山の上の家事学校第12回

 ぼくらが買い物に行っている間、他の生徒たちは風呂掃除をするメンバーと、アイロンがけの実習をするメンバーに分かれて活動していたらしい。
 アイロンはうまくかけられるようになりたい、などと考えている自分がいて、そのことに驚く。今はシャツはクリーニングに出しているが、その後、しまい方が悪くて畳みじわができてしまっても、あきらめてそのまま着ていた。
 自分でアイロンがきれいにかけられるようになれば、それにもアイロンがかけられる。
 まだ初日だ。それなのに、ぼくの中にこれまでなかった不思議な感覚が生まれていた。
 もしかして、家事というのはおもしろいのではないのだろうか。
 わかっている。鈴菜や母や妹の和歌子など、ぼくの身近な女性が聞いたら、「これまでやってこなかったのに、なにを言っているのだろう」と呆れるはずだし、責任のない状態でちょっとやるのと、毎日絶え間なく続くのとは全然違うだろう。
 だが、これまで、「どうしようもなくなって仕方ないからやる」か「やらない」か、そのふたつしかなかった作業に、「楽しんでやる」というもうひとつの選択肢が生まれた気がした。
 よく考えれば、料理を趣味とする男性はたくさんいるし、家庭菜園なども植物の世話をすることで、家事とも共通点がある。ただ、めんどくさい作業と考える以外のつきあい方もあるのではないだろうか。
 そういうふうに考えはじめたせいか、夕方の調理実習も楽しかった。
 まだ揚げ物は難しそうなので、味噌汁を作った。朝の調理実習の後、煮干しを水に漬けておいたから、それを火にかけて出汁を取る。
 これまで、粉を溶かすタイプの出汁や、出汁入りの味噌を使っていたが、煮干し出汁がこんなに簡単に取れるとは知らなかった。
 出汁を取った後は、コールスローの野菜を切ったり、蕪の煮物の作り方を教わったりした。料理がほとんどできあがった頃に、出汁をもう一度火にかけ、人数分の卵を落とし、細かく刻んだ韮を入れる。
 失敗しようがないほど簡単だ。これなら、家でひとりででも作れる。
 見れば、鰺の南蛮漬けもおいしそうにできている。ここにいる二週間で、揚げ物の作り方も覚えられるだろうか。
 理央も他の子供と同じように揚げ物が好きだった。どちらかというと食が細い方だったが、海老フライや唐揚げだと、おいしそうによく食べたし、だから、鈴菜もよく作っていた。
 揚げたての唐揚げをビールと一緒に食べるのは、なによりの楽しみだったが、今は、店でしか味わえない。コロナ禍以降は外食をする回数も減っている。
 自分で作れるようになったら、家でも揚げたてが食べられる。
 できあがった料理を、食事をする和室に運んだ。冷蔵庫から、ビールを出している人たちもいる。
 缶ビールを持っている白木に尋ねてみる。
「それはあらかじめ自分で買っておくんですか?」
「そう。あの冷蔵庫は生徒のためのものだから、買ったものは名前を書いて入れていい」
 たしかに白木の持っている缶ビールには、油性マジックで白木と書かれている。
「もしかして、飲みたいけど、買ってないとか?」
「そうです。この後忘れないように買ってこないと」
 そうしたら、明日から夕食にはビールが飲める。明日のメニューはなんだろうと考えていると、白木が思いがけないことを言った。
「俺、二本買っているし、今日は一本しか飲まないから、スーパードライでよければ一本飲むかい?」
「えっ、いいですよ。悪いし」
「この後、買いに行くんだろ。そのとき、俺のスーパードライも買ってきて補充してくれればいいよ」
 たしかにそれなら、白木が損するわけではない。
「いいんですか?」
「いいよ。どうせ同じことだし」
 せっかくなので、白木に甘えることにして、缶ビールを一本もらった。
 食卓に料理を並べて、みんなが揃ったところで食べ始める。酒を飲んでいる生徒は、半分くらいだろうか。
 鰺の南蛮漬けは、甘酢の加減がちょうどよく、とてもおいしかった。蕪とベーコンの煮物も、淡泊な蕪とベーコンの旨みがよく合う。ベーコンは塊のものを切って使ったが、薄切りで売っているものよりも、燻製の香りが強い。よいものなのかもしれない。
 料理もおいしいが、大勢で会話しながら食事をするということ自体が、明るい気持ちにさせてくれる。ずっとひとりで、テレビを見ながら食べてばかりだった。弁当やスーパーの惣菜が多かったし、作りたての料理を食べることもひさしぶりだ。
 なんとなく、自分が大切にされている気がした。作ったのもぼくなのに。
 どんな学校かとびくびくしていたが、きてよかったかもしれない。
 ふと、視界の端に猿渡を見つけた。
 彼は暗い顔のまま、下を向いて食べていた。他の生徒たちとも話そうとしていない。
 明日になってもこんな感じならば、ぼくがもっと積極的に声をかけた方がいいかもしれない。別に無理に仲良くする必要もないが、このままでは少しも楽しくないだろう。
 後になって思えば、このとき、少しでも話しかければかったのかもしれない。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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