夢燈籠 狼を野に放て第22回

 目をこすりながら岩井が言う。
「全銀協の誰かから、古荘頭取に横やりが入ったのでしょうね」
 横田が代わりに言う。
「最初から白木屋の株価を俺に上げさせて、古荘と堀が利ザヤを稼ごうとしたんだろう」
「はい。初めから出来レースだった可能性もあります」
「くそ!」
 感情をあらわにする横田を、留吉が抑える。
「待って下さい。何かの付き合いで飲んだだけかもしれませんし、銀行マンや金融屋がよく行く店です。たまたま店で一緒になっただけかもしれません」
「奴らは、そんなことで同席などしない。私に株価を上げさせておいて、奴らは裏でほくそ笑んでいたんだ」
 残念ながらその公算が高いと留吉も思った。
 留吉は冷静に言った。
「しかし、事実関係を確かめずに怒りをあらわにするのは下策です。ここは堀さんに本音をお伺いしてからでも遅くはないはずです」
 横田はしばし考えると言った。
「よし、明日の朝一で日活国際会館に乗り込もう。岩井君、もし古荘と堀が結託していたら、何らかの法的措置を取れるだろうか」
「残念ながら、全くありません。そもそも堀さんと手を組んだと言っても、書類上のことではありませんし――」
「そうだったな。株の売買は自由だ。法的には何の拘束力もない。坂田君、明日は九時に日活会館の前で待ち合わせだ」
 横田はそう言うと、帰り支度を始めた。

 日活会館の前には、映画の華やかなポスターが貼られている。そこに写っているスターたちが、今朝ばかりは偽善者のように見える。
 横田はノーアポだが、堂々と受付で名乗り、堀との面談を願い出た。
 しかし受付嬢と堀の秘書らしき者のやりとりが長引いた。
 すると横田が留吉の耳元で囁いた。
「居留守だ」
 やがて受付嬢が言った。
「堀は所用で出かけております。改めてアポイントを取っていただけますか」
にこやかに「分かりました」と答えると、横田はあっさり日活会館を後にした。
――堀も狸だ。横田がノーアポで来たことで、勘づかれたと覚(さと)ったに違いない。
堀のような人間は、騙している相手の些細な動きにも敏感だ。
「どうするんですか」
「決まっているだろう。奴は千葉銀行に行く」
 横田はキャデラックに乗り込むと、日活会館の地下駐車場が見える場所に止めさせた。
「いいか、こういう時のために、誰がどんな車に乗っているかを確かめておくんだ」
「ははあ、なるほど」
 三十分ばかりすると、横田が「来た!」と声を上げた。
 堀のベンツが地下から勢いよく出てきた。その後部座席には頭が一つ見える。
「よし、追え」
 横田の命に応じ、キャデラックがベンツを追い始める。
 そして横田の予想通り、ベンツは高速道路に乗って千葉方面に向かった。
 ――やはり行き先は「ちばぎん本店ビル」だったか。
 やがて車は、千葉市中央公園前の千葉銀行本店の地下に吸い込まれていった。
「堀も狸だが、こちらの方が一枚上手だ。それを思い知らせてやる」
「古荘頭取まで敵に回すことになりますが、よろしいんですね」
「元々、奴は敵だ」
 そう言うと、横田はキャデラックを降りてビルに入った。
 社長室のある三階まで階段で行くと、横田が段取りを決めた。横田から策を授けられた留吉は、三階の社長室受付に行くと「今、頭取は日活の堀さんと面談中ですよね」と尋ねた。横田は顔が知られているので、留吉の背後で横を見て俯いている。
「はい、そうですが」
「われわれは堀さんの社長室長と秘書です。別の場所から来たので遅れました」
「あっ、そうですか。では、こちらにどうぞ」
 受付嬢が社長室をノックしてドアを開けると、間髪容れず横田が身を滑り込ませた。
「あっ、困ります」
 留吉がにこりとして言う。
「あなたは困りませんよ。困るのは頭取だ」
 そう言うと、留吉はドアを閉めた。
 中に入ると、横田が両手を広げて満面の笑みを浮かべて言った。
「お二人とも、人を騙すのはそんなに楽しいですか」
 社長室のソファーで語り合っていた古荘と堀は、啞然として言葉も出ない。
 その後は修羅場だった。横田は怒りを抑えきれず二人に食って掛かると、二人は口をそろえて「知らぬ」「存ぜぬ」を繰り返した。
 横田は顔を赤くして二人を罵倒した。それは古荘に呼ばれた警備員たちが、横田と留吉を外に連れ出すまで続いた。
 横田は警備員に腕を取られながらも捨て台詞を吐いた。
「この恨みは忘れないぞ。必ず吠え面かかせてやる!」
 それを聞きながら、留吉は横田が終わったと感じた。
 だが横田は、そんなやわな男ではなかった。

 後に分かったことだが、この事件の顛末は単純だった。鏡山は横田の背後に古荘がいると分かると、日銀に手を回して古荘に圧力を掛けてもらった。
 横田と面識もない古荘は、白木屋の株価が上がれば、堀を経由して自分へのリターンも増えるので、堀に「横田に味方するふりをし、株価を吊り上げろ」と耳打ちした。
 表向きは、古荘-堀ラインが横田に付いたことで株価は暴騰した。もっと待つつもりだったが、横田にそれがばれたので、堀は鏡山に株を四百二十五円で買い取ったもらった。堀の背後には、言うまでもなくスポンサーがいる。
堀は白木屋株を九十円台で買っていたので、実に二億円を超える利益が出た。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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