ええじゃないか第十六回 意味がわからなかった
意味がわからなかった。御札が舞ったことと、臨時の祭りを開くことの関係が今ひとつ見えてこなかった。
若者は続けた。
「いえね、今年は天気の具合も良くて、きっと豊作だろうって噂になってたんですよ。しかも今年は、御鍬百年祭りの年でしょう」
「なんだい、その御鍬なんたら祭りってのは」
後ろのましらが肘で晋八の脇を小突いた。
「伊勢の磯部にある伊雑皇太神宮(いざわこうたいぐう)さんのお祭りだよ。豊作の前祝いをするもんだよ」
へえ、と呟きながら、ましらの博識ぶりに驚いた。だが、なんでそんなことを知っているんだと問いかけるより早く、若者が声を発した。
「で、この村でも御鍬百年祭りの祭礼をやろうじゃないかって機運もあったんですが、ここのところ、村全体が忙しくて流れそうだったんです。でも、ここで御札が降ったんで、これは神意だと若衆が突き上げましてね、こうしてお祭りが開かれたんです」
「ふうん」
説明を終えた若者は、晋八たちに頭を下げ、樽酒のあるところへ向かった。あんなに顔が赤かったのにまだ飲むつもりらしい。
空の升を見下ろしながら、晋八は小首をかしげた。
「なんだってんだ、こりゃあ」
横のましらは、ちびちびと酒をすすった後、口角を上げた。
「あたしにはわかってきたよ」
「なにが」
「この祭りのからくり、さ。まさかあんた、御札が降った、なんて与太話をそのまま頭っから信じてるわけじゃないだろう? 吉田宿で拾った御札には人の名前が入ってた。あの札は人の産物だし、札を撒いたのも、人の仕業さ」
「解せねえ。どうして札なんか撒いたんだよ。暇潰しか?」
ましらは呆れ顔を浮かべた。
「あんたねえ、その答えは若衆が話していたじゃないか。うすぼんやりと生きている奴はこれだから嫌だねえ。さっき、若衆はこう言ってただろ。『御鍬百年祭りの祭礼をやろうとしたが、村全体が忙しくて流れそうだった』って」
「そういや言ってたが、それがなんだってんだ」
「村には休みがないんだよ。天気相手の仕事だし、やらにゃならんことは山ほどある。そんな村方からすりゃ、祭りってのは大手を振って休める日なんだよ。人間、やっぱり休みたいもんだろ? でも、それが流れそうになったとしたら、あんたならどうする」
「何が何でも、祭りが出来るよう取り計らう、か」
「上出来だ」ましらはケラケラと笑った。「あたしは、村の若衆の誰かがどこかで買い入れた札を撒いたんじゃないかって思ってるよ。祭りを開く口実を作るためにね」
「なるほどねえ。だが、腑に落ちねえな。だってよ、こう言っちゃ何だが、札が撒かれただけだぜ? 祭りをやるかどうか決める村の乙名衆が、紙切れが撒かれたくらいで方針(きまったこと)を変えるもんだろうかね」
これまでひたすら実利の中で生きてきた晋八の実感である。信心深い手合いもいるだろうが、物事を決める人々の多くは信心と実利を分けて考えている。御札が撒かれたくらいで祭り開催に傾く名主たちの心の内がわかりそうでわからない。
「ああー、あんた、なかなかいいね。結構人情が見えてるじゃないか。この辺り、もう少し、調べてみても面白いかもしれないねえ」
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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