168時間の奇跡第44回
「『キング犬舎』の親しくしているスタッフにお小遣いを渡して、撮って貰ったものです」
「渡す相手を、待っていたんですね?」
涼也が言うと、おもむろに真理子が眼を開いた。
「『キング犬舎』に引導を渡す相手が現れるのを」
言いながら、涼也は華に顔を向けた。
「よかったら、この画像データ使ってもいいですよ」
涼也の問いに答えず真理子は、素っ気なく華に言った。
「いいんですか?」
涼也は真理子に顔を戻した。
「お役に立つならどうぞ。でも、出所は明かさないでください。圧力をかけられたら困りますからね」
「その点は、ご安心ください。情報元の秘密厳守は徹底していますから。でも、『キング犬舎』は営業停止になりますから、仕入れられなくなりますよ」
窺うように、華が言った。
「血筋のいい子犬を扱っているブリーダーは、『キング犬舎』だけじゃないので。それより、私が仕入れ先を変えなければならなくなるようにできますか?」
真理子が、挑むような口調で言った。
「約束します! いまのうちに、新しい取り引き先に当たりをつけておいてください」
華が、自信に満ちた言葉を返した。
「では、画像データを『ワン子の園』に送ります。以前に頂いた名刺のアドレスでよろしいですか?」
真理子が涼也に視線を移し確認した。
「ええ。お願いします」
「では、話は以上です」
真理子は一方的に切り上げると、ソファから立ち上がり社長室を出た。
涼也と華もあとに続いた。
客用フロアに出ると、早く帰れとでもいうように真理子がドアを開けた。
「長谷社長、沙友里ちゃんには......」
「いまから、私が話します」
涼也を遮り、真理子が言った。
「長谷社長が? 大丈夫ですか?」
思わず、涼也は訊ねた。
「ご心配なさらずとも、自分に都合のいいように話したりしませんから」
真理子が、事務的に言った。
「そういう意味で言ったのではありません。ご自分の口から、話しづらいと思ったんです」
「別に話しづらくありませんよ。私は、なにも疚(やま)しいことをしていませんから。あなた方にそうしたように、ありのままの真実を話します」
「わかりました。では、彼女に話したら連絡ください。失礼します」
涼也は頭を下げ、「Dスタイリッシュ」をあとにした。
☆
「今夜は、僕の家に泊って行くだろ?」
プリウスの助手席に座る華に、涼也は訊ねた。
華は無言で、正面をみつめていた。
「華、どうした?」
「え?」
「聞いてなかった? 今夜は遅いから、僕の家に泊るかを訊いたんだよ。明日は遅刻しないように君を職場に送り届けるから」
「あ、ああ......ごめんなさい。そうするわ」
「『キング犬舎』のこと、考えていたの?」
涼也が訊ねると、華が頷いた。
「驚いたよ。子犬達に、あんなことを......」
涼也は唇を噛んだ。
ケージに押し込められ、餌も水も与えられず、死んだら生ごみのように捨てられる......虐げられた子犬達の画像を思い出しただけで、胸が張り裂けそうだった。
だが、どんなに痛もうが、本当に胸が裂けるわけではない。
それに引き換え、子犬達は喧嘩で眼球が潰れ、肉が切り裂かれ、骨が砕けているのだ。
なにもできない無力な自分がもどかしく、腹が立った。
いますぐにでも、「キング犬舎」に乗り込み地獄のような環境で苦しみ喘ぐ子犬達すべてを救い出したかった。
しかし、感情の赴くままに動いても根本的な解決にはならない。
勢いに任せて乗り込み子犬達を保護できても、工藤を捕らえないかぎり同じ地獄が繰り返されるだけだ。
「長谷社長にはあんなふうに言ったけど、いったい、どうするつもりだい?」
「明日の朝、上司に立ち入り検査の許可を貰ってすぐに『キング犬舎』に向かうわ。長谷社長から送られてきた画像を見れば、上もノーとは言わないはずよ」
「立ち入り検査はできても、その先は? 改正された動物愛護法は、個人の飼い主にしか適用できないんだろう?」
涼也は、気になっていることを訊ねた。
「そうね......でも、こうしている間にも子犬達が苦しんでいるのを指をくわえて見ていられないわ。子犬達だけでも......」
「工藤を潰さなきゃだめだ」
涼也は車を路肩に停め、冷え冷えとした声音で言った。
「涼ちゃん......」
華が、驚いたような顔で涼也を見た。
あの子犬が、涼也を改心させてくれた。
涼也が追い込み夜逃げした夫婦に置き去りにされ、衰弱死した黒いラブラドールレトリーバーの子犬が......。
「どうしたの? そんなこと言うの、涼ちゃんじゃないみたい」
「一週間だけ、待ってくれないか?」
涼也は、華のほうを向いて言った。
「一週間!? そんなに待っていたら、子犬達が......」
「さっきも言ったけど、やるなら工藤って男の息の根を完全に止めなきゃだめだ。僕に、任せてくれないか?」
「ねえ、いったい、なにをやるつもり?」
華が、不安げな顔で訊ねてきた。
「なにを聞いても、僕を信じるって約束できるかい?」
涼也は、華をみつめた。
「今日の涼ちゃん、なんだか怖いわ。でも、私は涼ちゃんを信じてる。だって、こんなに動物想いの優しい人なんだもの」
華が微笑んだ。
彼女は知らない。
街金融時代に不良債務者を追い込んでいた非情な自分を......そして、鬼を地獄に連れ戻すには、自らも鬼になる必要があることを。
涼也は眼を閉じ、ペンダントトップを握り締めた。
「ワン子の園」に戻ってこられるように、すべてが終わったら僕を迎えにきてくれ......。
涼也は、黒い子犬に心で願った。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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