168時間の奇跡第37回
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今夜は、「Dスタイリッシュ」の左対面の路肩に停めたプリウスに涼也と華は乗っていた。
初日は右対面の路肩、二日目は「Dスタイリッシュ」側の通りの十メートルほど離れた路肩で張り込んでいた。
毎晩、同じ場所に同じ車が停車していると警戒される恐れがあるので場所は変えていた。
目立たない車種で張り込みたかったので、華のプリウスを使っていた。
「なにか別の事情があるのかな......」
運転席の涼也は、独り言ちた。
涼也と華が、営業終了後の「Dスタイリッシュ」を張り込み始めてから三日が経った。
三日とも真理子は、二十一時から二十二時の間に現れ店に入った。
だが、真理子が金庫室の子犬達を連れ出すことはなかった。
建物に裏口がないのは、沙友里に確認済みだった。
真理子が店に顔を出しているのは、子犬達の世話をするためだろう。
「別の事情って?」
助手席の華が、フロントウインドウ越しに「Dスタイリッシュ」のガラス扉を凝視しながら訊ねてきた。
「たとえば、誰か知り合いに譲るとか......」
涼也は、そうであってほしいという願いを込めた。
「だといいけど、それは厳しいわね」
にべもなく、華が言った。
「どうして?」
訊ねながら、涼也はコンビニエンスストアで調達した無糖の缶コーヒーを差し出した。
「ありがとう。だって、それなら立ち入り禁止の部屋に隠す必要はないでしょう?」
華が缶コーヒーを受け取り、プルタブを引いた。
本当は、涼也にもわかっていた。
沙友里の気持ちを考えての、希望的観測だということを。
しかし、解せないこともあった。
「だから、なにかの事情だよ。だって、子犬達を手術の練習台や製薬会社の実験台に売り飛ばすような人だったら、こんなにマメに世話をしにくるかな?」
涼也は、唯一、引っかかっている疑問を口にした。
「この前もそんな話をしたけれど、不衛生な状態で飼育して体調を崩したら引き取ってくれないからじゃない?」
華はあっさり言うと、缶コーヒーを傾けた。
「僕が引っかかっているのは、長谷社長が自ら子犬達の世話に訪れていることだよ。たまに様子を見にくるのならわかるけど、毎日、自分で世話をするかな?」
「だからよ」
すかさず、華が言った。
「え?」
涼也は、口もとに運びかけたおにぎりを持つ手を宙で止めた。
「スタッフに頼めないような疚(やま)しいことだから、自分でやるしかないのよ。じゃなきゃ、頼めばいいでしょう? 引き取り手が現れるまで、世話をお願いってね。私は、長谷社長はクロだと思うわ」
華が断言した。
「スタッフにはそうかもしれないけど、疚しい事情を話しても頼める知り合いはいるんじゃないかな?」
涼也の言葉に、華がため息を吐いた。
「涼ちゃん。気持はわかるけど、妙な期待を持っちゃだめよ。そのへんの疑問については、散々、話し合ったじゃない。もちろん百パーセントの確証はないけど、スタッフに知らされていない子犬達が金庫室に閉じ込められているという現実を、この眼で見たことを忘れないで」
華が、正面を向いたまま釘を差してきた。
「そうだね。でも、子犬達のためにも沙友里ちゃんのためにも、君の予想が外れていてほしいよ」
涼也は複雑な笑みを浮かべつつ、板チョコを差し出した。
華はブラックコーヒーを飲みながら、甘い物を食べるのが好きだった。
「それには、私も同感だわ」
華が手を横に振った。
「なにはともあれ最優先すべきことは、あの子犬達を救わなければならないって......」
「華!」
涼也は華を遮り、フロントウインドウ越し......「Dスタイリッシュ」から台車を押して出てくる真理子を指差した。
台車にはなにかが積んであり、布がかけられていた。
「あれは......」
華が、涼也に顔を向けた。
「クレートの可能性が高いな」
涼也が言うと、華が頷いた。
真理子は店から二十メートルほど台車を押すと、立ち止まり首を巡らせた。
「タクシーを待っているのかな?」
涼也は、イグニッションキーを回しつつ言った。
「あれがクレートなら、タクシーは断られると思うわ。誰かと合流すると考えたほうがいいわね」
華が真理子から視線を離さずに言った。
真理子がスマートフォンを取り出し耳に当てた。
誰かから、電話がかかってきたようだ。
二、三言交わし、すぐに真理子は電話を切った。
ほどなくすると、通りの向こう側から排気音とともにヘッドライトが近づいてきた。
「電話の相手かしら」
華の呟きを証明するように車がスローダウンし、真理子の前で停車した。
車内の空気が緊張で張り詰めた。
車はバンで、運転席から黒っぽい服に身を包んだ男性が降りてきた。
エンジンはつけたままだった。
およそ二十メートル離れている上に男性はマスクをつけているので、人相はわからない。
だが、腹の出た体型や動きから察して若くはないようだ。
男性がバンのリアゲートを開けると、真理子が台車を押して移動した。
二人でトランクになにかを積み込み始めたが、車で死角になり見えなかった。
「ちょっと、見てくるよ」
「私も行く。カップルのほうが疑われないから」
涼也と華は、用意してきた変装用のキャップとマスクをつけて車を降りた。
すぐに、華が涼也の腕を取った。
こうやって腕を組んで歩くのは、数年ぶりだった。
夜風を愉しみながら散策するふりをして、涼也と華はバンの方向に歩いた。
疑われないように、通りは渡らずに対面の歩道を歩いた。
通りを挟んでバンの前を通り過ぎたときに、真理子と男性がトランクに積んでいるのがクレートだと判明した。
「やっぱり......」
耳元で、華が囁いた。
涼也の腕に絡められた華の手に力が入った。
涼也と華は、足を止めずに二人に意識を集中させた。
すぐに車に戻れるように、あまり離れないようにした。
「これで終わりかい?」
クレートを積み終えた男性が真理子に訊ねた。
「そうよ。はい、今回のぶん」
真理子が、男性に封筒を渡した。
男性が封筒の中身を確認すると、真理子が台車を押しながら引き返した。
「また、頼んます」
声をかける男性に振り返りもせず、真理子は「Dスタイリッシュ」へと戻った。
「僕らも戻ろう」
涼也は早口で呟き、華を促した。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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