ええじゃないか第三十一回 この船頭のような例は多かった
この船頭のような例は多かった。
吉田宿では大小合わせ、既に百に迫る勢いで降札騒動が起こっている。その中で御師本人が関わったと思われるものは非常に少なく、村方や町方の者が撒いている場合がほとんどだった。ある者は流行に乗じて金を稼ぐため、ある者は絶えた客足を取り戻すため、またある者は休みを得るため、御師から御札を求め、撒いていた。
村での下手人の多くは若者だった。
「助郷が大変で休みがない。しかも去年までとんでもない不作で皆苦しい思いをしていたところだったんだ。せっかく今年は豊作になりそうだってのに、乙名衆はせっかくの御鍬百年祭りを取りやめるなんて言うんだ。それで腹が立って、名主の軒先に御札を打ち付けたんだよ」
なんと、名主が下手人の場合もあった。
「我らだってわかっておりますよ。若衆が度重なる助郷で疲れ切っていることくらい。先の打ちこわし騒動にも明らかでしょう。でも、ご理解いただきたいのは、疲れ果てているのは我ら乙名衆も同じだということです。最近の助郷は、とんでもない負担になっております。うちの村には馬がいますからまだましですが、いない村にまで馬の差し出しを命じるんですよ。そうした場合、名主がやりくりをして、馬を借り上げるんです。人が足りないときも同じくね。でも、近頃は人馬の借り賃も高止まり。どこの名主も頭を抱えてますよ。なのに、若衆どもは我らの苦衷を理解しようともしない。ま、若者など、往々にしてそんなものですが」
なぜあなたが御札を? すると、名主は声を潜めた。
「結局のところ、若衆に暴れられるのが怖かったんですよ。先の打ちこわしでは、名主が槍玉に挙がりました。苦しい生活への鬱憤が我らに向かった格好ですが――。お上はあの騒動の後、どのようなお裁きをなさったと思います? お叱りの上、名主に罰を与えたのですよ。我らからすれば、家を壊され、お上に叱られの泣きっ面に蜂。やってられません。下の者は突き上げてくる、お上は守ってくれない。我らにとて守りたいものはあります。ならば、自分でどうにかするしかありません」
名主は言う。若衆は結局、休みたいだけなのだと。
「別に我らやお上が憎いわけじゃないんです。ただ、休みたいだけ。要は、名目を与えて休みをくれてやればいい。今、近隣の村々で、御札が降ったのを名目に臨時祭礼を開いているところです。近隣の村がやっていることなら、仮にお上に叱られたとしても居直り出来ますし、若衆も休みを与えられればとりあえず矛を収めます。私からすれば、札撒きは、自らを守る行ないだったのです」
もちろん、中には「暇だからやった」という手合いもあった。
吉田領の降札騒動は、もはや混迷の度を深めていた。
何者かの思惑に踊らされているわけではない。
ただ、札を撒く行為だけが伝播し、利用されている。そんな印象を受けた。
だが、それでは御公儀の報告にならない。どうしたものか――。
頭を抱える市之丞に朗報が舞い降りた。
その話をもたらしたのは、調べ回っていたお里だった。
「若様、お耳に入れたい話が。御札降りのいくつかを煽動した者がおるようなのです」
老婆、男、子供の三人組だった。その三人は村の若衆に「休みが欲しいなら、いい方法がある」と耳元で囁いて御札を渡し、名主に近づいて「打ちこわしを起こさないよう、若衆とかけあってやろう」と甘言を弄して小銭を巻き上げ、結局臨時祭を行なわせるところで落着させて消えていく。そんな者たちがいることが、いくつかの村の聞き込みで判明した。
「おそらく、銭が目的かと」
「なるほど、そういう手合いまで出ているのか」
話を耳にした市之丞に、稲妻の如き天啓が走った。
この訳のわからない降札騒動をこの三人組のせいにすればどうだ?
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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