ええじゃないか第二十二回 確かに大博打だ
確かに大博打だ。吉田の殿様相手に金を巻き上げようとは、大胆不敵な考えだ。しかも、江戸暮らしが長かった晋八からすれば、理に適ったやり方にも感じた。
晋八は顎に手をやった。
「こいつは悪党仲間から聞いた話だが、お武家さんをカモにするのが一番楽らしいよな。お武家さんは体面があるから何かことが起こってもお上に届けづらい。変に届けようもんなら叱責されて腹を切らされることさえあるらしくて、泣き寝入りすることが多いんだと。昔、大名とか旗本のお屋敷を狙って盗みに入る泥棒がいたっていうからな。その辺も狙ってやがるのか」
「そういうこった」
いよいよ、目の前の老婆に空恐ろしさを覚えてきた。
だが待て――。
「となると、御庭番の真似事が必要になるはずだが......。だれがやるんだ。婆が男の振りはできねえし、乙吉じゃあなあ」
一人で黙々とおはじき遊びに興じる乙吉を眺め、息をついた。
ややあって、晋八の口から変な声が漏れた。
ましらが駄目、乙吉でも不適格となれば、残るは――。
「婆、最初から、このために俺を仲間に引き入れたのか」
「いや、そうでもないよ。でも、がたいのよくて思い切りのいい男は、色々使い勝手がよくて助かるね」
にんまりとましらが笑う様を眺めながら、のっぴきならぬところまで足を踏み入れてしまったことに、ようやく晋八は気づいた。もっとも、逃げ出そうという気はしなかった。さんざん危ない橋を渡ってきて、もはや、怖いという感覚は削られ切っている。
「まあ、乗りかかった舟ってやつだな」
いざとなりゃ、俺一人の身くらい、どうにでもなる――。二つ名の通り、捨て鉢に晋八は頷いた。
「は? 吉田宿の打ちこわし事件については、もう調べなくてもよいのですか?」
浜松旅篭町の旅籠増多屋に戻った和多田市之丞を待っていたのは、突然の命令変更だった。
和多田親子のために宛がわれている部屋は、少し目を離した隙に足の踏み場もなくなっていた。紙束や反故紙が散乱している。恐らくは報告の書き損じなのだろう。親子、変なところで似るものだ、と市之丞は変な感慨を持った。もっとも、まったく処分していないわけではなさそうで、縁側には季節外れの火鉢が置かれ、煌々と炭が熾っている。火鉢の上に煤や焼け残りの灰が残っているのを見るに、最重要な文書は処分した後なのだろう。そんな部屋の真ん中に座る父、権兵衛は、軽い咳を何度も繰り返した。この日の権兵衛は、増多屋から借りたのであろう格子柄の麻浴衣に身を包んでいた。武士にあるまじき軽装に顔をしかめる市之丞の前で、権兵衛は間延びした声を上げた。
「数日前、江戸から文が届いてのう。御公儀(江戸)はそなたらの調べである程度納得したようでな。他の仕事を命じてこられておる」
床に転がる紙を足でどけ、市之丞は権兵衛の前に座った。
「お任せください、父上。必ずやそちらも成功させて見せます」
「――御公儀(江戸)からの伝言ぞ。『吉田領内の御札降り騒動について調べを進めよ』とのことだった。わしにはさっぱりわからぬのだが、そなた、何か知っておるか」
御札の二文字を聞いた瞬間、ある光景が頭を掠めた。数日前、吉田宿で見かけた、御札を持って東海道を走っていた男。その男は何か細長い紙切れを持っていなかったか。その男は『御札が降ったぞ』と触れていなかったか。見かけた際には大して気にも留めなかったが、今になってその光景が鮮明に思い出される。
Synopsisあらすじ
――それは、江戸と京を結ぶ東海道のど真ん中で起こった。
慶應三年五月。三河国浜松宿に一つの影が落ちた。無宿人の晋八。「憚りのある旅」で、江戸から逃げてきた。
慶應三年六月。同じく浜松宿に二つの影が落ちた。和多田権兵衛と息子・市之丞。この先の吉田宿に不審あり、調べるべしとの大命を携えた御庭番の親子である。
晋八は浜松で得たおかしな二人連れと、市之丞は御用町人の娘を供に、吉田宿に辿り着き、奇妙な光景を目の当たりにするのであった。
* * *
江戸時代最後の年に起こった史上最大の騒乱「ええじゃないか」。煽る者、翻弄される者、機に乗じようとする者、真理を見定めようともがく者。巨大な時代のうねりの中で、彼らが見たものとは――
Profile著者紹介
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科考古学専攻卒。第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。著書に『蔦屋』『曽呂利!』『奇説無惨絵条々』『廉太郎ノオト』『絵ことば又兵衛』『西海屋騒動』『北斗の邦へ翔べ』などがある
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