山の上の家事学校第28回

 猿渡の話を聞いて、少し罪悪感に囚われた。
 離婚したとき、ぼくも少し母を頼って、理央を引き取ることを考えた。まあ、母には簡単に拒否されたし、そもそも鈴菜が承諾するはずもない。
 猿渡の母親はそれを受け入れた。
 もし、彼女が専業主婦だったのなら、離婚してから仕事を探して、シングルマザーとして息子を育てていくのは困難だと考えたのかもしれない。
 もう中学生になっていたのなら、自分のことも多少はできるし、高校や大学の学費の方が重くのしかかるはずだ。夫に払わせるためには、調停での話し合いを重ねなければならない。
 猿渡にとっては、両親双方から捨てられたようなものだったのかもしれない。
 だとすれば、彼の頑なさも少し理解できる気がする。
 だが、なにが彼の心を解きほぐしたのだろう。


 翌朝、学校に行くと、和室には七人くらいの生徒がいた。これまで見た中で一番多い。猿渡はまだきていないから、ぼくも含めると九人。もしかするとまだきていない生徒もいるかもしれない。
 時間割を確認する。洗濯表示の授業は、一度受けているから、もう受けるつもりはない。浴室掃除の実習も、一回やったが、これはもう一回やってもいい。手分けしてやるから、二回目は前回、自分の担当してない場所をやることができる。
 調理実習は、昼は夏野菜のカレー。夕方は鶏の唐揚げ、葱ソース。中華風の卵スープ、春雨サラダ、青菜の炒め物。
 そして、夕食後にははじめて見る授業がある。「自由参加、交流」とあり、その下に「詳細は別紙にて紹介」と書いてある。
 実は、ぼくはこの授業のことは、花村校長から聞いている。一応、調理実習のレシピの横に置いてある説明の用紙を手に取る。


 家事の中には、家族のケアとも関わりが深いものがたくさんあります。家族と暮らすならば、家族の考えていることを聞かずに、家事労働従事者が一方的に決定権を行使すれば、それは権力にもなることがありますし、また働いたのに、家族からはそれほど感謝されないということにもなります。
 ですから、ここでは、人の話を聞くというレッスンをします。ルールはひとつ、遮らず、茶化したりもせずに、ただ、話を聞く。簡単なようで、意外に難しいです。社会では、聞き役をうまくできなくても、立場が上ならばそれを咎められたりしません。
 同じ人がずっと聞き役に回っていて、それに気づかない場合もあるかもしれません。
 もちろん、聞くためには誰かが話さなければなりませんから、順番が回ってきたら、話したいことを話してください。話したくないことは、聞かれても話さなくてもかまいません。なにも話したくない場合は、パスすることも可能です。
 咎めたり、茶化したり、よく知らないことについてアドバイスしたりするのでなければ、聞いた話について自分の経験や、感じたことを話すこともできます。
 簡単だと思われますか? そんなこと、いつもやっていると思われる人もいるかもしれません。でも、あらためてこのルールの中で、人の話を聞くことで、新たな発見があるかもしれません。
 一緒に過ごす仲間のことも深く知ることができるかもしれません。


 書かれてあることを全部読み終えて、ぼくは顔を上げた。
 自由参加となっているが、ぼくはこの授業に参加しなければならない。花村校長から頼まれているのだ。
 もし、誰も話したがらなければ、ぼくが最初に自分の話をするように、と。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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