山の上の家事学校第30回

 猿渡は、また話を続ける。
「中学生のとき、ぼくの両親は離婚しました。父は、名前の知られた企業で働いていて、母は専業主婦でした。ぼくは、中学受験をして、私立の中学に行っていました。ぼくの家では、家族の間に序列がありました。いちばんえらいのは父、その次が父の母である、祖母、それからぼく、一番下が母でした。ぼくはずっとそれに疑いも持たなかった。父やぼくが食事をするとき、母がずっと料理や配膳をし続けていたりすることはあっても、母が先に食卓に着くことなんて一度もなかった。祖母が料理を作ることはあっても、父が家事をすることはほとんどなかったし、祖母が料理をすると、父とぼくだけ一品おかずが多かったです。それがあまり普通じゃないことを知ったのも、高校生になってからです。祖母は、よく、ぼくに『お父さんが働いていてくれているから、学校に行けてごはんが食べられるんだよ』と言いました。だから、そうなのだろうと、ぼくはずっと思っていました」
 古い考えだ。だが、ぼくの中にもそれは間違いなくインストールされていた。今でも、完全に振り払えたかどうかはわからない。ぼくの母は、ぼくと妹の和歌子をはっきりと区別したわけではなかったのに。
「働いている父はえらい人で、母はそんなにえらくないのだと、ぼくは思ってしまっていました。父がいるから、母もごはんが食べられて、専業主婦として生きていけるのだと。そんなとき、母が突然、離婚を切り出しました。母はずっとそんな生活に、鬱屈を抱えていたのだと思います。祖母は母が父にはっきりものを言うことを許さなかったから、父と母はちゃんと話し合いをすることすらできなかったのかもしれない。もちろん、話し合いをしても、父は聞かなかった可能性が高いです。母のことをはっきり見下していました」
 みんな黙って猿渡の話を聞いていた。
「母は家を出て行き、ぼくは父と祖母と、三人で暮らすことになりました。でも、ぼくが中学三年生のとき、事件は起こりました。祖母が、脳梗塞で倒れ、しかも麻痺が残り、要介護になってしまったんです。祖母が施設に入ると、家から、家事をする人が、ひとりもいなくなってしまった。しばらくは出来合いのお弁当を食べたり、外食をしたりしてやり過ごしていましたが、家の中はどんどん荒れてくる。見かねた父の妹である叔母が、ぼくを引き取ることを提案し、ぼくは大阪の高校を受験して、大阪に引っ越しました。正直、高校受験をするつもりではなかったから不安でしたが、なんとか志望校に合格することができました」
 その叔母という人が、猿渡にここにくるように勧めたのだと聞いた。
「叔母の家は快適でした。叔母は独身で、ペットグッズの店を経営している人でした。毎日、帰りは遅かったですが、時間のあるときはぼくの話をよく聞いてくれたし、過度な干渉もしなかった。週に二回、家事サービスの人がきて、洗濯や掃除、食事の作り置きなどもしてくれて、勉強に集中できました。ただ、やはりそこでも、家事はぼくの仕事じゃなかった。叔母は仕事ができるから、自分で家事などしなくても生きていけるのだと思っていました」
 喉が渇いたのか、猿渡はペットボトルの水を少し飲んだ。
「叔母自身も、家事は得意ではなく、だから、大学に合格して一人暮らしをはじめる前に、ここに通うように言われました。でも、ぼくは少しも納得していなかった。掃除や洗濯を自分でしなければならないことはわかっていても、他の人のゴミを集めて捨てることが理不尽だと感じたくらいには......。よく考えてみれば、誰かがぼくの出したゴミを集めて捨てることは、まったく理不尽だとは思っていなかった。家事サービスを頼んでいたと言っても、マンションのゴミ出しは朝だけだから、叔母がやっていたはずなのに。それすら目に入っていなかった」
 花村校長は微笑んで言った。
「猿渡さんは、少し前まで子供だったのだから、それが目に入らなくてもおかしいことではありませんよ」
「ありがとうございます」
 猿渡はそう言ってから、話を続けた。
「ここを出て叔母の家に帰ってから、叔母と話をしました。そこでぼくは、ひとつ、はじめてのことを聞きました。叔母が家事サービスを頼むようになったのは、ぼくと同居することになったからだ、と。それまでは、食事はテイクアウトだとか、外食だったり、掃除もたまにしかしなかったり、洗濯も週に一回まとめて洗って乾燥機にかけていたり......もちろん、それでも父と違って、それなりに暮らしてはいけたんだと思います。でも、ぼくが当たり前のように享受してきた快適な生活は、叔母がぼくを気遣ってくれて、提供してくれていたのだと、はじめて理解しました。そして、たぶん、ぼくが一人暮らしをはじめたとき、同じだけ快適な生活をするには、自分でやるしかないのだと」
 たぶん、快適な生活に他人の手が必要だと判断するのも、生活する力なのだろう。家事サービスを入れることなら、猿渡の父もできたはずだ。
「そして、その後、ぼくは中学生の頃から会っていなかった、母と会うことができました。叔母と母は連絡を取り合っていたのだと聞きました。父はぼくと母を会わせることを承知しなかったけれど、ぼくが会いたいなら会える、と叔母に言われ、ぼくは母に会いに福岡に行きました。母に会って、一日過ごし、母の住んでいるアパートに泊まりました。母は、介護福祉士の資格を取って、介護の仕事をしていました。部屋は狭かったけど、きれいに片付いていたし、母は元気そうで、いきいきしていました。本当は離婚するとき、ぼくも一緒に連れて行きたかったのだけど、祖母と父が許さなかったし、当時、ぼくが行っていた私立の学校に通わせることは、母の力では難しかったから諦めたのだと聞きました。母に見捨てられたのではなかったと、わかったことはうれしかった。でも、それだけではなく、ぼくがショックを受けたのは、母が楽しそうで、幸せそうだったことです。家族と一緒に暮らしていたときよりずっと......」
 猿渡はぎゅっと唇を噛んだ。
「父も、まだ健在です。でも、父は少しも幸せそうには見えない。荒れた家に住み、夜は酒ばかり飲み、顔を合わせれば、母に対する恨み言ばかり言っている父と、母は全然違っていた」
 息苦しくなる。ぼくだって、猿渡の父親のようになってしまうかもしれなかった。いや、今でも可能性はある。
「祖母は言っていた。お父さんのおかげで生活できているのだ、ごはんが食べられているのだ、と。でも、ふたりが別れたあと、ちゃんと生活できているのは母の方で、父はひとりでは少しもうまくやれていない。それを見たとき、ようやく気づいたんです。生活できていたのは、父の力だけではなかったんだって。外で働いていない母は、父によって生かされているように思っていたけど、本当は、父やぼくが、母によって生かされていたんじゃないかって......」
 花村校長が柔らかな声で言った。
「社会のシステムが、そういうふうに思わせてきたんでしょう。フルタイム労働者は、家庭内のケア労働を担えないくらいに、忙しく働かせ、家事労働従事者は、一度、仕事をやめると、非正規やパートでしか働けないようにして、家庭内の労働を無償で担わせる。どちらにとっても、幸せなシステムではないように思いますね」
 そして、フルタイムでお金を稼いでいる労働者の中には、自分が誰かに依存して生きていることに、気づかない者も多い。
 黙っていた粟山が口を開いた。
「ぼくは鬱病で、一年休職していました。そのとき、まわりの人間から、『鬱病だと診断されると、生命保険に入りにくくなったり、住宅ローンなども組みにくくなるから、メンタルクリニックに通わない方がいい』と言われたことがあります。フルタイム労働をして、お金を稼ぐ代わりに、そんな足枷をかけられ、心を壊して働き続けることを強いられるなら、そんな歯車の中で生きていたくはないと思いました」
 猿渡は少し黙った後、口を開いた。
「父も苦しかったんでしょうか......」
 その質問には校長が答える。
「生活が上手く回っていたときはともかく、今は苦しいと思いますよ」
 その苦しさからは、自分で抜け出すしかないだろう。もしくは、運良く、家事労働を担ってくれる人に巡り会うか。
 それは運が良ければ、の、話に過ぎない。だが、社会はまだこのシステムに固執し続ける。
 ぼくたちはその中で、生きていかねばならない。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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