168時間の奇跡第10回
「関係は大ありですよ。視聴者が抱いている保護犬のイメージは、一言で表せばかわいそうな犬......ようするに、同情できる風貌と境遇の犬です。衛生的な問題があるので、小奇麗にしているのはいいとして、雑種とか、犬種の平均より倍くらい大きな犬とか、斜視だったり胴が長過ぎたり、そういう貰い手のない要素の犬の画があれば掴みが強くて、視聴率も見込めます」
「あ、いますよ!」
健太が、話に割って入ってきた。
「マルチーズとプードルのミックスのマルプーとか、チワワとミニチュアダックスのミックスのチワックスとか......」
「ああ、そういう最近の流行(はやり)のやつじゃなくて、僕が言っているのは昔ながらの、ほら、焦げ茶色で鼻の周りが黒いような雑種犬ですよ」
健太を遮り、千原が言った。
「あなたは、なにか勘違いしてませんか?」
達郎のためにそれまで我慢していた思いを、涼也はついに口にした。
「僕が、どんな勘違いをしているんですか?」
口調こそ穏やかだったが、千原の眼は笑っていなかった。
「ほらほら、そろそろ撮影を始めないと十時から里親希望者の面接が......」
「たしかに『ワンコの園』には、プロデューサーさんが言うような条件の子はいません。それは、たまたまいまはいないだけで、三ヵ月前までは老犬や犬種の平均より一回り大きな子、もっと遡れば昔ながらの雑種や斜視の子もいました。ですが、人気の犬種でも、身体が平均の大きさでも、老犬でなくても、うちの子達はそれぞれ心に傷を負っています。どんな事情があろうとも、飼い主と離れて動物愛護相談センターに持ち込まれた犬達は、心細く、飼い主が恋しいものです。いつ、迎えにきてくれるんだろうと、飼い主が現れるのを心待ちにしています。迷い犬で保護された場合を除いては、飼い主が迎えにくることはほぼありません。それを画になるとかならないとかで判断するのは、納得できません」
涼也は、場をおさめようとする達郎を遮り千原に思いの丈をぶつけた。
同時に、いまの環境に馴染まないように自らにも言い聞かせた。
知らず知らずのうちに、「ワンコの園」の保護犬に慣れていきそうな自分が怖かった。
どれだけ保護犬達に愛情を注いでも、涼也は飼い主にはなれない。
いや、なってはならない。
里親ボランティアの使命は、保護犬達の生涯のパートナーをみつけてあげることだ。
涼也には、常時三十頭の子供達がいる。
一頭巣立てば一頭を迎え入れ、また、一頭巣立てば一頭を迎え入れる。
涼也が、一頭の保護犬のためだけを考え、一頭の保護犬のためだけに時間を費やす日がくることはない。
涼也の役目は、運命に傷つけられ、人間を信用できなくなった犬達に人に愛されることと愛することを思い出させることだ。
この子だけをみつめ、この子だけに時間を費やすパートナーのもとへ送り出すために......。
「まあまあまあ、そう熱くなるなって。千原さんだって、それくらいわかってくれているから。ねえ、千原さ......」
「勘違いしているのは、所長さんのほうでしょう?」
千原が、達郎を押し退け涼也の前に歩み出てきた。
「どういうことです?」
「所長さんの言っていることは、理想論です。現実は、そんな奇麗ごとじゃ済みません。保護犬達を一頭でも多く救いたいのなら、一人でも多くの視聴者に番組を観て貰うしかないってことです。そのためには、視聴率を稼がなければなりません。もう、おわかりでしょう? ありのままを伝えたいという所長のお気持ちはわかりますが、生憎、視聴者はそんなに単純じゃありません。民放の視聴率競争にくわえて地上波ではできないような過激な番組を提供するネットまで参戦して、いまの視聴者はちょっとやそっとの刺激では感動できない体質になってるんですよ。インパクト大の画面がないと、すぐにチャンネルを替えられますからね。つまり、僕が仕込みをしなければならないと言ってるのは、所長さんの目的を果たすためなんですよ。これで、わかって頂けましたか?」
千原が、恩着せがましく言った。
「そうだよ、涼也。千原さんも、ただ面白おかしくしようとして仕込みをやろうって言ったわけじゃないんだよ」
達郎が、作り笑顔で取りなしてきた。
「視聴者の同情を引くために、憐れに見える犬をどこかから連れてきてまで目的を果たそうとは思いません。それに、たとえ視聴率が稼げて多くの人に観て貰えたとしても、表面的な物事で判断するような里親希望者に、この子達を送り出すわけには行きませんので。ありのままの姿を撮って頂けないのなら、どうぞお引き取りください」
涼也は、きっぱりと言った。
「おいおいおいおい、なに言ってるんだよ。すみません。彼は二十四時間態勢でこの子達の世話をしているので、疲れ気味でイライラしているだけです。俺のほうからよく言い聞かせて......」
「わかりました。達郎君から頼まれて『ワンコの園』を選んだだけで、ほかの保護犬ボランティアで出演したがっているところはいくらでもあるので、そちらに向かいます。こういうことも想定して、保険をかけていてよかったですよ。おい、撤収だ!」
千原は皮肉たっぷりに言うと、撮影スタッフに大声で命じた。
「ちょっと、待ってくださいよ! 涼也も本心から言ったわけじゃないですから......」
翻意を促す達郎に背を向け、千原が足早に出口に向かった。
「もう、いいよ」
涼也は、達郎の背中に声をかけた。
「なにを言ってるんだよ!? いいわけないだろう!?」
達郎が振り返り、信じられない、といった顔で涼也を見据えた。
「せっかくお前が骨を折ってくれたのに、台無しにして悪かったよ」
涼也は、素直に詫びた。
千原にたいしての言葉に後悔はないが、自分のために動いてくれた達郎の好意を無駄にしたのは事実だ。
「俺のことは、どうだっていいんだよっ。それより、千原さんに謝って......」
「断る。ウチのためにキャスティングしてくれるように頼んだお前には悪いと思っているが、彼に謝ることはなに一つしていないからな。みんなも、いつもの作業に戻ってくれ」
涼也は達郎に言うと、心配そうに事の成り行きを見守っていた沙友里、亜美、健太に視線を移した。
「涼也っ、頼むから考え直したほうがいいって」
「午前中にくる里親希望者の面接があるから、データを見ておきたいんだ。悪いけど、今日のところは帰ってくれないかな」
涼也は達郎に背を向け、デスクに座りパソコンを立ち上げた。
「どういうことなのか、説明してくれ」
パイプ椅子を涼也の隣に置いて座った達郎が、厳しい表情で詰め寄った。
「さっき、プロデューサーに言った通りだよ。ヤラセをしてまで、テレビに取り上げてほしくはない」
涼也は、パソコンのディスプレイに顔を向けたまま言った。
十時に面接にくる里親希望者は、先日訪れる予定だった原田進太郎だ。
急用ができ、予定を変更してほしいと連絡があったのだ。
「俺の話を聞くんだ」
達郎が、デスクチェアを回転させ自分と向き合う格好にした。
「急にあんなことを言われて、気を悪くするのはわかる。だが、ここは大局的に物を見てくれないか? 見た目が憐れな犬を仕込みたいなんて、俺だって千原さんの言いかたには腹が立ったよ。でもな、子供みたいに怒って追い返してどうする? 俺らの目的は、一人でも多くの人達に保護犬の現実を知って貰って、里親を募ることじゃないのか?」
達郎が、諭し聴かせるように言った。
「お前まで、そんなことを言うとは思わなかったよ。同情を引くような犬を撮影のためだけにほかから連れてくることが、保護犬の現実を知って貰うことになるのか?」
涼也は、ため息交じりに言った。
「そりゃあ、褒められたやりかたじゃないとは思うさ。でも、いま大事なのは方法の是非よりも結果だ。保護犬のボランティアが世に広まってきたとはいえ、世間の認知度からしたら、まだまだだ。犬好きでない人からすれば、保護犬と聞いてもピンとこない......っていうか、知りたいとも思わないだろう。犬好きは、自分達の基準で物を考えがちだ。だが、犬好きと犬好きでない者の考えのギャップは想像以上に大きい。涼也。俺達保護犬ボランティアが相手にしているのは、犬好きな人達ばかりだ。お前の最大目標の全国殺処分ゼロを実現するには、犬に興味のない人達の意識改革をしなければ不可能だ。保護犬達の実体を知れば、アクセサリー感覚やノリで犬を飼い、飽きたり困ったりで動物愛護相談センターに持ち込む者も飛躍的に少なくなるだろう。千原さんの番組はゴールデン帯だ。お前の......いや、俺達みんなの夢を叶えるには、多少の妥協は必要なんだよ! な!? いま、千原さんを連れてくるから謝ってくれ」
達郎が、熱っぽい口調で訴えた。
彼の主張は間違っていない。
今回も、保護犬にたいしての理解を一人でも多くの人に深めて貰いたいために労力を費やしたのだ。
「お前には本当に申し訳ないが、それはできない。全国殺処分ゼロを目指すからこそ、視聴者を欺くようなことをしちゃだめだ。その瞬間にインパクトを残せて話題になっても、偽物は長続きはしない。数ヵ月の保護犬ブームを作るならいいかもしれないけど、僕達は十年、二十年先までこの子達が幸せな犬生を全うできる世の中にしなければならない。達郎、メッキはすぐに剥がれるものだよ」
涼也は、思いを込めて達郎の瞳をみつめた。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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