夢燈籠 狼を野に放て第23回
十一
鈴木の事務所で顚末(てんまつ)を打ち明けると、話を聞いていた鈴木の顔色が次第に変わっていった。
「それは本当ですか」
「はい。残念ながら古荘氏と堀氏にしてやられました」
「何と汚い手を使うんだ」
鈴木が呻(うめ)くように言う。
「これで包み隠さず、すべてを語りました。奴らの策略を見抜けず、鈴木さんには申し訳ないことをしたと思っています。ここで手を引いていただいても構いません」
いよいよ終わりが訪れたのだ。横田の夢が破れれば、留吉の人生も大きな後退を余儀なくされる。むろんそんなことよりも、借金を返していかねばならないという茨(いばら)の道が、横田と留吉には待っていた。
「横田さん、話はよく分かりました」
「ありがとうございます。私は鈴木さんの気持ちだけでうれしいです」
「では、ここで兵を引くのですね」
「もはや矢折れ弾尽きました」
常に強気の横田もため息を漏らした。よほど古荘と堀の裏切りがこたえたのだろう。
「果たしてそうでしょうか」
「えっ」と言って横田が顔を上げる。
「戦いは、まだ終わっていませんよ」
「ど、どうしてですか」
「私がいるからです」
横田があんぐりと口を開けた。
「つまり、つまりですよ。まだ私を見捨てないと仰せですか」
「もちろんです。この鈴木一弘は一介の金貸しにすぎません。しかし曲がったことは大嫌いだ。古荘や堀のような輩(やから)を野放しにしておくわけにはいきません」
すでに売り逃げした二人に煮え湯を飲ませることはできないが、それでも白木屋の戦いに勝てば、既得権益層に危機感を抱かせることはできる。
鈴木が続ける。
「これは危険な戦いになるかもしれないと、心が警鐘を鳴らしています。しかしここで兵を引いたら、奴らはこれからも驕(おご)り高ぶり、財界を支配し続けるでしょう」
「そ、その通りです!」
横田の唾がテーブルに飛ぶが、鈴木は気にしていない。
「私は一介の金貸しです。だからこそ金で転ぶ奴らが許せない。奴らに信念なんてありはしない。あるのは欲だけです」
「そうです。一緒に財界人たちの鼻を明かしてやりましょう!」
「やるなら徹底的にやります。決して下りない。それでよろしいですね」
「もちろんです。この横田英樹、元は一文無しでした。だからいつ一文無しに戻ろうと構いません!」
「分かりました。私も同じ気持ちです」
鈴木の出す右手を、横田が震える手で握った。
予想もしていなかった展開に、留吉は啞然としていた。
――何と運の強い男なんだ。
それにしても横田の運の強さは尋常ではない。
「では、作戦会議と行きましょうか」
鈴木がにやりとした。
鈴木の支援を受けた横田が下りないと分かると、鏡山陣営は追い打ちをかけてきた。
十一月に入ってすぐ、白木屋は株主たちに、「十二月二日に臨時株主総会を開き、授権株式を増加し、新株の割り当てを行う。そのため十一月九日から総会の開催される十二月二日まで、名義の書き換えを停止する」と通告してきたのだ。
授権株式とは、定款に記載された会社が発行できる株式の総数のことだ。つまり発行株式数が増やせるよう定款を変更するので、それが済むまでの間、株主権を行使できないことになる。もちろんこの期間、株の売買や株主の名義書き換えも停止される。
白木屋の発表によると、授権資本二億円を一気に二倍の四億円に増資し、全発行株式を一千六百万株に増やすという決定だ。しかも新株の割り当てを鏡山らの都合のよい株主に割り当てようというのだ。こうしたことは商法上、違法ではない。
これに対して横田側の弁護士、つまり岩井壮司らは、すぐに記者会見を開くことを勧めた。
十一月二十日、蝶ネクタイにタキシード姿で帝国ホテルに現れた横田は、新聞記者たちを前に豪語した。
「われわれは白木屋の株の過半数を握っています。もはや勝利は目前で、白木屋側に勝ち目はありませんでした。それゆえ、このような阿漕(あこぎ)な手を使ってきたのです。皆さん、鏡山陣営はビジネスマンの風上にも置けません。男なら潔く、負けを認めるべきと思いませんか」
その演説の内容とは裏腹に、まだ勝敗の行方は定かでなかった。それでも横田は強気に出ていた。
「私は白木屋を救いたいのです。そして消費者の皆さんに便宜(べんぎ)を図りたい。しかしそんな私の思いを踏みにじるように、自分たちの利益ばかりを追い求めているのが、現在の白木屋経営陣なのです。このような者たちを許しておいていいのでしょうか」
横田は水差しからコップに水を移すと、がぶりと一飲みした。
「われわれは戦前の魑魅魍魎(ちみもうりょう)を財界から追い出し、新たな時代を築いていかねばなりません。その第一歩が白木屋経営陣の一掃なのです。この峠を越えない限り、新生日本に明日はありません」
岩井のアドバイスを受けた横田は、私利私欲からではなく「財界の刷新」という大義を掲げることで、世論を味方に付けようとしていた。
「今こそ、新たな時代を到来させるべき時です! その担い手こそ私、横田英樹なのです!」
そこまで言ったところで、各社の記者らしき者たちが会見場に走り込み、横田の話を聞いていた自社の記者に何事か耳打ちした。それを無視して、横田が再び声を上げようとした時だった。
「質問です」と言って、記者の一人が挙手した。
司会役がすかさず言う。
「質問は後でまとめて受け付けます」
だが上機嫌になっていた横田は、「構いません。何でしょうか」と言ってしまった。
「たった今、日活の堀社長からコメントが出されました。それによると堀氏は持っている株式すべてを山一證券に売却し、この一件から手を引くとのことです。お二人の間で何かあったのでしょうか」
山一證券は、鏡山らと付き合いが長いので敵陣営となる。
――ばれたか。
横田が会見を開くと聞いた堀は、おそらく古荘頭取の指示で、旗幟(きし)を鮮明にしたのだ。これで横田に勝ち目がないと思った記者は離席し始めた。いち早く自社に戻り、夕刊に間に合うように速報を書きたいのだろう。
それを茫然と眺めていた横田は、司会者に目配せした。
「さて、皆様方もご多忙の折とは思いますので、横田英樹の記者会見は、これにて終わりとさせていただきます。今回はお越しいただき――」
それにより、まだ残っていた記者たちも会場から出ていった。
横田はもう一杯、コップの水を勢いよく飲むと、留吉を手招きした。
「何ですか」
「鈴木さんに連絡し、すぐにこちらの陣営の会議を開くよう言って下さい」
最近は留吉にもぞんざいな口調だった横田だが、この時ばかりは「下さい」と言った。その言葉で横田の辛い心中を察した留吉は「畏まりました」と、いつもより丁寧な言葉を返した。
いよいよ勝負は山場を迎えようとしていた。
Synopsisあらすじ
戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!
Profile著者紹介
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。
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