夢燈籠 狼を野に放て第30回
十八
総会を翌日に控えた三月三十日、追い込まれた鏡山陣営は勝負を掛けてきた。何と、鏡山名義の七十七万四千九百株の名義を中島満造名義に書き換えたのだ。会社法上、鏡山名義では白木屋の自己株式となるので議決権を行使できない。そのため打った苦肉の策だった。
中島満造が何者かは分からないが、何ら意思を持たない、鏡山の言いなりなのは明らかだ。しかし株主たちに名義の書き換えを禁じておきながら、自分だけは例外のように書き換えたことで、総会が紛糾するのは火を見るより明らかだった。
かくして三月三十一日の株主総会を迎える。
横田側の本陣となった「割烹新田」には、横田はもちろんのこと、参謀格の鈴木一弘、山崎証券の山崎種二、大物総会屋の田島将光、高利貸の森脇将光、インテリヤクザの万年東一、そして愚連隊の象徴の安藤昇らが顔をそろえていた。
会場となる日本橋浜町の中央クラブに行くのは、横田、鈴木、田島、安藤になる。山崎や万年、そして岩井ら法務部隊は本陣に残り、予期せぬ事態になった場合の対応策を練ることになる。
横田が覚悟を決めるように言う。
「今回の名義書き換えは卑怯(ひきょう)極まりないことで、腸(はらわた)が煮えくり返った」
鈴木がうなずく。
「その通り。そこを突くのが一番だ」
岩井が慌てて言い添える。
「しかしそれは道義上の問題で、会社法上は違法とは言えません」
田島が不敵な笑みを浮かべながら言う。
「それは分かっている。だが総会は、法律だけで決まるわけではない」
横田が両手で膝を叩く。
「よし、総会開始四十分前だ。水盃(みずさかずき)を交わそう」
早速、盃が回され、水が注がれた。本来、水盃はこの世で二度と会うことがない別れの時に交わされるものだが、次第に「覚悟を決める」という意味でも使われるようになった。
回されてきた水盃を飲むと、留吉も肚が座ってきた。
――なるようにしかならない。
「割烹新田」から会場までは徒歩五分以内だ。「さあ、行こう」と言って横田が先頭を切って店を出る。ところが外に出ると、ガラの悪い連中の殺気立った視線が注がれた。中には「ご注進」のためか走り去る者もいる。
「先を行きます」と言って、安藤と若者二人が横田らの前に出る。その背後で横田を囲むようにして、留吉たちが続いた。
「どけどけ!」
安藤がドスの利いた声で、一目見てその手の人間と分かるダークスーツを着た者たちをかき分けていく。
会場が近づくにつれて、人が多くなってきた。
安藤らは、それに臆せず前に進む。時折肩が当たってにらみ合うが、さすがに敵方もそれ以上のことはしてこない。
浜町中央クラブの入口には、周囲を睥睨(へいげい)するような巨漢が立っていた。
――あれが力道山か。
力道山は背広姿だが、着慣れていないのかサイズが合わないのか、ネクタイは緩み、シャツの一部がベルトの外にはみ出している。それでも、その迫力は言葉にならないほどだ。
安藤が頭を下げる。
「ご苦労様です」
「ああ、安藤君か。ご苦労さん」
どうやら二人は顔見知りのようだ。
「お手柔らかにお願いします」
「ははは、お互い仕事だからな。手は抜かないよ」
豪放磊落(ごうほうらいらく)に笑いながらも、力道山の目は笑っていない。
会場に入ると、二つの受付が置かれていた。一方が鏡山側、一方が横田側の委任状を提出するためのものだ。
受付の後ろに羽織袴(はおりはかま)姿の田島が立つ。すでに鏡山側の受付の後ろには、久保祐三郎が立っていた。二人が目礼を交わす。もちろん顔見知りなのだろう。こうした総会屋は、戦うこともあれば手を組むこともあるので、感情的な対立はしない。プロとして雇われているので、その分を守るだけなのだろう。
受付の背後に立つのは、どちらがどちらを仕切っているかを示すためだ。
会場内は、息苦しく感じられほどの熱気に包まれていた。
定刻の十時半よりやや遅れて鏡山が議長席に着き、総会の開会を宣言した。同時に、鈴木が立ち上がった。すべては筋書き通りだ。
「これが、われわれの委任状です。議長、受け取って下さい」
それを拒否する理由がないので、係員がその紙束を受け取り、鏡山に渡す。
それと同時に、鏡山陣営の誰かが立ち上がり、「委任状を確認して下さい!」と叫んだ。それにより議場は騒然となった。
「委任状は委任状だ!」
「偽物かもしれない。すべての委任状を確認すべきだ!」
双方の怒号が渦巻き、開会早々に手がつけられなくなった。隣に座っていた安藤も、拳(こぶし)を振り上げて何か叫んでいる。それを見た留吉も、見よう見まねで「委任状を通せ!」などと叫んだ。
鏡山が「静粛に」と言って、双方を抑えると続けて言った。
「委任状が本物かどうか、慎重に印鑑照合せねばなりません。少々手間取りますが、公正を期すためには必要なことです。悪しからず」
それで再び怒号が渦巻いたが、総会で委任状を確認することは、会社法に反していないので致し方ない。
「審議延長するな!」
横田陣営は口々に鏡山の卑怯をなじるが、敵方も怒号で切り返すので、何が何だか分からなくなってきた。
審議延長を図ってくるのは、ある程度予想されていた。というのも印鑑照合などの作業は、たいへん手間取るからだ。おそらく鏡山陣営は日没時間切れでの延会を狙っているのだろう。
満を持して鈴木が立ち上がり、周囲を静粛にさせると言った。
「審議延長は百害あって一利なし。今回は白木屋のお客様のためにも、両陣営が話し合い、妥協点を見出すべきです」
「それは議案外のことです」
鈴木が差し出した手を鏡山があっさりと払った。これが全面戦争を避ける最後の手立てだったが、それは拒否された。
となれば段取り通り、横田が立ち上がった。
「皆さん、聞いて下さい」
横田の声はよく通る。その迫力に押されたのか、鏡山陣営もおとなしくなった。
「私は善良なる大株主です。白木屋の立て直しを図るべく、私財を投じて白木屋株を買い集めました。それは、あくまでお客様のためです。しかも私は、白木屋経営陣に入れるだけの株数を保持しています。ところが鏡山社長は経営陣に入れようとしません。これほど理不尽なことがあるでしょうか。ただ一言『一緒にやろう』『横田、任せたぞ』と言ってくれれば、鏡山社長にも大きなメリットがあるのです。私は本日、株主の皆さんに、このことを伝えたくて参りました」
横田の発言が終わるや、再び怒号が渦巻いた。だが横田は、鈴木を見てうなずいている。まず大義を披露するというのが、妥協を拒否した場合の次なる手だったからだ。
――さすがだな。
昨夜、横田と鈴木は知恵を出し合い、相手の出方次第で何パターンもの対応策を考えていた。
委任状の点検作業は、両陣営の代表が立ち会う中で行われた。双方共に殺気立っており、些細なことから言い合いに発展することもあった。その度に誰かが間に入り、双方をなだめた。
正午過ぎ、やっと点検作業が終わった。その結果、鏡山陣営百九十六万株、横田陣営百三十七万株となった。横田側は議決権の行使が許された横田本人名義の百二万株を足せるので、合計四百三十五万株になる。
しかしまたしても問題が発生した。白木屋の総株数は四百万株なので、三十五万株も委任状が二重に出されていることが明らかになったからだ。
これにより、鏡山が「議案審議を延期します」と宣言した。それに対し、横田側からは「審議を続けろ!」「不当な運営だ!」といった声が渦巻いた。
Synopsisあらすじ
戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!
Profile著者紹介
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。
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