ええじゃないか第二十回 王西村で見た臨時の祭りから
王西村で見た臨時の祭りから前後して、吉田領内の村々では次々に札が降った。七月十七日には牟呂(むろ)村、七月二十日には羽田(はだ)村で札が振り、札が降った村では臨時祭礼が執り行なわれた。今、吉田領内のそこかしこから、季節外れで例のない祭り囃子が聞こえ始めている。
その機を捉え、ましらたちは動いた。
村々を回り、畑の隅の方で憤懣やるかたない様子で屯している若衆を焚きつけたのである。
「あんたたち、休みは欲しくないかい」
近隣の村で臨時祭礼が行なわれていること、御札を撒き、それを名主に強訴すればいい、そう入れ知恵したのである。
だが、それだけでは金にならない。事前に村名主の処に顔を出し、こう脅す。
「ここのところ近隣の村が騒がしいの、知ってるだろう? あんたらからしたら大変だわなあ。もし騒ぎが大きくなって、打ちこわしになっちまったらどうなることやら」
今年三月、四月に起こった打ちこわし騒動では、若衆の暴走を止められなかった名主が処罰されている。その記憶新しい今、名主たちは戦々恐々としている。
あとは、青い顔の名主の耳元で、こう囁いてやればよいだけだった。
「そうならねえように、ちと、手を回してやろう。その代わり、ちと心付けを貰いたいんだがね」
そうして金をせしめたのである。
これが効いた。
どうしたわけか、吉田領内では若衆と名主の反目が高まり、まともに落とし所を模索できない様子だった。先の打ちこわし騒動が尾を引いているのか、それとも他の理由があるのかは判然としなかったが、こちらにとって好都合なことには間違いがない。そんな二者の間に入り、都合よく操ってやればいいだけのことだった。
「若衆をなだめるには、臨時に祭りを開いてやればいい。あいつら、休みが欲しいんだよ。え? 前例がない? 安心しろよ。王西村とか牟呂村でも、臨時祭礼を開いてる。前例はある」
前例、の二文字が鍵だった。名主は右に倣え、前例大事が合い言葉の連中だ。
そうして臨時祭礼が成れば、若衆からも御祝儀の名の礼金を巻き上げた。
礼金の二重取り、かくして、この通りの豪遊三昧である。
だが――。
晋八には気になることがあった。
ましらの顔だった。
確かに笑ってはいる。だが、ふとしたときに、物思いに沈む一瞬がある。いや、この煮ても焼いても食えぬ老婆に限っては、〝物思い〟などという殊勝なものではあるまい。言うなればそれは、悪だくみと呼ぶべきものだろう。
晋八はずいとましらに身を乗り出した。
「おい婆、あんた、まさかここでお終いってわけはねえよな。こんなの、小金をせしめてるだけだ。あんたはもっとでかいことを考えてるんじゃねえのか」
晋八の真っ直ぐな視線から目をそらさずにいたましらは、ややあって破顔した。一分金、二分金を部屋中にばらまいている時分より、嬉しげな表情だった。
「あんた、ほんとに察しがよくなったじゃないか」
「博打好きのあんたにしちゃ、やってることがせせこましいって思っただけだよ」
「なるほどねえ。ご明察。あたしはここで終わるつもりはないよ。村を回って祭りを焚きつけるだけじゃ、やってることは御師の真似事だからね」
「ってことは、これまでのドサ回りは本当にやりてえことのための布石か」
「そういうこった。――なあ、晋八よぉ。あたしが何をしようとしているか、わかるかい? 村々で祭りが開かれるよう焚きつけて回って、実際今、所々の村で祭りが起こってる。あたしらが回っていない村でも札が降ってるくらいだ。さて、あたしは何をしようとしているんだろうねえ」
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
Newest issue最新話
- 第五十回 【三河国編・最終回】2022.06.02
Backnumberバックナンバー
- 第四十九回 この日の浜松城下は雨が降っていた2022.05.30
- 第四十八回 先に当たった火矢のせいで火が回り2022.05.26
- 第四十七回 晋八の前に立ちはだかった者がいた2022.05.23
- 第四十六回 若い侍に、少女だった2022.05.19
- 第四十五回 少し進むと、遙か遠く2022.05.16
- 第四十四回 「同門のよしみ、ではいかぬか?」2022.05.12
- 第四十三回 帳台の向こう、板敷きの上がり間に2022.05.09
- 第四十二回 「本当に、訳がわからない」2022.05.05
- 第四十一回 その包みを片手で受け取った晋八は2022.05.02
- 第四十回 男――、大鉈の正十郎は2022.04.28
- 第三十九回 さすがのましらも頭を抱えた2022.04.25
- 第三十八回 音がしたのは、境内の方だった2022.04.21
- 第三十七回 「大鉈、ですか」2022.04.18
- 第三十六回 講武所で一時期扇斬りという修練が流行った2022.04.14
- 第三十五回 うなじの辺りを掻き、懊悩の中に2022.04.11
- 第三十四回 すると藤井は、肩をすくめた2022.04.04
- 第三十三回 「おや、青木殿。いかがなさいましたかな」2022.03.31
- 第三十二回 同時に降札騒動が勃発したというより2022.03.28
- 第三十一回 この船頭のような例は多かった2022.03.24
- 第三十回 それは、伊勢外宮御師の内山八郎太夫だった2022.03.21
- 第二十九回 御札を拾い、組頭に届けた者の息子が2022.03.17
- 第二十八回 手の中で羽根をばたつかせ、じじじじじ2022.03.14
- 第二十七回 「何が欲しい」2022.03.10
- 第二十六回 藤井は何かを堪えるような顔をして2022.03.07
- 第二十五回 一階に輪をかけて手入れの行き届かぬ2022.03.03
- 第二十四回 愕然とした。父の言葉に、ではない2022.02.28
- 第二十三回 数日前に行き会った光景について話すと2022.02.17
- 第二十二回 確かに大博打だ2022.02.14
- 第二十一回 晋八は腕を組んで考えた2022.02.10
- 第二十回 王西村で見た臨時の祭りから2022.02.07
- 第十九回 市之丞は筆を置き立ち上がると2022.02.03
- 第十八回 街道筋の安全と整備を図るため2022.01.31
- 第十七回 乙吉の姿が目に入った2022.01.27
- 第十六回 意味がわからなかった2022.01.24
- 第十五回 ふぅん、しみったれた村だね2022.01.20
- 第十四回 「ところで」市之丞は切り出した2022.01.17
- 第十三回 お前は今年でいくつになる2022.01.13
- 第十二回 だが、市之丞の気分は2022.01.10
- 第十一回 ましらが言うには2022.01.06
- 第十回 大博打ってのは2022.01.03
- 第九回 吉田宿は噂通りの大宿場だった2021.12.30
- 第八回 現れたのは、先ほど増多屋の2021.12.27
- 第七回 屋敷に下がり、降された書状を2021.12.23
- 第六回 縁側の下で跪いた少女を2021.12.20
- 第五回 そこに、一人の男が座っていた2021.12.16
- 第四回 本当の名は忘れちまったよ2021.12.13
- 第三回 ここは浜松、夜を徹して歩けば2021.12.09
- 第二回 ずいぶん負けが込んでるね2021.12.06
- 第一回 遠くに三味線の音が聞こえる2021.12.02
- 連載開始告知2021.11.29