山の上の家事学校第41回

 翌日は、岡村先生が休みで、前山という五十代くらいの女性の先生が教えにきてくれた。
 キャベツを使ったザワークラウトの作り方や、ファスナーつきポリ袋を使った白菜漬けの作り方を習った。
 きたばかりのときは、「漬け物を自分で漬ける」なんて、大変すぎると思ったかもしれない。今は、自分では普段やらないことをするのが、少し楽しい。
 後半は、漬け物を使った煮込みや、スープの作り方を教わった。
 漬け物で、煮込みやスープが作れるなんて知らなかったが、よく考えればキムチ鍋などと同じだ。
 白菜漬けをスペアリブと煮込んだものは、酸味だけでなく、深い旨みがあっておいしかったし、ザワークラウトとキャベツで作ったスープも、簡単にできておいしかった。
 一人暮らしで、大きな白菜を買っても持て余してしまうし、漬け物ならば、発酵が進むまでは箸休めとして食べて、その後、スープや煮込みにすることだってできる。
 今度、挑戦してみてもいいかもしれない。
 調理実習では、遠藤と同じ班になった。
 小柄で細身だし、たしかに少し声も高いが、このくらい声の高い男性は他にもいるし、小柄で細身の人だっているだろう。
 遠藤がトランス男性かもしれないと言われたら、そうかもしれないとも思うが、絶対そうだと確証が持てるわけではない。
 本人が言わないのに、こちらから聞くつもりもない。
 だが、後片付けをしているとき、遠藤から話しかけてきた。
「仲上さん、堀尾さんに言ってくださったんですってね」
「え? なにをですか?」
「そういうことを噂するのはよくないって......」
 彼はぼくを見て、にこりと笑った。それでぼくは理解する。やはり、被害に遭ったのは遠藤だったのだろう。
 思わず言ってしまった。
「いえ、なんかすみません......」
 彼はきょとんとした顔になった。
「どうして謝るんですか?」
「ぼくだって、くわしいわけじゃないし、その......マイノリティの人がどんな思いをしているのかとか、全然知らないですし、勉強もしてないです」
 ふと、前に聞いたことを思い出す。マジョリティはマイノリティのことを知らなくても生きていける。マイノリティはマジョリティのことを知らないと生きていけない。
 がっかりした顔をされるかと思ったが、遠藤は少し笑っただけだった。
「ぼくだって、そういうことはたくさんあります。国籍とか人種とか......障害や病気によって差別されるとか」
 ああ、そうか、と思う。ある部分では少数派の人が、違う部分では多数派になる。どんな場所でもマジョリティである人間もいるが、あらゆる場所で少数派であるという人はそんなにいない。
 それでも、差別を良しとしない人が多い場では、差別者は力を失うし、少なくとも内心を隠そうとするだろう。
 遠藤は話し続けた。
「堀尾さんは言ったんです。その......彼を退学にしない方がいいんじゃないかって」
「どうしてですか?」
「外の世界の方が、『そのくらいのことで』って言う人が多いんじゃないかって」
 ぼくは唸った。たしかに堀尾の言うことにも一理ある。
 たぶん、管理する人間が変われば、問題にさえならなかったかもしれない。おもしろがる人間の方が多数派である場所なんて、いくらでも想像がつく。
「自分だって、無知な人間だったから仲上さんに諭されていなければ、やめろとは言わなかったかもしれない。退学になった彼は、被害者意識だけを募らせて、まわりの人におもしろおかしく話すかもしれない。少なくともここにいれば、自分はよくないことをやったのだと、自覚することができるって」
 ぼくはしばらく考え込んだ。堀尾の言うこともわかるのだ。
「でも、だからって、遠藤さんがその人を許さなければならないのも、変ですよね」
 彼は目を見開いた。
 退学になれば、学ぶことはできないかもしれないが、それはその彼の問題だ。花村校長は、遠藤がここは安全だと感じられることの方を重視したのだろう。
「まずは被害に遭った人の安全が先なんだと思いますよ。どんな場合も」
 そう言うと、遠藤は小さく頷いた。たぶん、まだ世の中にはそうでない場合の方がずっと多いのだろう。
 ぼくは、話を変えた。
「堀尾さんから聞いたんですけど、結婚されるとか?」
 遠藤はぱっと笑顔になった。
「結婚というか、パートナーシップですけどね。妻の写真見ます?」
「えっ、見せてください」
 彼が見せてくれたスマートフォンの画面には、タキシードを着た遠藤と、ウエディングドレスを着た丸顔の女性の写真があった。
 ふたりとも弾けるような笑顔で、それが少しうらやましい。
 この世界にはままならないことが多すぎるから、せめてふたりの幸せを祈りたいと思った。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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