山の上の家事学校第34回

 和歌子と仁太朗を自分の家に案内し、布団の場所や風呂の沸かし方、近くのコンビニの場所などを説明する。
 帰る前にゴミも出しておいてくれると言うから、ゴミ捨て場の場所や時間も教えた。
 冷蔵庫をのぞいた和歌子が言った。
「ちゃんときれいにしてて安心した」
「まあ、引っ越してきて二ヶ月だからなあ。散らかす方が難しいよ」
「あ、卵とウインナーがある。朝ごはんに使っていい? 帰る前に買い足しておくから」
「いいよ。あと野菜は玉葱もあるし、冷凍庫にはミックスベジタブルもあるから、使っていいよ」
 連休中は家事学校にいるつもりだったから、日持ちのしないものは買っていない。
 終バスの時間に間に合わなくなるから、そろそろ出なくてはならない。そう言って、家を出ようとすると、仁太朗が廊下まで追い掛けてきた。
「本当にありがとうございました。助かりました。部屋だけでなくて、今日の昼間も」
「いや、ぼくもひさしぶりに茜ちゃんや亮太くんと過ごせて楽しかったし」
 大変でなかったとは言わないが、この疲れにはどこか心地よさも混じっている。
「お世話になりました。じゃあ、また」
 彼はそう言って、頭を下げた。
 独り身に戻る前は、仁太朗のことをどこか頼りないように思っていた。いつもにこにこしているだけで、あまり自己主張や自慢話をするタイプでもない。ぼくは勝手にも、自分の結婚生活は順調だと思い込んでいたから、彼があまりにも気を遣いすぎているように見えていた。
 そのとき気づかなかった彼の頼もしさが、今ははっきり見える。
「誘ってくれてありがとう。今日一日楽しかったです」
 そう言うと、彼は少しだけ驚いた顔をした。
 たぶん、過去のぼくは、こんなことを言わなかったのだろう。


 ひとりになると、いきなり疲労感がやってきた。
 なんとか間に合った終バスの座席に沈み込むように座る。休日の終バスは少し早い。乗り遅れてしまえば、タクシーで行くしかなくなる。
 楽しかったのは事実だが、今日、一緒に過ごしたのが鈴菜や理央だったら、どんなによかっただろう。
 そんな時間が貴重なものになるなんて、何年か前までは考えもしなかった。そう思うと、よけいに身体が重く感じられる。
 今はまだふたりに会う機会もある。顔も見たくないと思われるほど嫌われてはいない。
 そう自分に言い聞かせても、次にあの部屋に帰ったとき、そこには誰もいないのだと思うと、たまらなく胸が痛い。
 職場の同僚に、新しい相手を探せばいいじゃないかと言われたことを思い出すが、今はまだ、そんな気持ちになれない。
 家族と引き剥がされた傷だけが、じくじくと痛み続けている。
 もし、いつかそんな機会がやってくるのなら、今度は失敗しないようにできるだろうか。そんな予感すらないけれど。

山の上の家事学校

Synopsisあらすじ

ゴミがたまってきた。布団もしばらく干してない。もう、こんな生活うんざりだ……。ある日、仕事から帰ってくると、妻と娘は家を出てしまっていた。すさんでいく生活を見かねた妹から紹介されたのは――家事を習いたい男性のための学校? そこには、様々な事情を抱える生徒たちが通っていた……。

Profile著者紹介

1969年大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒業。93年『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。2008年『サクリファイス』で第10回大藪春彦賞受賞。著書に「ビストロ・パ・マル」シリーズほか、『歌舞伎座の怪紳士』『たまごの旅人』『シャルロットのアルバイト』など。

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