夢燈籠 狼を野に放て第28回

十六
 
鈴木は意気軒昂だった。
「何も心配は要らないでしょう。敵は自ら足枷(あしかせ)を作ってしまったんですから」
 足枷とは、臨時株主総会を開いて増資しようと企(たくら)み、次の総会まで名義書き換えを停止してしまったことだ。つまり、議決権行使を停止されていた横田の株が生き返ったにもかかわらず、名義書き換えは停止したままという状態のことを指している。分かりやすく言えば、横田の百二万株は議決権を行使できるが、鏡山名義の八十万株は白木屋の自己株式となり、議決権を行使できないのだ。
「その通りです。これで鏡山は詰んだということです。なあ、岩井君、そうだろう」
「はい。そういうことになります」
 それでも留吉は心配だった。
「岩井、そう言い切っていいのか。敵は新たな手を繰り出してくるかもしれない」
「いや、商法上、もう手はないはずだ」
 横田が岩井の肩を叩く。
「ほら、そうだろう。これで鏡山はおしまいだ」
 さすがに場数を踏んできているだけあり、鈴木は慎重だ。
「とは言っても横田さん、あらゆるケースを想定しておいた方がよい」
「考えられることとしては――」
 岩井が遠慮がちに言う。
「時間稼ぎをしてくるかもしれませんね」
「時間稼ぎだと」
「はい。まず委任状の確認をしてくるでしょう」
 委任状とは、株主総会実施の際、出席できない株主が誰かに代理を委任するための書類のことだ。これにより株主総会に出席できなくても、議決権が行使できる。しかも代理人は資格制限が設けられていないので、基本的に誰でもなれる。そこに総会屋の入り込む隙ができる。しかし偽物の委任状を持ち寄る者もいるので、主催側は委任状点検作業を行う権利がある。
「そんなものは簡単だろう」
「いいえ。まず委任状の数と株式数を照合し、さらに委任状が本物かどうか、印鑑照合していきます」
「そんなことをしていたら、いくら時間があっても足りないだろう」
「しかし、その権利がある限り、行使してくると思われます」
「行使したところで何ができる」
「一日、一日、じわじわと時間を稼ぎ、こちらが金利に耐えられなくなるのを待つのです」
「何だと、そんな卑怯な手を使うのか!」
 横田が天を仰ぐ。それを見れば、横田が金利に苦しんでいるのは明らかだ。
「鏡山氏は、こうなったら何でもやってくるでしょう」
「潔くない男だ。どうして白旗を掲げない!」
 鈴木が横田をなだめる。
「奴らは白旗など掲げない。こうなったら総会屋の力で何とかしてもらうしかありません」
 留吉が口を挟む。
「待って下さい。そんなことをすれば血を見ることになります」
 双方共に、すでに総会屋だけでなく、暴力団まがいの者まで動員しているのだ。彼らは面子を大切にするので、負けを認めることはない。鏡山陣営が負けを認めようと、その雇った暴力団の面々は横田陣営に恨みを抱き、何らかの復讐に及ぶ可能性もある。
 横田が腕を組んで言う。
「もはや後には引けない。徹底的に叩きのめすしかない」
 留吉がたまらず言う。
「何を仰せですか。われわれは暴力団ではありません」
「そんなことは分かっている。だが、もはや紳士的な態度で総会に臨むわけにはいかない」
「それは社長個人のお考えでしょう。社員を巻き込まないでいただきたい」
「横田産業は私の作った会社だ。気に入らなければ出ていけばよい」
「では、株主総会が終わったら辞任させていただきます」
 その言葉に三人が啞然とする。むろん岩井にも言っていないので、岩井も驚いている。
 鈴木が口を挟む。
「私は第三者なので、坂田君の意思についてとやかく言うつもりはないが、横田さんもたいへんなんだ。少し待ってやってくれないか」
 鈴木には、留吉が横田の懐刀のように見えるのだろう。ある意味、留吉がいるから、鈴木は横田に賭けたのかもしれない。
 横田は怒り狂うかと思いきや、案に相違して猫撫で声で言った。
「坂田さん、そんなことを言わないで、もう少し私を支えてくれませんか。長い付き合いじゃないですか」
 留吉が致し方なく答える。
「分かりました。ただし田島氏や安藤氏が暴力行為に及んだら、即刻辞めさせていただきます」
「分かりました。奴らを引き入れる決断を下したのは私です。坂田さんが、それを好まないことも分かっていました。ですから、その時は握手して別れましょう」
「それで結構です」
 この話はそこで終わり、いよいよ三月三十一日、日本橋浜町の中央クラブでの株主総会を迎えることになる。

夢燈籠 狼を野に放て

Synopsisあらすじ

戦争が終わり、命からがら大陸からの引揚船に乗船した坂田留吉。しかし、焦土と化した日本に戻ってみると、戦後の混乱で親しい人々の安否もわからない。ひとり途方に暮れる留吉の前に現れたのは、あの男だった――。明治から平成へと駆け抜けた男の一代記「夢燈籠」。戦後復興、そして高度成長の日本を舞台に第2部スタート!

Profile著者紹介

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。

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