ええじゃないか第九回 吉田宿は噂通りの大宿場だった
吉田宿は噂通りの大宿場だった。
さすがに浜松には負けるが、幾重にも升形が配されて曲がりくねった東海道沿いには、旅籠や本陣脇本陣、旅人を相手にした商家が軒を連ねている。城近くには馬や人足がしきりに出入りする大きな屋敷――問屋がでんと門を構えている。
そんな町を尻目にましらが向かったのは、宿場町の西にある天下御免の豊川大橋だった。悠然と流れる豊川が大きく湾曲した畔に建つ吉田城、その西にかかる真っ赤な大橋は、さんさんと降り注ぐ夏の日差しを浴び、陽炎に揺れていた。
乙吉は豊川大橋の欄干から、東岸にそびえる天守を見上げた。
「おお、あれが吉田城か。大きいなあ」
声変わりしていない声を上げ、鼻息を荒くしている。
赤塗りの欄干の隙間から顔を出し、目を輝かせる乙吉を眺めつつ、晋八は鼻を鳴らした。
「あんな小城のどこがいいんだか。あれなら浜松城の方がまだましってもんだし、何なら江戸の御城のほうがよほどでけえぜ」
吉田城の天守は三層、確かに大きな建物ではあるが、将軍のお膝元にいた晋八からすれば、壕に佇む櫓の一つにしか見えない。
欄干に寄りかかるましらは、あんた江戸の人なのかい、と曰くありげに笑った。
「あんた、子供は嫌いかい」
「嫌い、ってよか、どう扱ったらいいかわからねえ」
これまで晋八の周りには子供がいなかった。鉄火場、修羅場には、どうしたって大人ばかりが集まる。
「男の子はお城が好きなもんさ。あんただってそんな昔があったろう?」
「さあてね。遠い昔のこと過ぎて、覚えちゃいねえや。大人になってからの方がよほど楽しいもんに出くわしてるもんで、小さな頃のことなんざ忘れちまったよ」
「違いないね。でも、子供を眺めていると、忘れていたことを思い出した気になる」
「気になる、ってのがミソだな。結局、思い出せはしねえわけだ」
「うるさい男だよ、まったく」
ましらに肩を小突かれた晋八は乙吉の頭を乱暴に小突いた。
「おい、そろそろいいだろ」
「あともう少し」
欄干の柱を強く握り、ぶんぶんと何度も首を横に振る。そんな乙吉に苦々しい顔を向けた晋八は、これからどうする、とましらに水を向けた。
「どうするって何がだい。泊まるところかい。そんなの、いくらでも見つかるよ」
「そうじゃねえよ。大博打の話だ」
ましら一行は、吉田宿に到着するまでに結構な散財をしている。乙吉が欲しいと言い出しては飴や餅を買ってやり、飯屋に入ればお品書きの上から順にすべて頼み、休むときには脇本陣の部屋を借りた。布団を柏にして寝るどころか野宿さえ当たり前だった晋八からすれば、お大名の参勤交代もかくやの豪勢な旅だった。
「婆の懐事情は知らねえが、ぼちぼち寂しくなってきたんじゃねえのか」
ましらはこれ見よがしに顔をしかめた。
「そういう細かい男は何処に行っても女から嫌われるよ」
「残念だったな、これでも結構女にはもてるんだ」
「玄人相手のそれは数えないもんだ」
けっけっけ、と化鳥のように高笑いを上げたましらは、欄干の柱を掌で叩いた。
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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