと言った。
「これで私の役割は終わりました。取締役を解任下さい」
「何を言っているんだ。勝負はこれからだぞ」
「約束通り、ここで別れましょう。その方がお互いのためです」
 横田がぎろりと留吉をにらむ。
「本気なんだな」
「本気です。長い間ありがとうございました」
「それでどうする」
「どうするもこうするも、私は新聞をやるだけです」
「そうか――」と言って横田がうなずく。
「私も男だ。これで別れよう」
「ありがとうございます。また財界の会合等で顔を合わせる機会もあると思いますが、ここで一区切りとさせていただきます」
「そうか。頑張れよ」
「横田社長こそ、頑張って下さい」
 珍しく横田が手を出したので、留吉はそれを握った。
「今日は、ここに泊っていかなくてもよいのか。君の部屋は用意してあるぞ」
「明日も朝から仕事ですから。それに私一人分の宿泊費も浮きますからね」
 その冗談に、横田は口を開けて笑った。
「それもそうだ。やはり坂田君は気が利く」
 二人は最後にグラスを合わせた。
「では、これにて――」
 横田に一礼して会場を出ようとした時、横田の方を一瞥(いちべつ)すると、もう横田はどこかのお偉いさんと歓談していた。
 ――これで終ったのだ。
 肩の荷が下りた留吉は、弾むような足取りで湯河原駅を目指した。

 この後、横田はこの勝利を確実なものにするため、児玉誉士夫の許(もと)を訪ねた。かつて東洋精糖の件では敵方として登場し、横田に煮え湯を飲ませたフィクサーの児玉だが、この時、横田は富士屋ホテルの一件を話し、児玉に役員に入ってもらえるよう願い出た。児玉がかかわっているとなれば、賢吉も反撃をあきらめると思ったのだ。
 この要請に児玉は快諾したので、横田の勝利は完全なものとなったかに見えた。
 しかし賢吉が小佐野賢治の許に駆け込み、持ち株のすべてを小佐野に売り払い、また山口一族を切り崩すことを約束することで、流れが一気に変わる。賢吉は横田を追い出すことだけを目的とし、なりふり構わぬ戦いに打って出たのだ。
 かくして、かつて五島慶太の両翼に等しい二人が、がっぷり四つに組んだ戦いを演じることになった。だが児玉が横田陣営にいる限り、横田の勝利は確実だった。
 ところが、児玉はあっさり小佐野に鞍替えした。その理由は定かではないが、ここまで小佐野とは、持ちつ持たれつの関係だったからだと思われた。
児玉は食物連鎖の最上位に位置する大物だった。こうした不義理をしようと、誰からも復讐される心配はないからだ。それゆえ横田を裏切ることなど何でもなかったのだ。
これにより山口一族も次々と寝返り、横田は一転して一敗地にまみれ、すべての株を小佐野に売り払わねばならなくなった。
 最終的に、小佐野は十三億円の資金で百六十億円余の資産価値のある富士屋ホテルを手に入れると、裏切りの条件として山口一族を役員に残すという約束を反故にし、富士屋ホテルから山口一族を一掃した。
現在に至るまで、富士屋ホテルは小佐野一族の所有となっている。
 こうした経緯を留吉も逐一知っていた。『萬朝報』の記者を張り付けていたからだ。
 だが横田は、これで屈するような男ではなかった。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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