168時間の奇跡第42回
約一メートル四方のケージに入れられた十数匹の子犬、脇腹の骨が浮き眼球が飛び出しそうなガリガリに痩せた柴犬、全身の毛が剥げて皮膚が爛(ただ)れ膿(うみ)だらけになったトイプードル、左の眼球が潰れたシーズー、後ろ足がおかしな方向に折れ曲がったミニチュアダックスフント、半透明のゴミ袋に詰められた五匹の子犬の屍、みかん箱サイズの段ボール箱に重なり合う十数匹の子犬の屍......目を覆うような悲惨な画像でディスプレイは埋め尽くされていた。
「『Dスタイリッシュ』が仕入れている、『キング犬舎』という繁殖業者のところで生まれた子犬達です」
真理子が、抑揚のない声で切り出した。
「正確には、生まれてペットショップから引き取られなかった子犬達......未出荷の子犬達の末路です。『キング犬舎』は血筋のいい人気犬種の子犬を扱うことで有名なブリーダーです。チャンピオン血統の子犬も数多くブリードしていて、日本全国のペットショップは競い合うように『キング犬舎』から子犬を仕入れています。血筋のいい子犬を扱うブリーダーなら、ほかにいくらでもいます。『キング犬舎』が引く手数多(あまた)なのは、チャンピオン血統の子犬を他のブリーダーの半値で下ろすからです」
「その犬舎のブリーダーは......工藤という男ですか?」
涼也は、掠れ声で訊ねた。
――工藤のおっさんは金汚い強欲野郎だが、扱う商品は一流だ。ドッグショーで入賞するような血筋のいい子犬を数多く輩出するから、セレブ相手の高級なペットショップには人気があるのさ。
涼也の脳裏に、「犬猫紹介センター」のブローカーの言葉が蘇った。
「ええ。だから工藤さんのところには、セレブや有名人御用達の高級ペットショップから注文が殺到するんです」
「でも、工藤という人はお金に執着のあるブリーダーだと聞きました。そんな人がなぜ、高値で売れる犬を半値で卸すようなことをするんですか?」
涼也は率直な疑問を口にした。
「抱き合わせで、売れないような子犬の仕入れを条件にしているから......ですよね?」
華が、震える声で口を挟んだ。
真理子に向けられた華の瞳は、涙に濡れ充血していた。
――だが五頭のエリート子犬を卸す条件として十五頭の並犬を押しつけてくる。芸能界で言うバーターってところだな。
ふたたび、ブローカーの声が蘇った。
「そういうことです。血統のいい売れ筋の犬を一頭仕入れる条件として、欠点が多く売るのが難しい子犬を三、四頭セットで仕入れなければならないんです。普通なら売れ残るような犬をまとめてペットショップに購入させるわけですから、半値にした損失分を埋めるだけでなくかなりの利益を生み出すというからくりです」
「欠点が多い子犬というのは?」
すかさず涼也は訊ねた。
「斜視、アンダーショット、オーバーショット、四肢の湾曲、アンバランスな体型......先天的に欠陥のある子犬達のことです。こういった子犬は一度の出産で必ず何頭かは交じっていて、程度にもよりますが血統書付きであっても売れ残る可能性が高いんです」
真理子が、淡々とした口調で説明した。
「ほかのペットショップも、『キング犬舎』から押しつけられた子犬が売れ残ったら、長谷社長と同じように処分しているんですか?」
涼也は、棘を含んだ口調で質問した。
「それなら、まだましです」
真理子が言った。
「どういう意味ですか?」
「私みたいに医療の進歩のために子犬達を提供するなら、ましだと言ったのです。ほとんどのペットショップは、そんな手間はかけずに処分します」
「処分?」
涼也は眉根を寄せ、真理子を見据えた。
「血統のいい子犬を相場の半値で仕入れたら、一頭につき売れるたびに三、四十万の利益が見込めるので、どこのペットショップもできるだけ多く仕入れようとします。そうなると、もれなく欠陥品(・・・)もついてきます。一頭にたいして三頭、五頭にたいして十五頭、十頭にたいして三十頭......仕入れは一度きりでなく、月に何度もします。私みたいに医療関係に提供するために飼育なんてしていたら、手間も出費も嵩(かさ)んで半値で仕入れた売れ筋の子犬の利益も、どんどん食い潰してしまいます。だからたいていのペットショップでは、仕入れた子犬達を『キング犬舎』に引き取って貰っているんです」
「引き取って貰うって......そんなこと『キング犬舎』が断るでしょう?」
華が口を挟んだ。
「もちろん、ただでは引き受けません。工藤さんは、売れ残る可能性の高い欠陥のある子犬達を抱き合わせで仕入れさせたペットショップのオーナーに、手数料を払えば引き取ると持ちかけるんですよ」
「それじゃあ、二重取りじゃないですか!?」
華が血相を変えた。
「そういう物の見方もできますが、一方では数万円の手数料を支払うことでペットショップの純利益が増すという見方もできます。つまり、どちらが加害者でも被害者でもなく共存共栄をしているというわけです」
真理子の表情から、肚(はら)の内は読めなかった。
「もしかして、ペットショップから戻ってきた犬も......」
恐る恐る訊ねながら、涼也はタブレットPCの悲惨な子犬達の写真に視線を移した。
真理子が頷いた。
「未出荷の子犬達同様に、工藤さんに処分されます。安楽死は薬品代がかかるという理由で、写真にあるようなケージに子犬達をぎゅうぎゅう詰めにして餌も水も与えずに餓死するのを待つか、業務用の冷蔵庫に閉じ込めて凍死させます。画像にある眼球の潰れた屍、後ろ足の骨が砕けた屍はストレスにより喧嘩した致命傷で死んだ子犬達です。餓死、凍死、病死、喧嘩......『キング犬舎』に生まれた子犬で、半年以内に売れなければ待っているのは憐れな死だけです」
眉一つ動かさずに真理子が語る工藤の鬼畜の如き所業に、涼也と華は表情を失った。
「長谷社長っ、あなたはすべてを知っていながら見て見ぬふりをしていたんですか!? 子犬達の命を犠牲にしてまで、利鞘の大きな仕入れをして儲けることが重要ですか!?」
華が、激しい口調で真理子を咎めた。
「ええ、見て見ぬふりをしますし、ビジネスをやっている以上利益を追求するのはあたりまえです。残念ながら、『Dスタイリッシュ』は保護犬ボランティアとは違いますから」
真理子が、良心の呵責など微塵も感じないとでもいうような顔で華を見た。
「あなたはそれでも......」
「私にできることは、利益を生み出さない子犬を一頭でも多く引き受けることです」
華の言葉を遮り、真理子が言った。
「利益を生み出さない子犬を......それは、どういう意味ですか? さっき、ビジネスだから利益を追求するのは当然だと言っていた話と矛盾していませんか?」
涼也は身を乗り出し、真理子に訊ねた。
「矛盾? いいえ。血筋のいい子犬を半値で多く仕入れれば、そのぶん利益が出ます。代官山という土地柄、地方よりも高価な犬が売れやすいですからね。『キング犬舎』から仕入れたインターナショナルチャンピオン血統の子犬なら、犬種によっては百万円を超える個体も珍しくありません。それだけの高価な子犬は地方のペットショップでは月に一頭売れれば御の字ですが、『Dスタイリッシュ』なら五、六頭は売れます」
真理子が断言した。
「でも、一頭につき三頭、売れる見込みの低い子犬を仕入れなければならないので、あまりに数が多くなると利益は食い潰されるんじゃないのですか?」
涼也は、一番の疑問を口にした。
「売れなければ、そういうことになりますね」
涼しい顔で、真理子が即答した。
「え......だって、先天的に欠陥のある売れる見込みの少ない子犬ですよね?」
「はい。売れる見込みが少ないだけで、売れる可能性が〇パーセントではありません」
「長谷社長......もしかして、あなたは?」
涼也は、華に顔を向けた。
華の瞳を見て、自分と同じ思いを抱いていることがわかった。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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