168時間の奇跡第47回

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 黒い外壁の直方体の建物......Z県の「キング犬舎」の駐車場に、涼也はエルグランドを停車させた。
 車内のデジタル時計は、ちょうど午前九時になったところだった。
「さあ、いよいよ出陣だ。昨夜の打ち合わせ通り、華やセンターの人達が犬を保護している間に、僕は工藤代表を説得して自首するように促す。達郎は、センターの方々と一緒に子犬達を運び出すのを手伝ってくれ」
 涼也は、助手席の華から後部座席の達郎に視線を移して言った。
 涼也は宅配便の配送員を装うために作業着を着ていた。
 十数秒遅れで、涼也達の乗るエルグランドの横に二台のハイエースが停車した。
 一台にはZ県動物愛護相談センターの男性職員の西田が、もう一台には同じく男性職員の下平が乗っている。
 西田は華の後輩で、下平は先輩だった。
「長谷社長には、『キング犬舎』に踏み込むことをさっきメールで伝えておいた。沙友里ちゃんからは、相変わらず連絡がないらしい」
「警察のほうは、何時頃踏み込んでくるのかわからないんだよな?」
 達郎が訊ねてきた。
「ああ。でも、今日、家宅捜索するのは間違いないようだ。じゃあ、行こうか」
 涼也は、達郎と華に言うとドアを開けた。
 三十センチ四方の空の段ボール箱を抱え、車外に出た。
 三人が車から降りると、ハイエースに乗っていた西田と下平が後に続いた。
 涼也は一人で、「キング犬舎」の建物に向かった。
 華、西田、下平、達郎はインターホンのモニターに映らないように四、五メートル離れたところで待機していた。
 アルミ製のドアの前で立ち止まり、涼也はインターホンを押した。
『はい? どちら様ですか?』
 スピーカーから、若い男性の声が流れてきた。
「宅配便をお届けにきました!」
 涼也は、溌溂とした声で言った。
 ほどなくすると解錠の音に続き、ドアが開いた。
 顔を覗かせたのは、Tシャツにデニム姿の二十代と思しき青年だった。
「こちらに、サインを頂けますか?」
 涼也が差し出したボールペンを握ろうとした青年の手を掴んだ。
 視界の端で、達郎、華、西田、下平が駆け寄ってくるのが見えた。
「ちょっと、なにする......」
 青年の腕を手前に引き外に出すと、入れ替わりに涼也は建物内に踏み込んだ。
 犬達の吠え声の大合唱が、涼也の鼓膜に雪崩れ込んできた。
 視界に広がるスクエアな空間――一メートル四方のケージが三面の壁沿いにびっしりと設置されていた。
 ざっと見て、十組はあるだろうか。
 一組のケージに、二頭ずつの子犬が飼育されていた。
 トイプードル、キャバリアキングチャールズスパニエール、シーズー、パグ、フレンチブルドッグ、チワワ、柴犬、ボストンテリア、ミニチュアシュナウザー、ポメラニアン......様々な犬種がいるが、一目で血統がよさそうな姿形だとわかる個体ばかりだった。
 毛艶もよく、健康状態も良好そうだ。
「あなた、なんですか!?」
 奥の扉が開き、派手なメイクを施し金髪をお団子にしてピンクのセットアップを着た中年女性が現れた。
 金髪女性が扉を開けた瞬間に、別の犬達の吠え声が漏れてきた。
 奥のフロアにも、犬はいるようだ。
「てめえ、勝手に入るな......痛てっ......」
 涼也に掴みかかろうとしたさっきの青年が、乗り込んできた達郎に右腕を逆手に捻られ顔を歪めた。
「余計なまねをせずにただの使用人でいたほうが、軽い罪で済むんだけどな~」
 達郎が、人を食ったような口調で言った。
「動物愛護相談センターの者です。動物愛護管理法の虐待罪の容疑で通報がありましたので、これより立ち入り検査をします」
 華がIDカードを掲げつつ、金髪女性の前に歩み出て告げた。
「はぁ!? 立ち入り検査!? この子犬達が虐待されているように見えるわけ!? あんた、眼鏡かけたほうがいいよ」
 金髪女性が目尻を吊り上げ吐き捨てた。
 若作りしているが、四十は超えていそうだった。
「これは、『キング犬舎』の子犬達ですよね?」
 華が、スマートフォンを金髪女性の顔に向けた。
 ディスプレイには、真理子から送られてきた子犬達の屍の画像が表示されていた。
「これは......」
 金髪女性が、顔を強張らせ絶句した。
「奥の部屋を、確認させて頂きますよ」
「ま......待って! こんな差出人不明の写真だけで勝手に......」
「信憑性のある通報があった場合、動物愛護管理法により立ち入り検査は認められています」
 華は金髪女性を遮り言った。
「そこをどいてください」
 西田と下平が、ドアを塞ぐように立つ金髪女性の前に歩み出た。
「いい加減にしないと、警察を......」
「なんの騒ぎだ?」
 いきなりドアが開き、白い短パンにアロハシャツ姿の太った中年男性が現れ野太い低音で金髪女性に訊ねた。 
 百八十センチは超えていそうな長身、アロハシャツのボタンを弾き飛ばしそうな突き出た太鼓腹、剃り上げられた頭......工藤の容貌は、どこから見てもその筋の人間に見える。
 だが、街金融時代に多くのヤクザを相手にしてきた涼也の経験から、工藤は本職(・・)でないと見当をつけた。
 どれだけ風貌がいかつくても言動が悪くても、本物のヤクザは独特の空気を醸し出しているものだ。
「この人達、動物愛護団体の人みたいだけど、ウチが子犬を虐待しているって通報があったみたいで、立ち入り検査をするとか言っているのよ! ガツン! と言ってやってよ!」
 強力な援軍を得た金髪女性が、急に強気になり工藤に言った。
「ほう、あんたら、動物愛護相談センターの人達か?」
 工藤が言いながら、据わった眼で涼也達を見渡した。
 華は怯むことなく睨み返していたが、西田と下平は工藤の迫力に気圧され気味だった。
「因みに、僕と彼は付添いだから」
「あ? 付き添いだと? 愛護団体の奴らはわかるとして、部外者のお前がなんの用だ? おお?」
 涼也が言うと、工藤が凄みを利かせてきた。
「彼は保護犬施設の人で、私達が依頼したんです」
 不穏な空気を察した華が、会話に割って入ってきた。
「保護犬屋だと?」
 保護犬を小馬鹿にしたような工藤の言い回しが、涼也の不快指数を上げた。
「通報通りに虐待があった場合、犬達を保護しますから彼らが必要なんです」
 華が言うと、金髪女性が細い眼を吊り上げた。
「だから、虐待なんかしてないって言ってるじゃないさ! あんたら、この人がキレないうちにさっさと帰ったほうがいいよ!」
 金髪女性が、華と涼也に手で追い払う仕草をした。
「そうは行きません。通報と写真が送られてきた以上、奥の部屋を見せて......」
「入んな」
 華の言葉を遮り、工藤が手招きすると踵を返してドアを開けた。 
「ちょっと、あんた!」
 金髪女性が驚愕の表情で工藤の腕を掴んだ。
「いいから、お前は黙ってろ!」
 工藤が金髪女性の手を振り払い、奥の部屋に入った。
 涼也達も、あとに続いた。
 表のフロアの子犬達のときとは違うヒステリックな吠え声が、鼓膜を掻き毟った。
「ひどい......」
 華が声を漏らした。
 表のフロアの半分ほどのスペースには、一メートル四方のケージが十組設置されていた。
 ケージの大きさは同じだが、違うのは一組に五、六頭の子犬が詰め込まれていることだ。
 詰め込まれている子犬達は、表のフロアの子犬に比べて身体が一回り以上大きく肋骨が浮くほどに痩せており、毛艶も悪かった。
 皮膚病で毛が剥げていたり怪我をしている子犬も何頭かいた。
「処分に困っていたから、保護していいぞ。遠慮なく、連れて行ってくれ。あ、そうそう、ついでにこっちも頼むわ」
 工藤が壁際に設置された業務用の冷蔵庫の冷凍室の扉を開け、床に次々となにかを放った。
 魚の冷凍か?
「いやっ......」
 華が悲鳴を上げた。
 達郎、西田、下平が顔色を失った。
 工藤が床に放り投げていた冷凍物は魚ではなく、五体の子犬の屍だった。
「どこに捨てようか困っていたところだ。ここにいる奴らと一緒に持ち帰ってくれ」
 工藤は一方的に言うとセブンスターをくわえ火をつけた。
「こんなことして......こんなことして、ただで済むと思っているわけ!? 許されると思っているわけ!?」
 怒りに震える声で、華が工藤に詰め寄り煙草を奪うと床に捨てて踏みにじった。
「お姉ちゃん、そんなに怒るなって。もちろん、責任は取るさ。動物愛護管理法ってやつは、業者にたいしてはいままで通りだったよな? 懲役刑に問われる改正動物愛護管理法が業者に適用されるのは来年の六月からだ。つまり、いま、俺が負わなきゃいけない責任は、器物損壊の代金だ。死体は五頭だから、一頭につき五万として二十五万......」
 工藤がヒップポケットから財布を抜き、札束を取り出し数え始めた。
「ほら、器物損壊代だ。持ってけ」
 工藤が数え終わった札束を華に差し出した。
「ふ、ふざけるんじゃないわよ! この子達の命を......そんな汚いお金で買えると思っているの!?」
 華は、札束を差し出す工藤の右手を払い除け怒声を浴びせた。
「まあまあ、そんなこと言わずに受け取って......」
 ふたたび札束を差し出そうとする工藤の右手首を、涼也は掴んだ。
「てめえ、なんのつもりだ?」
 工藤がドスを利かせた声で言うと、涼也を睨みつけてきた。
「どうしようもない外道だと思っていたが、お前は外道以下のクズだ」
 涼也は吐き捨てた。
 もし、法律がなければ工藤が人事不省に陥るほど痛めつけてやりたかった。
 だが、法治国家でそれをやってしまえば身柄を拘束されて、保護犬達を救えなくなってしまう。
「あ!? たかだか保護犬屋のお前が、俺をクズ呼ばわりするのか? お前如きに、なにができる? お?」
「安心しろ。保護犬屋が、お前を刑務所にぶち込んでやるよ」
 涼也が言うと、束の間の沈黙後、工藤が高笑いした。
「お前が、いったい、どうやって俺を......」
「木下あゆ十六歳が、お前が経営する栃木の売春宿で客を取らされていたこと、その客に淫行で訴えると金を強請り取っていたこと、林和真二十六歳が三年に亘ってお前の指示で五十頭以上のチャンピオン血統の子犬を盗んでいたこと......これらすべてを、警察に告発した。木下あゆと林和真が自首し、洗いざらい証言してくれた」
「な、なんだと......」 
 涼也の言葉に、工藤が顔色を失った。
「この子達へのひどい仕打ちにたいしての罪を償わせられないのは残念だが......」
 涼也は床に転がる凍った子犬の屍をみつめ、奥歯を噛み締めた。
「お前みたいなひとでなしを、これ以上、のさばらせておくわけにはいかない」
 怒りを押し殺した声で、涼也は言った。
 握り締めた拳に力が入り過ぎ、掌に爪が食い込んだ。
「警察(サツ)が怖くて、金儲けができるか! 保護犬屋風情が、偉そうな口を利いてんじゃねえぞ! 善人面してるが、一皮剥けばてめえも俺と同じでこいつらで商売してるんだろうが!」
 居直った工藤が涼也の腕を振り払い、ケージを蹴りつけた。
 中にいたフレンチブルドッグ、パグ、トイプードル、ポメラニアン、シーズーが驚き、身を寄せ合い震えていた。
「この子達をこれ以上、怯えさせるのはやめろ!」
「いいか! 偽善者、よく聞け! 俺は警察(サツ)にゃ捕まらねえ! 金は腐るほどある! 世界は広いっ。警察(サツ)の手の届かない場所は、いくらでもあるんだよ!」
 涼也の胸倉を掴もうと伸ばしてきた工藤の丸太のような右腕を掴み、身体を捻り巻き込むようにしながら前傾姿勢になった。
 一本背負い――工藤の巨体が背中から床に叩きつけられると、足元から地響きが這い上がった。
「ウチの人になにするんだ! あんた、大丈夫かい!?」
 金髪女性が、血相を変えて工藤に駆け寄ってきた。
「達郎、彼女を拘束してくれ! 華、この子達の保護を頼む!」
 涼也は言いながら激痛に顔を歪める工藤を裏返しにし、用意してきたイミテーションの手錠をヒップポケットから抜くと、後ろ手に捻り上げた両腕をロックした。
 達郎は金髪女性の手首に粘着テープを巻きつけ、華は西田と下平とともに衰弱した子犬達の救出作業を始めた。
 涼也は達郎から粘着テープを受け取り、工藤の足を簀巻(すま)きにした。
「てめえに......なんの権限があってこんなことしやがるんだ!」
 芋虫のように身体をくねらせることしかできない工藤が、口惜しそうに言った。
「物言えぬこの子達の代理人として......」
 言葉を切った涼也は、右膝を曲げた足を高々と上げ、工藤の後頭部に踵で狙いをつけた。
「お、おい......なにをするつもりだ......やめろ......」
「延髄は急所だからな。警察に引き渡さなければならないから、一発だけにしてやる。死にはしないだろうから安心しろ。運が悪くても、手足の何本かが麻痺するだけだ」
 涼也は、冷え冷えとした声で言った。
 ハッタリではなかった。
 子犬達の恐怖と苦しみを、少しでも思い知らせてやりたかった。
 万が一打ちどころが悪くても......。
「た、頼む......お願いだ......やめてくれ......」
 工藤の懇願――無視した。
 宙で止めていた右足の踵を、工藤の後頭部目掛けて勢いよく落とした。
「だめよ! 涼ちゃん!」
 延髄まで僅か二、三センチ――華の絶叫が、寸前のところで涼也の踵を止めた。
「こんな男のために、昔に戻っちゃだめっ。この子達だって......涼ちゃんにそうしてほしいとは望んでいないはずよ!」
 華が凍りついた子犬を抱き上げ、涙声で訴えた。
 涼也はゆっくりと足を下ろし、長い息を吐いた――崩れ落ちるように膝をつき、マルチーズと思しき屍を抱き上げた。
 変わり果てた子犬を抱き締めた。
 頬を伝う涙が、凍った子犬に落ちて弾けた。

168時間の奇跡

画・伊神裕貴

Synopsisあらすじ

36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。

今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。

Profile著者紹介

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。

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