168時間の奇跡第43回

「なにをおっしゃりたいのかわかりませんが、少なくとも私にはお二人のようなボランティア精神は微塵もないです。先天的に欠陥のある子犬でも、適正な値付けをすれば売れないことはありませんから。現に、月に十五頭仕入れた子犬のうち七頭は売れました」
 真理子が表情を変えずに言った。
「でも、残る八頭は金庫室で医療関係者に引き渡される日を待つわけですよね?」
 華が、真理子を問い詰めた。
「それを責めたいのなら、いくらでもどうぞ。『キング犬舎』にいれば百パーセント処分される子犬達も、私が仕入れれば五十パーセントの確率で飼い主のもとで生活できるのです。私はその可能性に賭けて、リスクを覚悟で一頭でも多くの子犬を受け入れています。売れ残ってしまった子犬達は、たしかに実験台や手術の練習台として送り出すことになります。それでも工藤さんのところに戻さないのは、ブローカーに引き渡す一分前に貰い手がみつかるかもしれないからです」
 真理子は言葉を切り、取り出したスマートフォンのディスプレイを涼也と華のほうに向けた。
 
 〇里親募集 〇血統書付きの子犬をお譲りします 〇ワクチン接種、狂犬病予防接種済み 〇実費しか頂きません。

 真理子が見せたのは、複数の子犬の写真とともに里親を募る内容のサイトだった。
「驚きましたか? 冷血漢が子犬の里親を募集しているなんて。これでも、人並みに赤い血は流れています。次の入荷の子犬がくるまでの間、連絡が入るのを待っています。Z県の店舗にも売れ残った十数頭の子犬を飼育していますが、これ以上は増やせません。『犬猫紹介センター』のブローカーに引き渡すのは、最終手段です」
 真理子が、にこりともせずに言った。
「正直、驚いています。こういうお気持ちがあるのなら、どうして僕に相談してくれなかったんですか?」
「そうです。『ワン子の園』に相談すればよかったじゃないですか」
 華が涼也に追従した。
「最初は、そうしようと思いました。でも、考え直しました」
「なぜです?」
 涼也は訊ねた。
「逆にお訊ねします。『ワン子の園』は、月に十数頭の子犬を保護できますか? 一ヵ月だけではありません。毎月、数年に亘って十数頭の子犬を受け入れ続けることを約束できますか?」
 真理子が、挑むような眼で涼也を見た。
 終始無表情だった真理子から、初めて感情が窺えた。
「それは......」
「ですよね? 保護犬施設は期限なしで、里親がみつかるまで時間をかけた飼育ができる。一頭が貰われてから、新しい子犬を受け入れればいいわけですから。でも、私はそんなに悠長に構えてはいられません。さっきも言ったように、『キング犬舎』から月ペースで十数頭の子犬を仕入れなければならないので」
「一頭でも多くの子犬を、『キング犬舎』から救出したい......そのお気持ちは、よくわかります」
 華が悲痛な顔で言った。
「たしかに、涼ちゃんのところにそれだけの子犬を迎え入れる余裕はありません。でも、保護犬施設は『ワン子の園』だけじゃ......」
「それくらい、私が考えないと思いますか? 施設がしっかりしているところには、一通り当たりました。いまいる子に里親が見つかり次第ご連絡します。一頭ならすぐに引き取ることができます。来月になれば何頭か里親に貰われ空きが出る予定なので、もう一度ご連絡ください。どこも、『ワン子の園』と同じで定員に余裕がない状態です。私に必要なのは、毎月、確実に十数頭の子犬を受け入れてくれるところです。だから、人に頼らずすべてを自分でやることにしました。これでも私が虐待をしているというのなら、ご自由に。別に、お二人の理解を得ようとは思いませんから」
 真理子は冷めた口調に戻り、ソファの背凭れに身を預けて眼を閉じた。
 返す言葉が見当たらず、涼也は黙り込んだ。
 華も、無言でタブレットPCの子犬達の画像に視線を落としていた。
 真理子を、誤解していたのかもしれない。
 売り物にならないとわかれば粗大ごみを処理するように、子犬達を処分していたと思った。
 違った。処分どころか、真理子なりのやりかたで子犬達を救ってきたのだ。
「それでも、私は納得できません。もっと早くに、『動物愛護相談センター』に相談するべきでした」
 華が顔を上げ、厳しい眼で真理子を見据えた。
「二年前、知り合いのペットショップのオーナーが通報しました。すぐに立ち入り検査します。そう約束してくれました。約束通り、『動物愛護相談センター』の職員が『キング犬舎』に立ち入り検査をして、劣悪な環境で飼育されていた二十数頭の子犬を保護しました。問題は、そのあとです。通報したペットショップは、三ヵ月後に廃業しました」
 真理子が、眼を閉じたまま言った。
「廃業? どうしてですか?」
 華が間を置かずに質問した。
「工藤さんは関東ブリーダー協会の会長で、関東一円はもちろん、全国のブリーダーに顔が利く業界の有名人です。工藤さんはブリーダー仲間に、『キング犬舎』を告発したペットショップには子犬を卸さないように圧力をかけました。工藤さんが権力者だというのは
事実ですが、全国のブリーダー達が恐れて従っているわけではありません。むしろ、積極的にそのペットショップとのつき合いを断ちました。当然です。『動物愛護相談センター』に訴えるようなペットショップと、取り引きしたいと思うブリーダーはいません。協会に入っていない趣味でやっているようなブリーダーもいますが、個人で子犬を飼うのとは違いペットショップの仕入れ先にはできません。なにより『キング犬舎』と取り引きしていたのは、血統のいい高価な子犬を扱うペットショップばかりです。協会に加盟しているブリーダーにそっぽを向かれたら、商売が成り立ちません」
「見せしめにされたペットショップの二の舞にはなりたくないから、『キング犬舎』の悪行を見て見ぬふりをする......つまり、そういうことですね?」
 華が、燃え立つような眼で真理子を見据えた。
 真理子が頷いた。
「それでも、戦うべきです! 保身のために罪のない子犬達の命が......」
「どう戦えと言うんですか!」
 それまで冷静な言葉遣いに終始していた真理子が、大声で華の言葉を遮った。
「勇気を振り絞って業者が告発したというのに、なぜ、『キング犬舎』はいまだに存続しているのですか!? 立ち入り検査まで入ったというのに、犬は保護されてもあの鬼畜のような男がのうのうと悪事を続けているのはなぜですか!? あなたが言うように戦おうと剣を抜いたペット業者はどうなりましたか!? 援軍を得られないまま、無駄死にしただけじゃないですか!」
 真理子が眼に涙を溜め、鬱積した感情を爆発させた。
 つい数分前までと別人のような真理子に、涼也と華は困惑した。
 もともと熱い思いを持っている人間だからこそ、平静を保つために仮面をつけていたのかもしれない。
 華は、険しい顔で唇を噛み締めていた。
 涼也には、華の忸怩(じくじ)たる気持ちが痛いほどわかった。
 動物愛護法が改正されペットの虐待にたいしての刑罰が重くなったとはいえ、それは飼い主を裁くものであって、工藤のような繁殖業者は対象になっていない。
 通報を受けた「動物愛護相談センター」が立ち入り検査をしても、犬を保護するまでが精一杯で繁殖業者に刑罰を与えることはできない。
 たとえ犬が死んでいても、工藤が問われるのは器物損壊罪だけだ。
「だから私は、自分なりの戦いかたで子犬達を救うことに決めたんです。止めを刺すこともできないのに盾ついて店を閉めなければならなくなったら、犬を救うことができなくなりますからね。私が『犬猫紹介センター』のブローカーに引き渡した数十頭の子犬達の末路は、哀しいものでしょう。でも、その命がそれ以上の命を救ってくれたんです。私は、自分のやったことを後悔していません。生まれ変わって同じ場面に置かれたら、同じ選択をします。非難したければどうぞ。私が子犬達の命を奪ったことに変わりはありませんから、甘んじて受けます」
 真理子が、静かに眼を閉じた。
「非難はしません。長谷社長が『キング犬舎』から子犬達を救うためにやったことだというのは信じます。だからといって、私も考えを改める気はありません。一度でだめなら二度、二度でだめなら三度......工藤って人に罪を贖(あなが)わせるために何度でも立ち向かうべきです! 多くの命を救うためだからといって、犠牲になっていい命なんかありませんっ」
 華が、熱っぽい口調で訴えた。
「じゃあ、どうするおつもりですか? 繁殖業者の罰則が書き加えられた改正動物愛護法が施行されるのは来年の六月......まだ半年以上あります。それまで待つ作戦ですか?」
 眼を閉じたまま、真理子が言った。
「まさか。半年の間に、どれだけの子犬が犠牲になるか......一刻も早く、工藤さんを虐待罪で逮捕します!」
 華がきっぱりと断言した。
「口では、なんとでも言えます」
 相変わらず、真理子の眼は閉じられたままだった。
「長谷社長、これらの写真はどうやって手に入れたんですか?」
 涼也は、タブレットPCのディスプレイを見ながら言った。

168時間の奇跡

画・伊神裕貴

Synopsisあらすじ

36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。

今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。

Profile著者紹介

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。

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