168時間の奇跡第24回
☆
「なにがあったか、話してくれない? あなたが泣いているのと、あんこちゃんの右足の怪我は関係しているの?」
亜美の隣に座った沙友里が、質問を重ねた。
あんこを抱き締めた亜美は、嗚咽を漏らしていた。
「父が......あんこを......」
しゃくり上げながら、亜美が言った。
「お父さん?」
涼也は訊ねた。
「亜美は、お父さんと二人暮らしなんです」
沙友里が代弁した。
「まさか、お父さんがあんこちゃんを怪我させたの!?」
沙友里の問いかけに、亜美が涙顔で頷いた。
「だって、お父さん、犬好きだったじゃない」
どうやら、沙友里は亜美の父親を知っているようだった。
「最近、仕事のストレスでイライラすることが多くなったみたいで、お酒を飲んだらあんこに当たるようになって......」
亜美が、涙声を震わせた。
「お父さんは、どんなお仕事?」
「警察官です」
涼也が訊ねると、沙友里がふたたび代弁した。
「警察官? あんこちゃんの前足の怪我は、いつのもの?」
涼也は思わず鸚鵡(おうむ)返しに言ったあと、亜美に視線を移した。
「昨日の夜、お酒を飲んでいた父が私の仕事にあれこれ文句をつけてきて、口論になったんです。怒った父が、あんこに八つ当たりして飲みかけの缶ビールを投げて......。掠った程度だから皮膚を擦り剥いたくらいで済みましたけど、ここのところ酔うとあんこを怒鳴ったり叩いたり......だから、すっかり父を怖がってるんです。この調子だと、あんこがそのうち大怪我するんじゃないかと不安で......」
亜美が、あんこを抱き締めつつ消え入る声で言った。
「缶ビールを投げつけたですって!? 当たり所が悪かったら命にもかかわるのよ! 警察官なのに、なんて人なのかしら!」
沙友里が、怒りに声を上ずらせた。
「亜美ちゃん、仕事のことってペットショップ? それともウチを手伝っていること?」
「両方です。父は昔から私がトリマーや保護犬ボランティアをやっていることに猛反対していました」
「どうして、お父さんは反対したのかな?」
「犬とか猫の毛を切ったりシャンプーしたりしてなにになる? 捨てられた犬の世話をしてなにになる? もっと世の中のためになることをしなさい......それが、父の口癖でした。父は、私に看護師か婦人警官になってほしかったんです」
「なによそれ? 看護師や警察官が立派で、トリマーや保護犬ボランティアは世の中のためにならないっていうの!?......あ、ごめんね、大声出しちゃって」
亜美の父にたいし怒りを露わにしていた沙友里が、我を取り戻しあんこの頭を撫でた。
「娘のことを案ずるのはどこの親もそうだから気持ちはわからないでもないけど、あんこちゃんに当たるのはなんとかしなきゃね。沙友里ちゃんが言ってたけど、お父さんはもともと犬好きだったんだよね?」
涼也は、なぜ犬好きの人間が虐待的行為をするようになったのかの理由に、今回の問題の秘密が隠されているような気がしてならなかった。
「はい。熱烈に、というほどではありませんが、暇なときはあんこの散歩もしてくれていましたし、人並みに犬好きでした。でも、父の夢に私が背いてから、まずは私に当たりが強くなって、それが、原因は犬にあるっていうふうになってきて......」
亜美が言葉を切り、唇を噛んだ。
「なるほど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか......」
涼也は、ため息交じりに呟いた。
「坊主......なんですか?」
沙友里が、怪訝な顔を涼也に向けた。
「諺(ことわざ)で、憎んでいる人にたいしては、その人に関することや物まですべてが憎くなってしまうというたとえさ」
「亜美のお父さんは、実の娘を憎んでいるんですか!?」
沙友里が、驚きの表情で言った。
「もちろん、それはないよ。ただ、愛憎という言葉があるだろう? お父さんは、亜美ちゃんかわいさに男手一つで懸命に育ててきたんだと思う。看護師や警察官にならせたかったのも、娘が将来苦労しないように安定した職業に就いてほしいという親心だったんじゃないかな。でも、亜美ちゃんが選んだのは犬猫を相手にする仕事だった。もしかしたら、お父さんからすれば、犬に娘を奪われたような気になったのかもしれない。奪われたは大袈裟だとしても、娘の人生を邪魔したと......それからお父さんは、犬を目の敵(かたき)にするようになった。あくまでも、僕の憶測に過ぎないけどね」
「そんな......あんこは、なにも関係ないんですよ!」
沙友里が、憤然とした面持ちで言った。
「たしかに、その通りだ。その後、お父さんはどんな感じなの? 謝ったりはしてくれないのかな?」
酒癖の悪い人間は素面(しらふ)のときは大人しく理性的で、人にも自分にも厳しく、その反動でアルコールが入ると箍(たが)が外れて人格が豹変する者が多いのが特徴だ。
酔ったときの狼藉(ろうぜき)は覚えておらず、指摘されたら素直に謝り、そして酔うとまた同じ過ちを繰り返す。
亜美の父親も、そんなタイプなのかもしれない。
「翌日、謝ってくれました。動物病院に連れて行ったのも父ですし......」
亜美が複雑そうな顔で俯いた。
「え? それ、どういうこと? あんこを虐待したの、お父さんなんでしょ?」
「いつも、そうなんです。お酒を飲んでいないときは厳しいけれど優しい父で、あんこのこともかわいがってくれるんです。でも......」
「お酒を飲むと別人になる......かな?」
言葉の続きを引き継いだ涼也に、亜美が頷いた。
「あんこを怒鳴って、蹴ったり叩いたり......もう、私、どうしていいかわからなくて......」
亜美の頬から顎を伝って、テーブルに涙が落ちて弾けた。
やはり、想像通りだった。
野放しにはしておけない。
こういうタイプは、普段がまともが故に余計に厄介だ。
「所長、なんとかなりませんか?」
沙友里が、縋(すが)る瞳で涼也をみつめた。
「とりあえず、今夜は帰らないほうがいいかな。亜美ちゃん、あんこちゃんと一緒に泊めてくれる友達とかいる? なんなら、あんこちゃんはここで預かってもいいからさ」
「そしたら、亜美は私の家に泊めます。もちろん、あんこちゃんも一緒に」
沙友里が言った。
「でも、外泊は父が許してくれません」
「僕から、お父さんには事情を話すから」
「え......」
亜美が微かに眼を見開いた。
「僕がお父さんと会って、話してみて、危険だと判断したらあんこちゃんを保護するから」
涼也は、亜美に力強く頷いて見せた。
「無理だと思います。父は、お酒を飲んでないときは......」
「夜、お酒を飲んでいる頃に伺うつもりだ」
亜美を遮り、涼也は言った。
「それは、やめたほうがいいですっ。お酒が入ったときの父は凄く凶暴になりますから、所長が危険です」
「私も、そう思います。そんなこと、やめてください」
沙友里が、不安げな顔で涼也をみつめた。
「気遣ってくれて、ありがとう。でも、亜美ちゃんだっていつまでも君のところに泊るわけにはいかないし、あんこちゃんを保護するにしても黙って連れ去るわけにもいかないから。大丈夫。君達が思っているより、少しは頼りになる男だから」
涼也はおどけた感じで言いながら、拳で胸を叩いて見せた。
「所長のことは信用してますけど、父は警察官です。揉めたら、どんな圧力をかけてくるかわかりません。父に会うことは、やめてください」
亜美が、涼也に翻意を促した。
「おいで」
亜美の腕からあんこを受け取った涼也は、皺皺(しわしわ)の額に頬をつけた。
涼也の腕に、あんこの速いリズムの鼓動が伝わった。
毎日のように怒鳴られ、叩かれ......どんなに怖かったことだろう。
物言えぬ動物は、それを訴えることも誰かに助けを求めることもできずに、じっと耐えるしかないのだ。
「この子達の精神や肉体を傷つける心なき人間から、身体を張って守ることが僕の使命だよ。たとえ相手が、どんなに社会的影響力のある人でもね」
涼也は亜美と沙友里の瞳を交互にみつめ、物静かだが強い決意を込めた口調で言った。
「所長は、父の恐ろしい一面をわかっていません。お願いですから、直接会って話すことはやめてください」
亜美が、涙目で訴えた。
涼也は、無言で亜美に微笑むとあんこを抱き締め落ち着かせるように背中を撫でた。
「大丈夫だよ。安心して。もう、あんこちゃんに怖い思いをさせないようにするから」
涼也は、あんこに語りかけるのと同時に自らにも誓った。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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