ええじゃないか第十七回 乙吉の姿が目に入った

 乙吉の姿が目に入った。村の子供たちと追いかけっこに興じているらしい。きゃっきゃと声を上げて杜の中を駆け巡り、鯨幕から出たり入ったりを繰り返している。
 ましらは息をついた。負の感情による溜息でないのは、その表情からもわかった。
「あの子は、誰とでも仲良くなれるんだ。あたしみたいなのにも、無防備に心を開く」
 二人の関係について特に訊いてはいないが、血のつながりはあるまいと晋八は見ていた。ましらの長い手足、痩せた面と、乙吉のころころとした顔立ちはまるで似ていなかったし、口数の決して多くない乙吉は、やはりこの老婆のことをましらと呼んでいた。もし血の繋がりがあるなら相応の呼び方をしたろう。大方、掃きだめのような場所で出会い、身を寄せ合ううちに連れ立つようになった二人なのだろう。
 晋八は皮肉を飛ばした。
「長生きできねえ性質(たち)だな。特に、俺たちみてえな裏道に身を置いてたら、よ」
 軽口が飛んでくると思った。だが、ましらが続いて口にした言葉に、冗談の色はまったくなかった。
「あの子には、日の当たる道を歩いて欲しいね」
 ふん、と鼻を鳴らした晋八は、また乙吉に目を向けた。
 乙吉は、村の子供たちと一緒に、木漏れ日落ちる杜の周りを走っていた。
 子供の追いかけっこから目を離した晋八は、祭りの様子を眺めた。
 お社の近くには、村の乙名衆と思しき老人たちが屯していた。どこかから持ち出した黒紋付に身を包み、床几に座って若者たちの乱舞を検分している。だが、乙名衆の表情は一様に暗かった。いや、喉元に刀を突きつけられているかのような顔をして、脂汗を掻いている。一方の若者たちは、皆、思い思いに舞い狂い、己の時機を捉えて囃子声を上げている。眺めるうち、てんでばらばらであったはずの乱舞やかけ声が時折重なり小さなうねりとなり、渦を巻き始める。だが、そのうねりはすぐにほどけ、混沌の側へと押しやられていく。それはまるで、川の落ち込みで生まれては消える泡のようでもあった。
 なぜか、背中に怖気が走った。だが、どんなに思いあぐねても、晋八がその理由に行き当たることはなかった。


 吉田宿の旅籠に身を置いていた和多田市之丞は、文机を前に凍りついていた。
 これまでの報告をまとめんとしているが、何度書いても上手く行かない。吉田宿ではこのような問題が起こっており、これが原因と思われます。そう断言した瞬間に、そういえばあの件もあった、と、盛り込みきれなかった話が頭をもたげてしまう。しかも、それが案外重要なことにも思えてきて、結局最後には紙を丸める羽目になる。ところが、先ほど書き入れることが出来なかった出来事を盛り込んでみると、己の肌で感じたこととのズレを感じる。かくして、部屋の隅に置かれた屑箱には反故紙が山を為していた。
 吉田宿で起こっていることは、複雑にもほどがあった。
 これは、市之丞が町人の若旦那に身をやつし、周囲に聞き込みし、辺りを検分した上で理解したことだったが――。
 そもそも、吉田宿、いや、吉田領内全体が疲弊していた。
 ここ数年の作柄がよくなかったのは東国全体の傾向だが、比較的温暖であるはずの三河でもその影響は色濃くあったらしく、年貢の減免をお上に求めた地域もかなりの数あったらしい。
 さらに、助郷(すけごう)の負担が村方にのしかかった。

ええじゃないか

山本祥子

Synopsisあらすじ

――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。



慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。

慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。



晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。



* * *



江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――

Profile著者紹介

1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある

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