168時間の奇跡第38回
☆
「子犬達を、どこに連れて行くつもりかしら」
華が厳しい表情で言った。
代官山からバンを尾行して、三十分が過ぎた。
バンは、井の頭公園沿いの吉祥寺通りを走っていた。
「いまから業者に引き渡すことは考えられないから、飼育施設に連れて行くんだろう。僕と同業であってほしいけど......」
「お金」
涼也の言葉を、華が遮った。
「長谷社長が渡していた封筒は、お金だよね?」
「ああ、多分ね」
「だとしたら、保護犬施設の関係者とは考えづらいわね。かといって、こんな時間に大学病院や製薬会社の関係者が子犬を引き取りにくるとは思えないし、なにより、そうだとしたら逆に長谷社長にお金を払うんじゃないかしら? それに、またお願いします、みたいなことも言っていたでしょう? 何者かな?」
華は質問をしているが、その瞳は確信を持っているようだった。
それは、涼也も同じだった。
恐らく、男性はブローカーに違いない。
ペット業界には、ペットショップで売れ残った犬や猫を引き取る業者が存在する。
業者は、金を貰い引き取った犬猫をパイプのある大学病院、動物病院、製薬会社に売り渡す......つまり、二度、金を手にするのだ。
「そうであってほしくはないけど、業者の可能性が高いかな」
涼也は言った。
「やっぱり、涼ちゃんもそう思う? でも、どうしてわざわざ業者に依頼するのかな?」
華が怪訝そうに疑問を口にした。
真理子が直接大学病院や製薬会社の関係者にペットを渡せば、業者に金を支払う必要がないどころか、逆に代金が手に入るのだ。
「罪悪感」
「罪悪感? どういう意味?」
「子犬達の行く末を知っているからこそ、せめてお金を受け取らないことで心の均衡を保っているんじゃないかな」
涼也は、矛盾した気分で言った。
「だから、業者に汚れ役をやらせるの? どっちにしても、子犬達が哀しい末路を辿ることに変わりはないじゃない」
予想通り、華が矛盾を突いてきた。
男性が運転するバンは、吉祥寺通りから路地に左折した。
五十メートルほど走ったところで、バンがスローダウンした。
バンが停車したのは、「犬猫紹介センター」という看板のかかった建物の前だった。
涼也は、バンと十メートルほどの距離を空けてプリウスを停めた。
「なにが犬猫紹介センターよ」
華が、吐き捨てるように言った。
「どうする?」
「直撃に決まっているじゃない」
言い終わらないうちに、華が助手席のドアを開けた。
「あ、僕も行くよ」
涼也も、車を降りて華を追った。
バンから降りた男性が、リアゲートを開けた。
「ちょっと、いいですか?」
華が、トランクからクレートを取り出そうとしている男性の背中に声をかけた。
「なに?」
振り返った男性が、怪訝そうな顔で訊ね返した。
胡麻塩頭の男性は、四十代後半から五十代に見えた。
「そのクレートにいるのは、『Dスタイリッシュ』の長谷真理子社長から引き取った子犬達ですよね?」
いきなり、華が核心を突いた。
「あんたら誰?」
男性の声音が、剣呑(けんのん)なものに変わった。
「私は、Z県の動物愛護相談センターの職員です。同行しているのは、保護犬施設の者です」
「動物愛護相談センターと保護犬施設の人が、俺になんの用だ?」
「そのクレートにいる子犬達の件で伺いました。『Dスタイリッシュ』の長谷社長からお金を受け取り、引き取った子犬達ですよね?」
華が質問を繰り返した。
「だったら、なにか問題あるのかよ?」
「『Dスタイリッシュ』で売れ残った犬達が虐待されていると、通報がありました」
「そんなの、俺には関係のないことだ。俺はただ、依頼があったから子犬を引き取っただけだからな。まずいことがあるのなら、長谷社長に訊けばいいだろうが」
ふてぶてしい態度で、男性が言った。
「もちろん、そのつもりです。だからこそ、いろいろとお訊ねしたいことがあるのです。この子犬達を、どうするつもりですか?」
華が、男性を問い詰めた。
「どうするって......里親希望者に譲渡するんだよ。あんたの仕事と同じだ」
男性が、涼也に顔を向け目尻の皺を深く刻んだ。
「お言葉ですが、彼は保護犬施設の者です」
すかさず、華が言った。
「ああ。だから、同業だと言っているじゃないか。ほら、見て見ろ。犬猫紹介センターって書いてあるだろう?」
男性が、看板を指差した。
「失礼ですが、どういった方々にお譲りしているのですか?」
それまで事のなりゆきを見守っていた涼也は、初めて口を開いた。
「そんなの、引き取りたいって人に決まっているだろう」
男性が、面倒くさそうに言った。
「希望すれば、実験台や練習台として引き取るとわかっていても譲渡するのですか?」
涼也は言葉こそ穏やかだが、鋭い眼で男性を見据えた。
「な、なにを馬鹿なことを言っているんだ。ウチは、純粋に犬を飼いたいと願う人に譲り渡しているだけだ。話は終わりだ。忙しいから、もう、帰ってくれ」
一方的に告げると、男性は涼也と華に背を向けクレートを台車に積み始めた。
「店の中を、見せて貰ってもいいですか?」
涼也はジャブを放った。
「は? ふざけんな。なんであんたらに見せなきゃならないんだよ!?」
男性が気色ばんだ。
やはり、店内に入れたくない理由があるのだ。
「疚しいことがないのなら、見せてくれてもいいじゃないですか」
涼也は食い下がった。
「疚しいことがなくても、見せるか見せないかは俺が決めることだ! これ以上、しつこくすると警察を呼ぶぞ!」
男性が、逆切れ気味に叫んだ。
「どうぞ、呼びたければ呼んでください」
華が横から口を挟んだ。
「なんだと!? お前ら、業務妨害で捕まるぞ!」
「その前に、警察と一緒に店の中に入ったら捕まるのはあなたですっ」
一歩も退かずに、華が切り返した。
「ど、どうして、俺が捕まるんだよ!?」
華が、涼也に顔を向け目顔で合図した。
涼也は頷きながら、車内でのやり取りを思い浮かべていた。
――真実を言わない場合、虐待罪で詰めようと思っているの。
――動物愛護法が改正されて、虐待罪の法定刑が重くなったからね。でも、犬猫を傷つけたり劣悪な環境で飼育したりしていれば虐待罪が適用されるだろうけど、大学病院や製薬会社に譲渡するのは、残念ながら該当しないんじゃないかな? 引き取った犬猫を山に捨てたりしているなら話は別だけどね。
――わかってる。だから、一か八かの賭けになるわ。
――賭け?
――うん。長谷社長以外ともいろいろ生き物で阿漕(あこぎ)な商売をしているでしょうから、叩けば埃が出ると思うのよ。
――つまり、プレッシャーをかけて長谷社長とのやり取りを正直に話させるという狙いだね?
――そういうこと。改正動物愛護法では、虐待罪は五年以下の懲役または......
「五百万以下の罰金となっています」
記憶の中の華の言葉に、目の前の華の言葉が重なった。
「なっ......」
男性が表情を失った。
「『Dスタイリッシュ』で売れ残ったペットを、長谷社長がどういうふうに処分しているか知っています。だからこそ、いま、私達はここにいるんです」
「だから俺は頼まれただけで......」
「私達の目的はあなたではなく、『Dスタイリッシュ』の長谷社長とこの子犬達なんです!」
華は、男性を鋭い口調で遮った。
「そ、それは、どういうことだよ?」
男性が華の話に興味を示した。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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