ええじゃないか第三十回 それは、伊勢外宮御師の内山八郎太夫だった
それは、伊勢外宮御師の内山八郎太夫だった。
何のことはない、最初に降った御札の裏に書かれていた人物だった。札の裏に付されるのは、札を授けた神社関係者の名である。念のため、話を聞きに行こうとその足跡を追ったところ、吉田宿の隣、御油宿に逗留していることが判明した。
内山が逗留する宿には長蛇の列が出来ていた。どうやら並んでいるのは近隣の村人たちらしい。市之丞たちもその列に並び、内山に見えた。
「御師の内山八郎太夫である」
通された部屋に座っていたのは、真っ白な麻の行者装束に身を包む、四十絡みの男だった。髪を後ろで束ね、口ひげを蓄える姿は、禰宜神主の類というよりは山賊といった方がしっくりくる。御師はご本山の命に従って各国を渡り歩き、信者に札を授け、御本山への巡礼案内を行なう人々である。街道筋は安全とはいえ、強面でなければできぬ稼業でもある。
内山は、十四日、牟呂村に札を撒いた事実を認めた。どこか誇らしげな口吻だった。
「ようやるのだ。札が売れぬで困った際、天狗の仕業に見せかけたり、名主の家に投げ込んだり。わざわざ年季の入ったものを使ってな。なぜ、と? 昔から、そうすると村の人々が思い出したように札を買い始めるからよ。当今はだいぶ擦れているが、信心深い者もいないわけではないからのう」
内山はほくほく顔を隠さない。
「それにしても、今年はとんでもないことになったのう。書いても書いても札が間に合わぬ。まあ、昨年の不作のせいで、ほとんどの村の講が止まってしもうておるから、ようやくこれでとんとんといったところだがのう」
内山の口ぶりは、あくどい商人と重なるものがあった。
発端は、御師が札を売りさばくための手管だった。だが、どうしたわけかこの件に様々な人の思惑が乗っかり、話が大きくなっていった様子だった。
「なんだかなあ」
思わず市之丞はぼやいた。どうされました、とお里に水を向けられ、市之丞は続けた。
「どうやって報告にまとめたらいいんだ、これは」
「ありのまま、伝えるしかありますまい」
お里は突き放したような物言いをした。
この後、市之丞たちは近隣の村々での降札騒動について調べ回った。
てっきり、内山が大々的に札を撒いたのだろうと当たりをつけていたのだが、それは違った。七月十四日、牟呂村での札撒きを自慢げに話していた内山も、他の村での関与はおろか、十五日の札撒きについても否定した。
「今、色んな寺社の札が舞っておるのだろう? わしはあくまで伊勢外宮の御師ぞ。わざわざ商売敵の札を撒く必要はなかろうよ」
内山の弁は理に適っていた。
様々な寺社の御師はもちろん、様々な人々が、様々な思惑で以て札を撒いているのだろう。それを裏付けるような調べもあった。吉田宿内での伊勢神宮降札を引き起こしたのは、王西村の南、市場(いちば)村に住む船頭だった。
なぜこんなことを。そう聞くと、年の頃六十ほどの船頭は、日に焼けた顔を伏せ、ポツポツと答えた。
「生活が苦しくて仕方なかったんじゃ」
市場村は牟呂村からも程近い、三河湾に面した漁村、港である。この村で特筆すべきは、船旅で伊勢に向かう旅人のための船が出ており、渡し賃で生活を立てている者が多いということだろう。この老人も、お伊勢参りの巡礼者相手に櫓(ろ)を漕いでいた船頭だった。
「ここ数年、客がまったく来なくて、銭が稼げず難儀しておった。やむにやまれず、流行りにかこつけて御札を撒いたんじゃ。客足が戻ってくればそれでええ。そう思うたんじゃ」
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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