ええじゃないか第四十二回 「本当に、訳がわからない」

「本当に、訳がわからない。伊勢外宮、伊雑皇太神宮、八幡宮に天神様......。御札なら何でもいいと言わんばかりです」
 お里が弱音を吐くのは珍しい。その旨を口にすると、言いたくもなります、と唇を尖らせた。
「調べを進めれば進めるほどわかりますが――。この降札騒動に何者かの策謀を見出すことは難しいのです。皆がてんでんばらばら、違った思惑を元に札を撒いている。この調べに意味があるのかと考えてしまいますよ」
「かもしれぬ――」
 気が滅入りそうになる中、そういえば、とお里は言った。
「こんな例が出たんです」
 そう言って、お里はある御札を差し出した。
 浜松の北にある秋葉山の御札だった。
 いや、正しくは、秋葉山の御札を名乗る何かだった。
 確かに御札の体裁は取っている。だが、いかにせん文字が汚い。神社仏閣で配られる御札は、普段数百数千と文字を書いている人の手によるものゆえ、放っておいても達筆になる。だが、目の前にある札は全体の体配を取らぬまま書いたのか、最後の方がはみ出しそうになって、結局字が小さくなっている。明らかに、書き慣れぬ者の手によるものだった。
「今日は百枚、この札が撒かれたようです。こんなのでも験があるようで、秋葉山に行こうと示し合わせている者もちらほらあるとか」
「それがどうしたんだ」
 吉田宿で巻き起こっている降札騒動の一つ。それくらいにしか思えなかった。あえてお里が話の種に上げるからには何かある。そう思い水を向けると、果たしてお里は続けた。
「この札に関しては、撒いている者たちの風体が知れています。老婆、渡世人、年端のいかぬ子供の三人です。町中を駆け巡りながら、白昼堂々、札を辺りに撒き散らかしていたみたいで、町の人がしかと見ています」
 まさか――。
「例の三人組か」
 村方での降札騒動を調べている際に浮かび上がった、名主と若衆の間に入って金を巻き上げていた連中が、まさにそんな三人組だった。
「その三人組がどうした」
「いえ、こうは考えられないかと思ったのです。もしかして、御庭番を名乗って吉田家中から金を巻き上げようとしたのは、この三人組ではないのかと」
「む?」
「此度の降札騒動を受け、件の三人組は村方での騒ぎを大きくします。もしかしたら、町にも札を撒いていたのかもしれません。そうやって世が乱れれば、欺しがやりやすくなります。人の心が浮ついていれば、足下をすくうのは簡単なことですからね」
「つまり、例の三人組は、吉田宿を混乱させて、仕事をやりやすくしたと」
「ええ。それが予想外に上手く行って、城に欺しを仕掛けても大丈夫とでも思い上がったのではないですかね」
 何の証もない話だったが、辻褄は合う。村方で騒ぎを大きくし、それを町方に引き込み、さらに城にまで手を伸ばす。どんどん仕事を大きくしている感もある。
 だが、解せぬ部分もあった。
「御庭番を騙って吉田家中から追われているだろう今になって、なぜ秋葉山の札を白昼堂々撒く?」
「さあ」お里は肩をすくめた。「悪党の事情など知りませんが、いずれにしても、これは機です。若様はなんとしても御庭番を名乗った男を捕まえねばならない。せっかく向こうが顔を出したのです。この機を捉えぬ謂れはありません」
「なるほど、な」
 そうやもしれぬ、と腕を組むと、部屋の外から声がした。この旅籠の女将だろう。
 なんだ、と声をかけると、戸を開けた女将が告げた。
 下に客人がお越しです、と。
 市之丞はお里と顔を見合わせた。この宿場町に知り合いはいない。だが、居留守を決め込む訳にもいかず、刀を差し、階下に降り、帳場の方へ向かった。

ええじゃないか

山本祥子

Synopsisあらすじ

――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。



慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。

慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。



晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。



* * *



江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――

Profile著者紹介

1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある

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