ええじゃないか第十回 大博打ってのは
「大博打ってのは、そうそう開かれないもんだよ。そのうち、でかいのがぼんと来る。言うなりゃ、大きな波を待つようなもんだ。男ならでんと構えて、波のうねりに耳を澄ますんだ」
博打狂いが、と反吐を吐きそうになった晋八に、ましらは問いを発した。
「んじゃあ、あんたに聞こうかねえ。波を待つのに一等いい場所は、何処だと思う」
「どこって......そりゃ、賭場だろ。人の流れを知るにゃ、鉄火場の流れを見りゃいいなんてよく聞く話だ」
ましらは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「それは胴元連中が鉄火場を盛んにしたいから言ってる話だよ。今時真に受けるほうがどうかしていると思うがね。よう考えな。鉄火場には、良民の類が来ないだろ。確かに鉄火場では人の動きはわかる。でも、あくまでそりゃ、あぶれ者の動きだけなんだよ」
かちんときた。思わず、問いの言葉に険が増した。
「じゃあ、何処だってんだ」
ほくそ笑んだましらは、下を指した。
「ここだよ」
「橋の上かよ」
「ああ、特に、こういう大橋はいいさね」
身体を大きく反らして欄干から身を乗り出したましらは、豊川の流れに目を落とした。緩やかに流れる川は、吉田宿の姿をさながら鏡のように逆さに映し出し、夏の苛烈な光を四方八方に照り返している。
そのまま、ましらは続ける。
「道の上でも構いはしないんだがね。道は、ともすると幾筋にも分かれちまうから、見逃しがある。でも、橋ってのはそういくつもない。それに、橋は端っこの端にも通じる。外に出ようとするもん、中に入ろうとするもんの動きも一摑みって寸法さ」
まるで講釈師の如き口上に、晋八は飲まれかかっていた。
確かにその通りだ、そう肯んぜざるを得なかったが、同時に疑問も湧いた。
この婆、何者なんだ、と。
小汚い、どこにでもいる痩せぎすの婆だが、言葉の端々に智の影を感じる。博打狂いを名乗っちゃいるが、もしかしたら名のある女なのかもしれない。
油断ならねえ。そんなことを考えていると、ましらに頭を叩かれた。
「ほれ、あらぬ処を見てないで、橋を見とくれよ」
「お、おう」
言われるがまま、橋の上に目を移したのだが――。
「誰もいねえじゃねえか」
ほとんど往来がなかった。
蓑や筵にくるまって欄干の下にへたり込む連中は佃煮にするほどいるが、歩く人間の姿はほとんどない。近隣の農家や町人が行き交っているほか、ぽつぽつと旅人の姿がある程度、特に、お武家さんの姿が乏しかった。東海道を繋ぐ天下御免の大橋とは思えぬほど、橋の上は閑散としていた。
「ずいぶんと寂しいことになってるな」
「そりゃそうさ。数年前に参勤交代しなくていいことになっちまってお武家の行列は絶えてるからね」
「そうだったのか」
「あんた、世事に関心がなさ過ぎだよ。そんなんじゃ、波を逃すよ」
「にしても、人の往来が少ない気がするんだが」
「きっと、お伊勢参りの旅人が少ないんだろ」
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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