168時間の奇跡第40回

   ☆

 ほかの保護犬達が吠えまくる中、クレートからサークルに移した六頭の子犬達は、ステンレスのボウルに口吻(こうふん)を突っ込み物凄い勢いでドッグフードを食べていた。
「かわいそうに。お腹が減っていたのね」
 応接ソファに座る華が、子犬達を眺めながら言った。
 成長期の子犬は、日に三、四回にわけて餌を与える。
 真理子は日に一度しか店にこられなかっただろうから、子犬達が栄養を十分に摂取できていたとは思えない。
「でも、とりあえず無事に保護できてよかったよ」
 涼也は両手に持ったコーヒーの入ったマグカップの一つを華に渡し、対面のソファに腰を下ろした。
 華は三日間、動物愛護相談センターの勤務が終わったあとにZ県から東京に移動して「Dスタイリッシュ」を張り込んでいたので、「ワン子の園」に戻る車中では泥のように眠っていた。
 子犬達を保護できたので、張り詰めていた気が安堵に緩んだのだろう。
「ありがとう。涼ちゃんも、少し仮眠を取れば? この子達は私が見ているからさ」
「僕は大丈夫だよ。それより、あのブローカーを本当に見逃すの?」
 涼也は、訊きたかったことを真っ先に口にした。
 真理子が売れ残った子犬を手術の練習台や新薬の実験台のために提供していた裏を取るために、ブローカーの男性をこれ以上詮索しないという言葉が真意かどうかを知りたかった。
「そんなわけないじゃない」
「だって、さっき君は......」
「詮索しないのは長谷社長の件については......って、言ったでしょう?」
 涼也を遮り、華が意味深な笑みを浮かべた。
「私達を店に入れなかったということは、見られてまずいことがあるからに決まっているわ。今回は長谷社長の情報がほしかったからああいうふうに言ったけど、終わったら立ち入り検査の申請をするつもりよ。物言えぬ動物達を食い物にしているような人には、鉄槌を下すから!」
 華が、拳を握った右腕を前に突き出した。
「安心したよ。問題は、長谷社長だね」
 涼也が言うと、華が厳しい顔で頷いた。
「長谷社長が子犬達の行き先を知っていながらブローカーに引き渡したということを証明するのは、楽じゃないかもね。ブローカーの証言を音声に残しているとはいえ、彼女が子犬達は里親に譲渡されると思っていたと言い張れば、こっちに否定するだけの証拠があるわけじゃないし」
 華の表情が曇った。
「そこまで性根が腐っている人じゃないと信じたいよ。沙友里ちゃんが尊敬する人だからね」
 複雑な思いで、涼也は言った。
 素直に認めようが認めまいが、どちらにしても、真理子が子犬達をブローカーに引き渡していたという事実に変わりはない。
 真実を沙友里が知ったなら......。
「沙友里ちゃんには、いつ知らせるの?」 
 華が訊ねてきた。
「長谷社長と話してからで......」
 ヒップポケットに入れていたスマートフォンが震えた。
「え......」
 ディスプレイに表示された名前を見て、涼也は息を呑んだ。
「どうしたの?」
 怪訝そうな顔を向ける華に、涼也はディスプレイを見せた。
「長谷社長!?」
 華が素頓狂な声を上げた。
 涼也はスピーカー機能にして、通話キーをタップした。
「もしもし、沢口ですが」
『ご無沙汰しています。「Dスタイリッシュ」の長谷真理子です』
 以前会ったときの印象そのままの、冷静な声が受話口から流れてきた。
「おひさしぶりです。こんな時間にどうしたんですか、などと白々しいことは言いません。長谷社長が電話をかけてきた理由の見当はついています」
『それでしたら、私も単刀直入に申し上げます。ウチにいた子犬達を、中島さん......「犬猫紹介センター」の男性から引き取ったそうですね? どういうことか、理由を聞かせて頂けませんでしょうか?』
 悪びれたふうもなく、真理子が訊ねてきた。
「逆にお訊ねしたいのですが、長谷社長はどうしてブローカーに、お金まで支払って子犬達を引き渡したんですか?」
 涼也は正面から切り込んだ。
『これ以上、店に置いていても売れる見込みがないからです。家具や電化製品を業者に引き取って貰うときも、お金は支払うものでしょう?』
 微塵の疚しさもなく、真理子が言った。
 耳を疑った。
 華も、驚いたふうに涼也を見た。
 だが、里親希望者のもとに行くものだと思っているのなら、いまの言葉も理解できる。「長谷社長、あなたは子犬達の行き先を知っているんですか?」
 涼也はさらに切り込んだ。
 真理子の返答を、華も固唾を呑んで待っていた。
『ええ、医療関係者に引き渡すこともあると聞いています』
 躊躇なく答える真理子に、涼也と華は顔を見合わせた。
「それを知っていながら、子犬達をブローカーに引き渡したんですか?」
『ええ、なにか問題でもありますか?』
 罪悪感の欠片もないような平然とした声で、真理子が訊ね返した。
「医療関係者の手に渡れば、子犬達が命を落とす可能性が高いことを知っているんですよね?」
『はい。医学と医療の日進月歩に動物が重要な働きをしてきたのは、いまに始まったことではありませんから』
 淡々とした口調で、真理子が言った。
 彼女の受け答えからは、子犬達にたいしての良心の呵責は感じられなかった。
 だからといって、開き直っているふうでもない。
 訊かれたから、思ったことを口にしている、という印象だった。
「あなたを尊敬して止まない沙友里ちゃんの気持ちを、考えたことはないんですか?」
 涼也は、真理子の良心に訴えた。
『どうして、沙友里ちゃんの気持ちを考えるんですか?』
 素朴な疑問、とばかりに真理子が質問を返してきた。
「どうしてって......沙友里ちゃんが、売れ残ったからというだけの理由で子犬を物のように処分するあなたを見たら、ショックを受けるでしょう? しかも、彼女が働いているのは生き物の命を扱うペットショップですよ? ウチで保護犬ボランティアをやっていることもご存じですよね? 敬っていた社長が、動物の命を救うのではなく、命を奪うようなことを常習的にやっていると知ったら傷つくことくらいわかるでしょう!?」
 ついつい、涼也の語気が強くなった。
 真実を知ったときの沙友里の気持ちを察すると、真理子にたいして怒りが込み上げてきた。
『彼女は、傷つくでしょうね』
 さらりと、真理子が認めた。
「だったら、どうして......」
『沙友里ちゃんがどう感じるかは、彼女の心の問題なので自由だと思います。それと同じように、私は私の考えでやっていることですから非難される覚えはありません』
 真理子が、淡々とした口調で涼也を遮った。
「では、お訊ねしますが、長谷社長の考えというのはなんですか?」
 挑発したいわけではなく、心底訊きたかった。
 真理子の真意を......。
『ペットの命を扱う仕事だからこそ、彼らに最善を尽くす。これが私の信念です』
 真理子が物静かな口調で、しかし、力強く言い切った。
「子犬達を新薬の実験台にすることや手術の練習台にすることが、あなたの最善を尽くすということですか!? あなたの最善は、医学の進歩のために率先して子犬達の命を提供することですか!?」
 涼也は、真理子を詰問した。
『私、いま、店にいますから、お時間があるならいらしてください。動物愛護相談センターの方もご一緒にどうぞ。お二人に、お見せしたいものがあります。それを見たら、私の行動に理解を示して頂けるはずです。では、お待ちしています』
 一方的に言うと、真理子は電話を切った。
 ふたたび、涼也と華は顔を見合わせた。
 互いに頷くと、ほとんど同時に立ち上がった。

168時間の奇跡

画・伊神裕貴

Synopsisあらすじ

36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。

今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。

Profile著者紹介

新堂冬樹(しんどう・ふゆき) 

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。

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