168時間の奇跡第41回
代官山の「Dスタイリッシュ」に戻ってきたときには、午前零時を回っていた。
涼也は店の前の路肩にプリウスを停車させた。
「見せたいものって、なんだろう?」
涼也は独り言ちた。
「なんにしても、長谷社長がやっていることの免罪符にはならないわ」
華が厳しい表情で言った。
「たしかに、自分のやっていることに微塵の罪の意識も感じていなかったからね」
涼也はため息を吐いた。
沙友里のことを考えると、気が重かった。
「とにかく、行きましょう! 長谷社長の行為を私達が納得するというものを、見せて貰おうじゃないの」
鼻息荒く言うと、華が勢いよくドアを開き助手席から降りた。
「ちょっと待って」
キーを抜き運転席を降りた涼也も、慌てて華のあとに続いた。
☆
『どうぞ、開いていますよ』
華がインターホンを押すと、すぐにスピーカーから真理子の声が流れてきた。
「失礼します」
言いながら、華が正面玄関のガラス扉を開けた。
「こんな時間に呼びつけてごめんなさいね」
トリミングルームから、黒のパンツスーツ姿の真理子が現れ微笑みながら言った。
「いいえ、一刻を争うことなので助かります」
対照的に華は、にこりともせずに言った。
「奥へどうぞ」
真理子は踵を返し、トリミングルームに足を向けた。
涼也と華も真理子に続いた。
真理子はトリミングルームから通路に出ると、スタッフに内緒で子犬達を飼育していた金庫室の並びのドア......オーナールームとプレイトのかかったドアを開けた。
「お入りください」
真理子は二人を室内に促した。
「座ってお待ち下さい、いま、コーヒーでも......」
「結構です。お茶をしにきたわけじゃありませんから。長谷社長のやっていることを私達が納得するというものを見せてください」
部屋を出ようとする真理子を、華が厳しい口調で制した。
「わかりました」
気を悪くしたふうもなく、真理子がタブレットPCを手に涼也と華の前に座った。
「お見せする前に、まず、お二人とも謝って下さいませんか?」
真理子が、二人の顔を交互に見ながら言った。
「謝る? なぜ、私達が謝るんですか?」
華が怪訝な表情を真理子に向けた。
「そんなこともわからないんですか? あなた達は、人の店に無断で立ち入り人の所有物を無断で持ち出した......わかりますか? つまり、宝石店に忍び込んで指輪やネックレスを盗んだのと同じですよ? 私がその気になれば、お二人を不法侵入と窃盗の容疑で警察に突き出せるということです」
涼也は耳を疑った。
罪の意識がないのはわかっていたが、真理子の口から出たのは想像以上の言葉だった。
売り物にならなくなった子犬をスタッフに内緒で飼育し、ブローカーに横流ししている現場を押さえられたというのに、まさかここまで居直るとは思わなかった。
「不法侵入ではなく、私達は『Dスタイリッシュ』の長谷社長が売れ残った子犬を虐待していると通報があったので立ち入り検査をしたんです。実際に、金庫室と呼ばれる部屋には子犬達が閉じ込められていました。『犬猫紹介センター』のブローカーの男性にお金を支払って六頭の子犬を引き渡すのを目撃しましたし、彼の証言を音声に残しました。ブローカーがその後、子犬達をどこに売り渡しているのかも聞きましたし、長谷社長がそれを承知の上で引き渡しているということも。だから、これは窃盗ではなく保護です」
華が真理子を見据え、毅然と言い放った。
「あなたも、私と沢口さんの電話での会話を聞いていたんでしょう? それに不法侵入したときに、子犬達が衛生的な環境で飼育されていたのも、きちんと世話が行き届いていたのもご覧になったはずです。『動物愛護相談センター』の虐待罪の定義にも当てはまらないと思いますけど? 改めて言います。私のやっていることは虐待ではないし、だから、あなた達がやったことは保護ではなく窃盗です。ですが、お二人とは知らない間柄ではありませんし、沙友里ちゃんがお世話になっている方でもあります。なので、詫びてさえくれれば罪には問いません」
真理子が、表情を変えずに言った。
「それは、長谷社長の視点から導き出した結論ですよね? たしかに、金庫室は不衛生ではなく餌も水も与えられていました。でも、子犬は倉庫に置く物ではなく生き物です。外の空気も吸いたいし、広いところを駆け回りたいでしょう。もし、私達が、掃除が行き届き食事を差し入れられるからといって、寝返りを打つのが精一杯の部屋に閉じ込められていたら、耐えられますか? 普通なら、三日で限界です。生きることが呼吸をするという意味なら、食事と水が差し入れられれば一ヵ月でも二ヵ月でも生存できます。ただ、ストレスで心は壊れると思います。ある建物の地下室に人間の子供が閉じ込められていると聞いたら、長谷社長は無視しますか? 地下室に行って、事実を確認しようとしませんか? そこに子供が閉じ込められているのを発見したら、救出しようとしませんか?」
華が熱を帯びた口調で、真理子の心に訴えた。
「救出するでしょうね。ただし、人間の子供と子犬は違います。あなた達が保護したと言い張る子犬は『Dスタイリッシュ』の商品であり、代表の私の所有物です。華さん。近所の邸宅の錦鯉が狭い水槽で飼育されてかわいそうだからといって、無断で家の中に入って連れて帰るとどうなるかわかりますか? 警察に通報すれば、窃盗の容疑で逮捕されます。あなた達がやったことは、そのケースとまったく同じですよ」
相変わらず、真理子は顔面の筋肉が麻痺したように無表情だった。
「それは詭弁です!」
すかさず、華が反論した。
「どこが詭弁ですか? 錦鯉のケースとなにが違うか説明してください」
真理子が切り返した。
「屁理屈ばかり......」
「話をすり替えるのは、やめませんか?」
ヒートアップする華を制し、涼也は真理子に言った。
「話をすり替えてなんかいませんよ。自分達が正義、自分達の言葉が正論みたいな顔であまりにも一方的だから、事実を教えて差し上げただけです」
「錦鯉の話は、理屈ではそうかもしれません。ですが、私達がなぜあの子犬達を保護したのか真剣に考えてくだされば、そういう話にはならないはずです。長谷社長。お願いします」
涼也は、机に手をつき頭を下げた。
「ちょっと、涼ちゃん、なにをやっているの!?」
華の驚きの声が、頭上から降ってきた。
「沢口さん、そういうことをやっても......」
「頭ではなく、心で感じて貰えませんか?」
涼也は顔を上げ、真理子をみつめた。
真理子も視線を逸らさず、涼也をみつめ返した。
束の間、二人はみつめ合った。
先に視線を逸らしたのは、真理子だった。
真理子はタブレットPCを立ち上げ、無言で涼也と華の前に置いた。
「これは......」
ディスプレイに表示される複数の画像に、涼也は絶句した。
隣で華が息を呑んだ。
Synopsisあらすじ
36歳の涼也は保護犬施設「ワン子の園」の所長で、常時30頭の犬を保護している。4人のボランティアとともに、10年間働いてできた貯金を切り崩して運営しているが、人間のエゴや冷酷さを目の当たりにする一方、犬と人との深い愛情にも触れてゆく。動物愛護センターで働く婚約者とは意見が衝突することもしばしばである。そんな涼也には、忘れられない過去があった……。
今日も「ワン子の園」を訪れる人や犬たちがやってくる。
Profile著者紹介
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『無間地獄』『枕女優』『痴漢冤罪』『忘れ雪』『紙のピアノ』『神を喰らう者たち』など多数。映像化される作品も多い。
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