山の上の家事学校第27回

 行動制限のない大型連休はひさしぶりで、交通機関も賑わっていると聞く。鈴菜からきたメールには、両親と理央を連れて、白浜にパンダを見に行くと書いてあった。
 その場に自分がいないことに、痛みを感じずにはいられないが、それでもメールで近況を知らせてくれるだけでも、なにもないよりはいい。
「旅先で撮った理央の写真、よかったら送って」
 そう言うと、サムズアップをしたパンダのスタンプが送られてきた。これは、一応拒否されていないと考えていいのだろうか。
 ぼくは、ハートマークのスタンプを送ろうとして、とっさに取りやめて、無難な「よろしくお願いします」のスタンプを送った。
 四月二十八日の夜、バス停で最終バスを待っていると、後ろから声をかけられた。
「こんばんは」
 振り返ると、猿渡がいた。
「ああ、ひさしぶり」
 彼が戻ってくることは、校長先生にも聞いていたから驚かない。驚いたのは、彼が自分から声を掛けてきたことだ。
 前回までの彼なら、黙って後ろに並び、ぼくが気づくまでは気づかないふりを続けていたのではないだろうか。誰かとの交流を望んでいるようには見えなかった。
「もしかして、山之上家事学校ですか?」
「このバスに乗って、他に行くところないだろ」
 もちろん、住んでいる人もいるはずだし、大きい病院もある。もっと山の奥まで行けばキャンプ場もあるらしいと聞いた。
 だが、ぼくにとって、ここから出るバスは、家事学校に行くバスだ。
「仲上さんはもうカリキュラムを終えて、卒業しているのかと思いました。ぼくと違って、真剣に授業を受けていたし」
「そのつもりだったんだけど、元妻が新型コロナに感染したから、娘を預かるために、あの後すぐに、帰ったんだ。そこからぼくも感染したり、いろいろあって、長いこと行けなかったけど、ようやく先週から復活した」
「そうだったんですね。でも、知らない人ばかりでなくてよかったです」
 猿渡の雰囲気は、この前のとげとげしいものと、まったく違っていた。なにが彼を変えたのだろうか。
「ぼくは、京都で一人暮らしをはじめてみて、ちょっと身に染みました。コンビニ弁当でいいかと思っていたけど、すぐに飽きるし、家だってすぐにぐちゃぐちゃになるし......。高一から、ずっと叔母と一緒に暮らしてきて、叔母は忙しい人で、前にも言ったように家事を外注していて......、でも外注しながらも、叔母がなにもやってなかったわけじゃなかったんだなって、ようやく気づきました」
 住み込みの家政婦でもなければ、ありとあらゆることを外注するのは無理だ。
 生活必需品で足りないものがあれば、自分でチェックしなければならないし、ゴミだって、二十四時間ゴミ捨て可能なマンションでもない限り、決まった時間に捨てなければならない。
「正直、たった二日間の授業でも、受けてよかったと思うことがあったので......。ゴールデンウィークを利用して、残りのカリキュラムもちゃんと受けようと」
「おじさんから見ても、絶対その方がいいと思うよ」
 だが、少し不思議な気がした。彼の変貌は、本当に一人暮らしをしてみたから、というだけのことなのだろうか。
 バスがきた。さすがにふたりがけの座席に座るのは妙な気がして、ふたりともひとりがけの座席に座った。話はそこで途切れる。
 ふいに思う。高一からの三年、叔母と暮らしていたというのなら、彼の両親はいったいどうしたのだろう。ふたりとも、彼と一緒に暮らせない事情があるのだろうか。
 バスは長いトンネルを抜けて、山の中に出る。いつもの停留所が近づいてきたから、降車ボタンを押した。
 荷物を持ってバスを降りる。猿渡も続けて降りた。
 猿渡は、いきなり言った。
「さっき、叔母と一緒に暮らしていると言ったとき、仲上さん、なにも聞かないでくれて、いい人だなと思いました」
「いやいやいや」
「でも、一応言っておくと、両親とも健在なので、そんなに気を遣わなくてもいいです。離婚することになって、父と祖母が、ぼくを引き取ると言い張って、母がそれを受け入れたけれど、その後すぐに祖母が要介護になりました。父はぼくと一緒に生活することができなかったというだけなんです」
「お祖母さんは?」
「施設にいます。今は全然会えないですけど......」
 たしかにコロナ禍で、老人介護施設の面会は難しくなった。同僚も、近くの施設なのに、オンラインでしか面会できないと言っていた。
 家事学校の門をくぐる。
「今日は、おっぽはいませんね」
「鶏小屋で寝てるよ」
 たまに外に出ていると、花村校長や岡村先生以外の人間は、容赦なくつつかれる。
「じゃあ、ぼくはもう鍵をもらっているから、寮に直接行くよ」
 猿渡は鍵を取りに行かなければならないだろう。
「じゃあ、また明日」
 そう言うと、彼は背中を曲げるように会釈をした。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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