ええじゃないか第十八回 街道筋の安全と整備を図るため
街道筋の安全と整備を図るため、近隣の村々に申し付けた労役を助郷と呼ぶが、ここのところ、助郷の徴発が増えている。東海道では大名行列が消滅したものの、代わりに和宮の降嫁、将軍家茂の上洛、長州征伐に伴う諸家中の進軍など、例のない大規模な行列が度々通行し、その際の負担が村方にのしかかった格好らしい。
本来助郷は労役を差し出すものだが、人足や馬を銭で雇う事実上の金納に切り替わっていた。享保の頃、御公儀が宿場から遠い村にまで助郷役を割り当て直したのは、金納に切り替わりつつある情勢を睨んだものだったのだろう。だが、ここのところ、人馬借り上げの値も高騰している。そのため、村人たちが泣く泣く自ら助郷役に当たり、村と街道とを行き来している有様だという。近隣の宿場を割り当てられた村ならまだいいだろう。しかし、街道筋から離れた村の人々からすれば、片道一刻はかかる道のりを毎日行ったり来たりすることになる。
吉田の情勢を探るにつけ見えてくるのは、そうした村方の悲鳴だった。
そして、村の疲弊は、そのまま町にも打撃を加えている。
今や、村は銭金の大きな輪の中に取り込まれている。村人は町に出て作物を売り、その金で生活の品や肥料、暮らしを豊かにする品を買って帰っていく。その村人が疲れ果てていては、町でものが売れなくなり、人の往来が減り、諸色の値が高止まりになる。さらに折からの人馬賃高騰で、町方の商人たちは費えの増加に喘いでいる。
では、武家が利を貪っているかといえば、そんなことはない。
吉田家中は数年前から続く不作により年貢の減免措置を取らざるを得なかった。その上、大坂城代まで務めた譜代大名家である。ぺるり来航からこの方、政も動揺を続けている。その波は吉田家中をも直撃していよう。
つまるところ、吉田領内にあっては、武、村、町、つまり徳川の天下を形作る三つすべてが弱り切っているのである。
「とはいっても、なあ」
市之丞は筆の尻で額を掻いた。
これをどう報告しろというのだ、そんな疑問に駆られた。
報告書をまとめる際には、必ず原因の在処、責任の所在を追及するよう言われる。今回の吉田領内での打ちこわし騒動なら、首謀者某は邪なる意図を持って名主や金蔵を襲い......という具合だ。確固たる原因があった方が、すっきり報告をまとめることが出来るのである。
だが、この件に関しては、どんなに頭をひねっても悪役が出てこない。
誰も暴利を貪っておらず、誰も得をしていない。皆が等しく窮乏しているのだ。
もし、強いて、悪い者を挙げるとするなら――。
市之丞は己の心中に浮かんだ恐るべき考えを、全力で否(いな)んだ。
だが、市之丞の心中で、もう一人の己が叫び続けている。悪者がおるではないかと。
吉田家中、村方、町方。そのすべてが疲弊しているのは、徳川の政に瑕疵があるからだ、となるのは、決して突飛な考えではない。もちろん、作柄や気候は天の配剤であり人間がどうこうできるものではないが、暴れる天をなだめつつ下々の者を救恤(きゅうじゅつ)するのが上に立つ者の務めである、というのはさんざ講武所で叩き込まれた経書で学んできたことだった。
次々に恐ろしい考えが頭の上に浮かぶ。だが、文机に頭を打ち据え、その痛みで以て堰き止めた。
市之丞は徳川の禄を食む侍だった。主君、主家を疑うことはあってはならない。徳川は無謬の存在であらねばならぬのだ――。
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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