ええじゃないか第四十四回 「同門のよしみ、ではいかぬか?」

「同門のよしみ、ではいかぬか?」
 そう口にした藤井は、すぐに噴き出した。
「納得いかぬという面だな。さすがは御庭番。ならば、こちらの思惑を話そう。――俺が捕まえんとしている〝大鉈の正十郎〟は、吉田城で御庭番を名乗った男を追っておるらしいのだ。あの男、〝捨て鉢の晋八〟とかいう、名の通った悪党だ。とはいっても、殺しが主で、頭を使ったことはこれまでしてこなかったようだから、急旅で得た仲間が色々吹き込んでおるのかもしれぬな。おっと、話が逸れたな。お前は晋八を追い、捕らえねばならぬ。俺はその晋八を追う正十郎を捕らえねばならぬ。ということは、我らは目的が一致しておるわけではないものの、手を結ぶ余地があるということだ。お互い、手の者が少なくて困っておろう。協力できることはし合おうではないかという提案だ」
 ある程度、納得はできた。きっと、藤井の本音なのだろう。だが、その一端しか口の端に上げていない。それもこれも、藤井とのそれなりに長い付き合いのせいだった。この先輩には、人を人と思わぬようなところがある。
 何も言えずにいると、藤井は口元に笑みを湛えた。
「あまり、悩む余地はなかろうかと思うが。だいぶ、尻に火がついているのではないか」
 その、すべてを見透かすような口ぶりも相変わらずだった。他人の足下を見て、自分の意のままに動かさんとする。藤井太郎左衛門は、そういう風にしか人と関われない、寂しい人だった。
 だが、一方で藤井の言うとおりでもあった。確かに尻に火がついている。調べがあまりに煩雑になりすぎ成果らしい成果も望めなくなりつつある今、目に見える成果――降札騒動を起こし、御庭番を僭称した男の拿捕――は、喉から手が出るほど欲しい。
 結局、打算が勝った。
「やりましょう、藤井さん」
「よい思い切りだ」
 藤井は含むもののない笑みを浮かべた。

 寄せては返す波音が晋八の耳朶を叩いた。
 真夜中の海は驚くほどに暗い。雲がかかっているせいで月が姿を現さず、ただでさえ暗い浜は、少し前を歩くましらすらも闇に塗り込められているほどだった。ただ、海から吹き付ける風だけが、己の存在を証している。
 砂を踏みながら、ましらの先導に従って歩いていると、ふいに乙吉が口を開いた。
「ましら、これから、港に行くんじゃないの」
 港はこの浜の南にある。だが、ましらは北を目指して歩いている。
「いや、港は抑えられてる。向かおうもんならお縄さ」
「じゃあ、どこに行くんだ?」
「行けばわかるよ」
 乙吉が黙ったのをしおに、晋八が声を発した。
「そういや、どうして町で札を撒いたんだ」
 正十郎から逃げ出してから二日あまり、晋八たちは秋葉山や八幡宮、伊勢外宮や稲荷社、とにかく思いつくばかりの神社仏閣の御札を偽造し、町の至る所に撒いた。最後の方はやけくそになって、表通りを駆け回りながら道の真ん中で空に向かって投げ捨て、逃げ出した。おそらくこの二日で百枚近い札を投げまくったはずだ。これを発案したのはましらだった。
「そうさね、めくらましだよ。今、吉田宿は、蜂の巣をつついたような有様だ。そんなときに札を撒いてご覧な、また騒ぎになるだろう。そうなれば、町方役人はそっちに手を回さなくちゃならなくなって、あたしたちに構っていられなくなるって寸法さ」
「なるほど。それでか」
 札を撒いたことで、さらに町は大騒ぎになった。秋葉山や伊勢外宮への巡礼を決めた者も数多くいるらしく、今、履き物屋や呉服屋は人でごった返しているところだという。きっとこの地に逗留している御師は目の回るような忙しさだろう。さらに、これまで頑なに日常を守り続けていた村々も渋々祭りを執り行ない始め、村人たちの練り歩き、乱舞が町にまで雪崩れ込んできている。
 そんな祝祭の気配に押され、この数日、町方役人の追及が緩んだ感触もあった。
「なるほどなあ。すげえな。――でも、ここからどうすんだ。港は目が厳しいんだろ」
「何事にも、裏道はあるもんだよ」

ええじゃないか

山本祥子

Synopsisあらすじ

――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。



慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。

慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。



晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。



* * *



江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――

Profile著者紹介

1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー