山の上の家事学校第8回
残りのメンバーはハンバーグを成形しはじめる。岡村先生は、猿渡につきっきりで教えている。どうやらサラダのレタスを千切っているらしい。
ようやくにんにくを刻み終わった。鍋に火をつけ、オリーブオイルを入れてにんにくを炒める。いい匂いがしてきたところで、他の野菜を投入し、軽く火が通ったところに赤ワインを入れ、アルコールを飛ばした後、トマト缶を入れる。
いつの間にか、岡村先生が後ろに立っていた。
「味付けを忘れないようにね」
そうだ。すっかり忘れていた。ブイヨンキューブと塩胡椒(こしょう)。
鷹栖が緑の枝をソースに入れる。爽やかな香りが立った。
「これは?」
「ローズマリーです。庭で校長先生が作っているんですよ」
スープとソースの鍋をコンロの奥の火口に移す。白木と二十代くらいの若い男性が、フライパンをふたつ並べて、二人がかりでハンバーグを焼きはじめる。八人分だから、なかなか大変だ。
岡村先生が手招きをした。
「仲上さん、サラダを作るのをやってもらえますか」
猿渡は眉間に皺を寄せて、ドレッシングの分量を量っている。見れば、ボウルに氷水と千切ったレタスが入っている。
「レタスの水気を切ってください」
先生は、そう言ってなにやら取っ手のついた丸い容器をこちらに渡した。
「これは?」
「サラダスピナーですよ」
先生は蓋を開けて、中にレタスを入れ、取っ手をぐるぐる回した。何度かまわした後、レタスを乾いたボウルに移す。どうやら遠心力で水気を切るらしい。
言われた通り、レタスをサラダスピナーの中に入れる。
「あまりたくさん入れすぎると、水気が残りますから、適量ずつね」
こんな器具を使うのははじめてだから、どれが適量なのかわからない。だが、繰り返すうちにコツがわかってくる。たしかに多く入れると、水気が残っている。横着をしてはいけないということだ。
猿渡は、小さな泡立て器でドレッシングを混ぜている。
「油と酢をちゃんと乳化させると、ドレッシングがおいしくなるんですよ」
猿渡は先生の言葉に、少し興味を持ったような顔をした。
「油の粒子が細かくなるからですか?」
「そう。その通り、料理は科学ですからね」
だとすれば、サラダスピナーを使ってまでレタスの水気を切るのも、おいしさの秘訣なのだろうか。
水気を切ったレタスは、ペーパータオルを敷いた保存容器に入れ、盛りつけるときまで冷蔵庫にしまう。ドレッシングも食べる寸前に和えるらしい。
「じゃあ、仲上さん、食器の準備をしてくれる? あそこに食器があるから」
言われた棚を開ける。スープ、サラダ、ハンバーグ。サラダはガラスのボウル、スープはスープカップがよさそうだ。ハンバーグ用に、白い皿を出していると、五十代くらいの男性が近くに来て言った。
「煮込みハンバーグだから、深い容器の方がいいですよ」
あっと思う。ハンバーグと言えば、平皿というイメージしかなかった。彼が出したのは、南欧風の模様のついた深皿だった。たしかに煮込みハンバーグやロールキャベツなどに合いそうだ。
「えーと、仲上さんだっけ、ソース作ったの」
顔を上げると、白木が手招きをしている。
見れば、すでにハンバーグと一緒にソースが煮込まれている。
「ちょっとこれでいいか、味見してくれる?」
言われた通り、小皿で味を見る。少し物足りない気がする。
「塩をもっと足した方がいいですかね?」
「それより、ケチャップやウスターソース足すといいんじゃないかと思ってさ」
それは名案だが、レシピにはそんなことは書いてない。
「そんなことしていいんですか?」
「いいよ。ここは料理教室じゃないんだから。人と協力して、最後まで作る実習なんだから」
そういえば、岡村先生も経験のない猿渡に細かいことを教えたり、ぼくにやることを指示したりするだけで、コンロの方には近づきもしない。
「まあ、オリジナリティを出しすぎて、失敗すると、全員の食事が台無しになるから、問題ない程度にだけど」
ケチャップやウスターソースを足すくらいでは、おいしくなることはあっても、失敗はしないだろう。
白木は、冷蔵庫からケチャップとウスターソースを出してソースに足し、混ぜてから、また小皿に少しソースを入れた。
味見する。先ほどよりも断然おいしい。
「旨いです」
「よし、じゃあこれで煮込もう」
白木がどうして、ぼくを呼んで味見をさせたか、ここにきて気づく。勝手に味を調整され、それが自分で作るよりもおいしくなっていたら、ちょっと落ち込んでしまうような気がする。もちろん、そんなことで腹を立てたりはしないが、こうやって一緒にやることで、気持ちよく料理ができる。白木の気遣いだ。
見れば、他の生徒たちは、使った調理器具を洗って片付け始めている。
まぶしい。あまりにもまぶしすぎる。
自分もこんなふうになれるだろうか。そう思わずにはいられなかった。
Synopsisあらすじ
ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。
Profile著者紹介
1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。
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