168時間の奇跡第13回
4
「悪いな。こんな時間まで付き合わせて」
助手席に座った涼也は、ステアリングを握る健太に言った。
「ワン子の園」のロゴが車体に入ったバンは、中野からJR沿いを西へ走っていた。
まもなく、原田進太郎の自宅兼カフェレストランのある高円寺のマンションに到着する。
「今日はもともとテレビの撮影が入るから、配送のバイトは休み取ってますんで全然大丈夫っすよ! 運転も好きだし。それより、里親希望者に抜き打ち訪問するなんて珍しくないっすか? 原田さんって、なにか問題のある人なんすか?」
健太が、訝しげに訊ねてきた。
里親希望者の自宅や職場を訪問すること自体は、たまたま健太が行ってないだけで珍しくはなかった。
ただし、一度目の面談の終わったその日のうちに訪問することは滅多にない。
「いや、そういうわけじゃない。ただ、ちょっと気になることがあってさ」
嘘ではなかった。
原田は心底犬好きで、流行やそのときの気分で飼うようなタイプでないことはわかった。
ましてや、犬好きの仮面の裏で虐待をするような二面性のある人間にも見えなかった。
「なにが気になるんすか? 最近の里親希望者の中では、かなりの好印象でしたけど」
「俺もそう思う。けど、なにかが引っかかるんだよ」
涼也は、思いを口にした。
「なにが引っかかるんすか?」
健太が質問を重ねた。
「それをはっきりさせるために、とりあえず訪問してみようと思ってさ」
心がもやもやする理由を説明しろと言われたら、うまくできる自信がなかった。
原田がなにかを偽っているかもしれないという予感はしていた。
だが、そのなにかがわからなかった。
「あ、そう言えば、達郎さんのところにはいつ行くんすか?」
思い出したように、健太が訊ねてきた。
「原田さんの訪問が終わったら、その足で行こうと思ってるよ」
「俺は、行かなくてもいいと思いますよっ。所長はなにも悪くないし、どっちかって言うと達郎さんのほうがテレビ番組でヤラセを勧めてきたわけっすからね! 謝るなら、達郎さんのほうっすよ!」
怒りの感情が蘇ったのか、健太が強い口調で吐き捨てた。
「たしかに、ヤラセは絶対によくない。でも、彼が保護犬達に一頭でも多く生涯のパートナーを見つけてあげたいという思いから出た発想だからさ。ヤラセの是非の問題と、達郎の保護犬への思いはわけて考えてあげないとな」
涼也は、健太に諭し聴かせるように言った。
「いや、俺は納得できないっすね。だって、達郎さんは所長を偽善者って言ったんすよ!? 所長が偽善者なら、あの人は詐欺師っすよ!」
健太が、さらにヒートアップした。
「こら。そんなこと言うもんじゃない。達郎だって、本気でそんなこと言ってないさ」
涼也は、己にも言い聞かせた。
――俺達保護犬ボランティアが相手にしているのは、犬好きな人達ばかりだ。お前の最大目標の全国殺処分ゼロを実現するには、犬に興味のない人達の意識改革をしなければ不可能だ。保護犬達の実体を知れば、アクセサリー感覚やノリで犬を飼い、飽きたり困ったりで動物愛護相談センターに持ち込む者も飛躍的に少なくなるだろう。
達郎の声が、脳裏に蘇った。
保護犬達の未来を考え貫き通している理念は、独り善がりなのだろうか?
「所長は、お人好し過ぎますって。あそこまで言われたら、ガツンと怒ったほうがいいっすよ。いくら高校時代からの付き合いでも、言っていいことと悪いことがあります!」
健太の怒りの炎は、弱まることなくさらに燃え盛っていた。
達郎に怒る気になれないのは、彼の言葉を受け入れている自分がいるからなのかもしれない。
逆に健太は、達郎にたいして疚(やま)しさが微塵(みじん)もないから怒ることができるのかも......。
涼也は思考を止めた。
いまは、原田のことに集中するときだ。
原田には、クリームの未来がかかっているのだ。
四歳のクリームにとって、今回の機会を逃すと次はいつ声がかかるかわからない。
いや、声がかかるならましだ。
もう二度と、里親希望者が現れない可能性もあった。
「おかしいな......ナビだとこのへんなんすけどね」
路肩にバンを停めた涼也が、フロントウインドウ越しに視線を巡らせた。
ナビが誘導した所在地には、モルタル造りの安普請のアパートが建っていた。
「住所も合ってますねぇ」
原田の免許証のコピーに視線を落としつつ、健太が言った。
「とりあえず、行ってみよう」
「え? でも、原田さんはカフェレストランを経営しているんすよね!? こんなボロ......いや、いくらなんでもレトロ過ぎませんか? そもそも、原田さんの自宅は分譲マンションじゃなかったですか?」
「行けばわかるさ」
涼也は言い終わらないうちに、バンを降りた。
「もしかして、このアパートは分譲なんすかねぇ?」
冗談を口にする健太を無視して、涼也は鉄製の階段を使い二階に向かった。
原田のデータでは、部屋番号は二〇三号となっていた。
グレイのペンキがところどころ剥がれ落ちたドアの前で、涼也は足を止めた。
二〇三号室のネームプレイトに名前は入っておらず、空欄だった。
ドア脇の格子越しの窓からは、明かりが漏れていた。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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