山の上の家事学校第29回
夕食後、二階の教室に集まったのは全部で四人だった。
半分ほどの生徒が出席を決めたことになる。それに花村校長と、もうひとり、岸本という男性がいた。花村校長から、臨床心理士だという説明があった。
ただ、岸本がなにかを教えてくれるという話ではなく、誰かが発言者を責めたりしたときに、それを止めたり、話しにくい雰囲気になってしまったときに、仕切り直したりする役割だと聞いた。
驚いたことに、猿渡もそこにいた。もちろん、この中で飛び抜けて若い。あとは、粟山と金石という、今日初めて会ったふたりだった。ふたりとも三十代後半で、粟山は単身者、金石は来年子供が産まれると言っていた。
最初に学校にきたときには、鷹栖もいたし、他にも六十代くらいの男性もいたが、この連休中に学校にいる生徒は、比較的若い世代の人が多い。五十代の堀尾がいちばん年上のように見える。
金石は子供が産まれるから、家事を積極的にやっていきたいと語っていたし、粟山は特にきっかけとかはないが、自分の家事スキルをアップしたいと語っていた。
「今は両親と同居して、完全に頼ってしまっているんですが、これから両親も年を取っていくし、自分が主体になって家のこともやっていかなければならないですしね」
夕食のとき、粟山はそう話した。たぶん、古い人間なら、そういう場合、結婚相手を探すという選択になるのではないかと思うが、粟山はそういう考えはないようだった。
話を聞いた堀尾が、「嫁さんを探す気はないの」と言っても、粟山は曖昧に笑うだけだった。
正直、この交流の場に堀尾がいないことに、ぼくは少しほっとしている。彼は人の話を混ぜっ返したり、茶々を入れたりするタイプだから、彼といるときに本音を話したくないと思ってしまう。
苦手だというわけではない。調理実習などでも、積極的にみんなと話して、場を盛り上げるタイプだし、彼がいると空気は明るくなる。一緒に飲むと楽しいだろうし、きっと友達も多いだろう。
だが、その「場を楽しくする」という彼の性格が、ときどきデリカシーのない発言につながっていくことがある。
同じような友達や同僚は、他にもたくさんいるけれど、彼らに対して心がざわつくことは、これまであまりなかった。
それなのに、今は彼のふるまいに、どこか居心地の悪さを感じてしまう。変わったのはぼく自身なのだろうか。
そんなことを考えていると、花村校長が話し始めた。
内容は、今朝読んだ紙に書いてあることと同じだったが、文章で読むよりも、校長の柔らかな声で聞く方が、抵抗なく受け入れられる。
「話している人に対して、なにか言いたくなっても、とりあえず最後まで聞いてください。それから、それは本当に今、口に出すことがふさわしいかということも考えてください。話してくれた人を責めるようなことや、自分は経験したこともないのにアドバイスしたくなったりしたら、それは今、口に出すようなことではないかもしれません。そのプロセスを経てからでしたら、発言してくださってもかまいません」
花村校長にそう言われて、心の一部が痛んだ。
上司や取引先が相手なら、「それは今相手に言うべきことか」と常に考える。だが、鈴菜や、過去につきあった女性に対して、そんなふうに考えたことはたぶん、あまりない。それなのに、自分の仕事や趣味に対して、同じように口を出されたら、腹を立てていた。
人間なのだから、誰しもいつでも完璧なふるまいができるわけはない。だが、よその人に対してできる気遣いを、いつもそばにいる人に対してできないのは、なぜなのだろう。深く考えると、よけい落ち込んでしまう気がする。
「どなたか話したい人はいますか?」
花村校長がそう言ったとき、猿渡が真っ先に手を上げた。
「長くなってもいいですか?」
花村校長は微笑んで頷いた。
「四人ですから、単純計算で十五分。でも、全員が全員、話したいわけでもないでしょうし、聞くレッスンですから多少長くなっても大丈夫ですよ」
正直なところ、ぼくは自分の番が回ってこなければいいと思っている。まだ自分の本当の思いをどうやって吐き出せばいいのかもわかっていない。
猿渡は、ふうっとためいきをついて、話し始めた。
「仲上さんは知っていると思いますが、ぼくは三月にここにきて、そして文句を言って途中で帰りました。すみませんでした」
彼は花村校長に向かってぺこりと頭を下げた。
「いえ、いいんですよ。戻ってきてくれてうれしいですし、たとえ戻ってきてくれなかったとしても、そんなことであなたの人生が悪い方へ変わるとは思っていません。出会うべきタイミングじゃないときに、出会ってしまっただけということもありますし」
猿渡が一瞬、驚いたような顔をした。
その気持ちはわかる。彼はまだ十八歳かそこらで、少し前まで未成年だった。大人はなんでも知っていて、子供の人生をジャッジできるように振る舞うことが多い。学校という場ならなおさらだ。
けれど花村校長は、あまりそんな気がないように思える。成人を教えることが多いからだろうか。
Synopsisあらすじ
ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。
Profile著者紹介
1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。
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