夢燈籠 狼を野に放て第18回

 その男は剃り上げられた頭を光らせ、横田を待っていた。
「久しぶりだな」
「ご無沙汰しておりました」
「さすが横田君だ。約束を取らないでも私に会えると思っていたな」
「はい。駐車場の前を通ったら、森脇さんの車が止まっていましたから、いらっしゃると思いました」
「だからといって、別の約束があったらどうするつもりだったんだ」
「そちらはキャンセルなさるでしょう」
 森脇と呼ばれた男の目が光る。
「そうか。それだけの大きな話なのだな。まあ、掛けろ」
 そう言うと、森脇は横田と留吉にソファーを勧めた。
 横田が簡単に留吉を紹介する。しかし森脇は関心なさそうに葉巻を吸っている。森脇にとっては、留吉が取締役だろうと平社員だろうと関係ないのだろう。
 続いて横田が白木屋の件を説明した。
「という次第なんです」
「で、金を借りたいというのだな」
「いえ、こちらサイドとして参加いただけませんか」
森脇が高笑いする。
「私に白木屋株を買えというのかい。冗談だろ。私は高利貸だよ」
森脇将光は戦後最大の高利貸と呼ばれた男だ。森脇が慶応大学在学中、関東大震災があった。誰もが茫然とする中、森脇は手あたり次第新聞を集め、その切り抜きを貼り付けたり、書き写したりしながら、「大震災の全容」という小冊子を作った。マスコミはもちろん誰もが震災復興に関心が行っており、大震災の状況を包括的に記録する本などはなかった。そのためこのガリ版刷りの小冊子が大いに売れた。それを元手に、森脇は不動産業と金融業で財を成した。光クラブ事件の山崎晃嗣は失敗したが、森脇は見事に成功を収めたのだ。昭和二十三年(一九四八)には個人所得九千万円で長者番付の筆頭となり、「金融王」と呼ばれるようになった。
「しかし森脇さんも、そろそろ表舞台に立つ頃では」
 誰にも名誉欲はある。とくに横田は金銭欲と同じくらいの名誉欲があった。だが森脇は違うようだ。
「私は生涯、表舞台に立つつもりはないよ」
「どうしてですか」
「私は高利貸だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ははあ、なるほど。では、そんなに金を稼いでどうするんですか」
「ははは、確かに私は遊ばないし、趣味もない。家だって貧乏時代の一軒家のままだ」
 どうやら森脇は、金があれば贅沢をしたがる横田とは正反対の生き方をしているようだ。
「では、何にも使わないで貯め込むだけですか」
「ははは、貯め込むだけはよかったな。私はね」
 森脇の眼光が鋭くなる。
「私の稼いだ金を社会正義に反することには使わない。私は死ぬまでエミール・ゾラでありたいんだ」
「エミール何ですか」
「エミール・ゾラだよ。フランスの小説家だ。彼は自らの財を惜しまず、後進や画家の卵の面倒をよく見た。つまり私の金が、いつか若い企業家の役に立てばよい」
「御存念よく分かりました。つまり直接株を買って、われらの仲間に入るのではなく、私に金を貸してくれるのですね」
 横田にとって他人の生き方など、さほど関心はないようだ。
「ああ、そうだ。金は都合する。ただし利子はトイチだよ」
 トイチとは十日で一割の利息が付くという法外なものだった。
「構いません」
「社長、お待ち下さい」
 留吉は初めて口を挟んだ。
「トイチという意味はお分かりですよね」
「もちろん。それでも構わないと思っている」
 横田が森脇を見つめる。
「それを本気で言っているのか」
「はい。本気です」
 男と男が視線を交わす。もはや留吉の入る余地はなかった。
 結局、横田は担保の問題もあるので、森脇から一千万円しか借りられなかった。希望額は八千万円だが、返ってこないリスクもあるので、さすがの森脇も貸し渋ったのだ。
 帰りのクルマで、横田は得意満面だった。そして留吉に、公開買い付けの指示を出した。
「総会までに一気に勝敗を決してやる」
 横田の百二万株で累積投票の資格はできるが、さらに過半を獲得して、白木屋の経営権を奪おうというのだ。
 これによりプレミアムの額も上がり、それまで売り渋っていた個人株主も、喜んで売ってくれた。
ところが公開買い付けを行おうという矢先、鏡山らは予想もしなかった行動に出る。

 三月一日、会議室では沈痛な面持ちの横田、青白い顔の岩井、そして留吉が詰めていた。
「こんな手を打ってくるとはな。全く盲点だった」
 横田が額に手を当て、天井を仰ぐ。
 森脇から金を借りた直後、白木屋側が独禁法違反だとして、横田を東京地裁に提訴したのだ。その理由は、横田はメリーカンパニイというデパートの真似事のようなOSS(One stop store)を経営していた。それが明らかに白木屋と同種の競争会社だというのだ。
この時代、同種の事業を行う会社を複数持つことは独禁法違反になった。それが認められれば、横田は所有する百二万株の議決権を行使できないことになる。
 岩井が口を挟む。
「問題は業態です。メリーカンパニイのお客様は進駐軍の外人さんに限られており、白木屋とは業態が異なります」
「よく分からんな。もっと分かりやすく説明してくれ」
「白木屋はお客様を選びません。しかしメリーカンパニイは選びます。そこが違うわけです」
「その点を主張すれば、裁判に勝てるというのかね」
「それは――、判例のないケースですから、裁判官次第としか答えられません」
「私は勝てるかどうか聞いているんだ」
 横田の苛立ちの矛先が岩井に向けられる。岩井はしどろもどろになって答えられないので、留吉が助け船を出した。
「それは岩井も分かっているはずです。ただ判例がないものを、弁護士は明確に答えられません」
「どいつもこいつも――」
 横田が舌打ちする。それに対し、岩井が口ごもりつつ言う。
「とにかく東京地裁は三月九日に判決を出します。われわれは、すでにメリーカンパニイに関する書類を提出しました。今は判決を待つしかありません」
「仕方ない。とりあえず待つか」
 横田は吐き捨てるように言うと、会議室を後にした。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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