ええじゃないか第六回 縁側の下で跪いた少女を

 縁側の下で跪いた少女を一瞥した増多屋は続ける。
「これは御用のすべてを叩き込んだ娘でございます。まだ年若なれど、その働きぶりにはご安心いただきたく。この者にすべて任せれば、大過なくお役目を果たせましょう」
「それは上々。ええと」
 庭先の少女は里(さと)と名乗った。
「そうか、お里。頼んだ」
 権兵衛の言葉を受け、頭を下げ直した少女、お里は庭の茂みに消えていった。
 しばらくして、二人は逗留部屋に通された。
 そこは、旅籠の中でも最高級の場と思しき処だった。一階の南庭に面した八畳間で、からりと乾いた風が開かれた障子から流れ込んでくる。枝折戸を備えた庭の向こうには狭い路地が姿を現した。
 振り分けを部屋の隅に置き、床の間に置かれた刀掛けのうち一つに己の大の刀を置いた市之丞は、大小を投げ出すように置き、早くも部屋で大の字に寝そべる権兵衛に声をかけた。
「父上、これから我らはいかがしたらよろしいのでしょうか」
 ああ、ええ部屋だのう、と緊張感の欠片もない声で呟いた権兵衛は、天井を見上げたまま、息子の問いに答えた。
「何もせんでええ」
「は?」
「聞こえなんだか。何もせんでええ。ここからは、御用町人の増多屋やお里とかいう娘にすべて任せればよい。奴らの集めた風聞をまとめるのが我らの仕事よ。それまで一月はあろうからしばらくは暇ぞ。市之丞、悪所に繰り出しても構わんぞ。どうせ時は有り余るほどあるのだ」
 市之丞は頬が火照るのを感じた。悪所に反応したのもそうだったが、何より怒りが先に立った。
「それが、大樹(たいじゅ)様直下の御庭番の言うことですか」
「しっ、声が大きい」
 窘めた権兵衛も、本気で怒っている風はなかった。
  〇
 市之丞たちが江戸城に呼ばれたのは慶応三年五月のことだった。
 和多田権兵衛、ならび市之丞、御城本丸奥能舞台裏へ参るべし――。
 市之丞は、天にも昇る心地がした。
 和多田家は徳川吉宗(よしむね)公が将軍に登った際に紀州藩士から幕臣に取り立てられ、代々御庭番を務めている。普段は御庭御番所の宿直、火事に当たっての将軍警固、城内作事の際の人別改めといった細々とした仕事に当たる御庭番には、おおっぴらには出来ぬ大事なお役目がある。将軍の耳目となり、時には日本津々浦々を巡って天下の風聞を集める忍び働きである。
 二年前に役目に就いたばかり、歳も二十一と年少で、父権兵衛について学んでいた。それだけに、此度の出頭命令には驚いた。御庭番にとって、本丸奥能舞台裏への呼び出しには重大な意味がある。この場において、忍び働きを命じられるのが常なのである。
 かくして、二人して本丸奥能舞台へと向かったのだが――。
 本丸奥能舞台の濡れ縁に将軍の姿はなく、青の裃に身を包んだ小男が立っていた。将軍の代理である、御側御用取次だった。御側御用取次は三方に文を載せ、間を取り次ぐ者がその三方を掲げ持って階段を降り、庭先で平伏する和多田親子の前に置いて、大命の降下は終わった。さながら儀礼のような一幕だった。

ええじゃないか

山本祥子

Synopsisあらすじ

――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。



慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。

慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。



晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。



* * *



江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――

Profile著者紹介

1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある

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