168時間の奇跡第39回
「いまから言う二つのことに協力して頂ければ、私達はおとなしく帰ります。一つは、あなたが長谷社長から引き取った子犬達をこちらで保護させて頂きたいということと、もう一つは彼女とどういうやり取りがあったのかを教えて頂きたいということです」
男性が腕組みをし、眼を閉じた。
「わかったよ。今回だけは、あんたらの顔を立ててやるよ」
おもむろに眼を開いた男性が、虚勢を張ってみせた。
内心、罪に問われることに怯えているのは明らかだった。
ここまでは、華のシナリオは成功していた。
「協力してくれるのですね?」
華が確認した。
「ああ。長谷社長とのやり取りを話すのも、子犬達を返すのもいい。だが、金は返さねえぞ! 俺だって、業者に連絡したりこいつらを運んだり手間がかかっているんだからよ」
金について話すときだけ、男性の口調が熱を帯びた。
「因みに、長谷社長からいくら貰ったんですか?」
涼也は訊ねた。
「ウチは五キロ以下が五千円、五キロ以上十キロ以下が七千円って相場だ。今回は五キロ以下の子犬が六頭だから三万円を貰ったよ。希望者の手元に渡すまで世話したり運んだりしなきゃなんないから、安いくらいだ。儲けなんて、ほとんど出ねえよ」
男性が、開き直ったように言った。
「そのぶん、大学病院と製薬会社から補えますよね?」
すかさず、華が切り込んだ。
「いや、それは......その、あれだよ......」
「三万円はこちらのほうで長谷社長に戻しておきますので、安心してください。それより、長谷社長とのやり取りを教えて頂けますか?」
しどろもどろになる男性に、涼也は助け船を出した。
「そりゃどうも。長谷社長についちゃ、あんたらの読み通りだ。三年くらい前に、共通の知り合いのブリーダーから長谷社長を紹介されてな。売れ残った犬の処分に困っているペットショップのオーナーがいるから、相談に乗ってやってほしいとな」
「それで、長谷社長からお金を貰い引き取った上に、右から左に子犬達を実験台や練習台として横流ししたというわけですね?」
華が皮肉交じりに言った。
「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれ! 長谷社長には、事前にちゃんと説明はしているんだからよっ」
必死に、男性が弁明した。
「つまり、長谷社長は子犬達がどうなるかをわかっていながら、あなたに引き渡していたということですね?」
華が男性の言質(げんち)を取る目的で、念を押した。
「もちろんだ。犬や猫を引き取ってくれっていう依頼人には、包み隠さず全部話している。長谷社長も承知の上で、三年間、上得意の顧客になったってわけだ」
男性が、得意げな顔で語った。
「長谷社長は、どのくらいのペースであなたに子犬を渡しているんですか?」
華が質問を重ねた。
「月に五頭から十頭くらい、年間百頭から百二十頭ってところかな」
「そんなに......」
華が息を呑んだ。
「まあ、それくらいは出るだろうよ。なんせ、工藤のおっさんはぐいぐい長谷社長に商品を押しつけるからな」
「工藤さんというのは?」
涼也は訊ねた。
「さっき言った、俺と長谷社長の共通の知人のブリーダーだ」
「ぐいぐい商品を押しつけるとは、子犬のことですか?」
「ああ。工藤のおっさんは金に汚い強欲野郎だが、扱う商品は一流だ。ドッグショーで入賞するような血筋のいい子犬を数多く輩出するから、セレブ相手の高級なペットショップには人気があるのさ。だが五頭のエリート子犬を卸す条件として十五頭の並犬を押しつけてくる。芸能界で言うバーターってところだな」
男性が肩を竦め、煙草をくわえた。
「副流煙が身体に悪いのは犬も同じですよ」
華がバンのリアゲートを閉めると、男性が鼻を鳴らした。
「バーターってなんですか?」
聞きなれない言葉に、涼也は訊ねた。
「視聴率が見込める俳優をキャスティングしたいテレビ局のプロデューサーの弱味に付け込んで、プロダクション側が無名の役者を押しつけることだよ。知り合いに局で働いている奴がいるんだが、一人の売れっ子をキャスティングするために四、五人の在庫タレントを押しつけられるそうだ。それと同じだ。だが、エリート子犬を入荷するたびに十五頭も売れる見込みのない犬を押しつけられたペットショップはたまったもんじゃない。当然、売れ残りの在庫犬は増え続ける一方だ。五頭、十頭って、在庫犬が増えたら餌代も馬鹿にならないし、散歩やトイレの世話をするスタッフの人件費も労力も馬鹿にならない。長谷社長を庇うわけじゃないが、俺らみたいな業者を使わないと在庫犬が増える一方でやってゆけないんだよ」
「在庫犬、在庫犬って、そういう物みたいな言いかたはやめてください」
我慢できずに、涼也は抗議した。
「俺らにとっちゃ犬猫は商品だ」
男性が開き直ったように言った。
「そもそも、売れ残ったら餌代がどうの、世話する人件費がどうのって、それは人間側の都合ですっ。勝手に値打ちをつけて、お金にならなければ物同然に扱って、犬にだって心はあるんですよ!?」
「俺に当たるのはやめてくれよ。世の中にペットショップってもんがあるかぎり、犬や猫に値がつけられるのは仕方のないことだろうが」
「それは詭弁(きべん)です! どんな理由があろうとも、生き物に値をつけて物のように扱い、利用価値がなくなったら使い捨てるような考えは間違っていますっ」
「だったら、あんたが全部引き取れるのか!? 日本全国のペットショップで売れ残った何千、何万頭の犬を引き取って優しい里親に譲渡するまで世話できるのか!? そんなこと、できるわけないよな? だから、俺らみたいな汚れ役が必要なんだよ!」
涼也は、すぐに言葉を返すことができなかった。
日本全国の売れ残った犬や猫を保護できないのは、仕方のないことだとわかっていた。
だからといって、物言えぬ犬猫が悲惨な末路を辿る様を、指をくわえて見ていることなどできはしない。
だが、男性の言葉は鋭い矢のように涼也の胸を貫いた。
無力感が、涼也の記憶の扉を開けた。
空のステンレスボウル、糞尿だらけの床......密閉された部屋で横たわる黒いラブラドールレトリーバーの子犬......。
涼也は遺骨の入ったペンダントロケットを握り締め、眼を閉じた。
街金融時代に涼也が取り立てたことによって夜逃げした飼い主に置き去りにされ、衰弱して幼い命を落とした黒い子犬へ誓った。
これからは、一頭でも多くの犬を救うと......誓ったはずだった。
それなりに、救ってはきた。
だが、涼也が救うよりも遥かに多い数の犬達がいまも......。
「証拠に、録音しましたから」
スマートフォンを掲げる華の声が、記憶の扉を閉めた。
「なに勝手なことを......てめえ、返せ......」
華からスマートフォンを奪おうとする男性の手首を、涼也は掴んだ。
「情報ありがとうございました」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、涼也は握力を込めながら男性を鋭い眼で睨みつけた。
記憶にあるかぎり、「ワン子の園」を始めてから街金融時代を彷彿とさせる眼つきになったのは初めてのことだった。
「痛てて......わかったから、離してくれ......」
涼也は、男性の手首を解放するとバンのリアゲートを開けた。
華と二人で、トランクのクレートをプリウスに運んだ。
「俺を巻き込まないって約束は、守るんだろうな?」
男性が、手首を擦りつつ訊ねてきた。
「長谷社長の件について、お約束は守ります。ただし、もう二度と長谷社長からの依頼を受けないでください」
華が男性に釘を差した。
「言われなくても、願い下げだっ。あの女のせいで、ひどい目にあったんだからよ。ったく、とんだ災難だぜ。もう、二度と俺の前に現れないでくれ!」
男性は吐き捨てるように言い残し、建物の中へと入った。
「お前達、大丈夫だったか?」
プリウスの後部座席に積んだクレートの中の子犬を、涼也と華で手分けして一頭ずつチェックした。
柴犬、トイプードル、ミニチュアシュナウザー、ミニチュアダックスフンド、ポメラニアン、シーズー......幸いなことに、体調不良の犬はいなかった。
「とりあえず、子犬達を『ワン子の園』に連れて行きましょう」
涼也は頷き、運転席に移動した。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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