ええじゃないか第四十一回 その包みを片手で受け取った晋八は
その包みを片手で受け取った晋八は、その日のうちに動いた。
一人で標的の屋敷に上がり込み、さんざっぱらに暴れた。
斬った。斬って斬って斬りまくった。
どいつもこいつも弱かった。誰も彼も、刀を前にすると縮み上がって動きが鈍くなる。まるで、心得のない者の舞を見るようだった。晋八はただ、大きく踏み込んで、唐竹割りに斬り伏せてやればそれでよかった。
血の海の上を歩き、死体を足蹴にしながら奥に進み、結局標的も切り捨てた。
だが、このせいで、晋八は江戸にいられなくなった。
向こうの若頭が、晋八に追っ手を差し向けたらしい。
『先生、悪いことは言わねえ。逃げた方がいい。あいつら、あんたを追うために、〝大鉈の正十郎〟を雇った』
名前は知っていた。鉈を武器に死屍累々の山を築く渡世人だという。あまりに暴れすぎ、殺しすぎた。役人を手にかけたせいで、八州廻りにも目をつけられているとはもっぱらの噂だった。
親分が差し出した楕円の紙包みを、晋八は大人しく受け取った。
そして、晋八は久方ぶりに旅の人となったのだった。
吉田宿の町並みが後ろに流れてゆく。昔の話に思いを馳せていた晋八は、ようやく現に引き戻された。
「碌な生き方をしてこなかったんだよ。そのつけが、今になって押し寄せてるってところだろうよ」
「だろうよ、じゃないよ!」ましらは息せき切らしながら怒鳴った。「あんた、そんな面倒な厄介ごとを抱えてたのかい」
「なんだ婆、気づかなかったのかよ」晋八はせせら笑った。「そもそも、流れ者に厄介な過去(むかし)がねえわけねえだろうが。それに婆、賭けってのは、厄介な方が戻りが大きいってのが相場だろう。あんたからしたら、楽しいことになってきたんじゃねえか」
ましらは虚を突かれたように目を何度もしばたたかせた。
ましらとの付き合いがそれなりに長くなるに従い、ましらの精神(こころ)の有り様も少しはわかるようになってきた。この老婆は金が欲しい手合いではない。ただ、ひりつくような鉄火場に身を置くのが好きなのだ、というのが、晋八の見た、ましらだった。
ややあって、ましらは額に手を置き、腹の底から響くような高笑いをした。
「ははは、あんた、わかってきたじゃないか。どんどんいい博打になってるね。楽しい博打ってのは、どんどん厄介ごとが増えるもんだ」
その言葉から虚勢を見出すことはできなかった。博打、その二文字を聞くと、この女は地獄の門にだろうが飛び込んでしまいかねない。狂ってやがる、そう思わぬことはなかった。だが、晋八が特段怖気を覚えないのは、自分とて似たようなものだからだ。同じ穴の狢を同病相憐れむことはあっても、嗤うことは難しい。
「婆、博打がちょいと面白くなってきたところで悪いんだが、これからどうするよ」
「博打のコツは、一度決めたらてこでも動かないことだよ。つまり――」
「なるほど、目指すは市場港だな」
「でも、その前に、ちょいと手を打っておこうかね」
ましらは頬を赤く染めつつ、歯のない口元を緩めた。
どうなってる――?
和多田市之丞は混乱していた。
降札騒動について、一つ一つ調べを進めている。だが、次から次に御札が降る。一日中、ある降札騒動の調査を行ない目処がついたと喜んでいたのに、その日のうちに新たな降札が四件起こったなんてこともあった。いたちごっこどころか、いたちを追いかけているうちにどんどん頭数が増えて、どれを追ったらいいのか目移りして立ち往生している。そんな塩梅だった。
山のように溜まった此度の件の覚え書きを眺めつつ、市之丞は頭を掻いた。
同じく覚え書きを手に書き物をしているお里は、あるとき、こらえ性が切れたのか、筆を文机の上に投げ捨てた。
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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