北条氏康 関東争乱篇第四十一回

三十三

 二日後、冬之助は甲府にいる。
 躑躅ヶ崎(つつじがさき)館に出向き、長尾景虎の軍配者・宇佐美冬之助が山本勘助の首を届けに来たと告げると、すぐさま主殿に通された。正式な客人として遇されたわけである。武田の者に首を渡すと、客間で待たされた。
 やがて、信玄が現れる。
 憎い長尾の軍配者の顔を見るために重臣たちも出てくるのかと思ったが、信玄だけである。背後に小姓が控え、冬之助は信玄と対面した。
「宇佐美冬之助か」
「は」
 冬之助が平伏する。
「堅苦しい儀礼はいらぬ。その顔に見覚えがある。その眼帯にな。あのとき、わしの本陣にいたであろう?」
「おりました。傷の具合は、いかがでございますか?」
「まだ痛むわ」
 信玄がふふふっと笑う。
「長尾殿は、どうしている? わしを討ち取り損ねて、さぞ悔しがっているのではないか」
「あの御方は過ぎたことを悔しがったりはしませぬ。常に前を向いている御方ですから」
「そうか。ならば、次に戦場で会ったときには、決着を付けたいと伝えてくれ」
「申し訳ございませぬが、それは無理のようです」
「無理だと? なぜだ?」
「越後には戻らぬからです」
「長尾の軍配者を辞めたということか?」
「はい。お暇をいただきました」
「どこか他家に移るのか? 行き先が決まっていないのであれば、当家で召し抱えてもよいぞ」
「ありがたきお言葉にございます」
 冬之助が深く頭を下げる。
 こういうやり取りは軍配者だけのものである。普通の武士では、こうはいかない。
 信玄は長尾景虎に苦しめられている。その景虎の軍配者として腕を振るったほどの男であれば、喜んで武田に迎えたいということなのである。
「しかしながら、わたしは軍配者を辞めました。もう戦に出ようとは考えておりませぬ」
「惜しいことよのう。おまえほどの者が......」
「わたしと山本勘助、それに北条の軍配者・風摩(ふうま)小太郎は、かつて共に足利学校で学びました。四十年以上も昔のことですが、そのときに約束したのです。いつか一人前の軍配者になったら、戦場で相見(あいまみ)え、思う存分、腕を振るおう、と」
「見事に約束を果たしたではないか」
「わたしは元々は扇谷(おうぎがやつ)上杉の軍配者でしたが、そのときに小太郎とは何度も戦いました。長尾の軍配者となってからも上野や武蔵、相模で戦いました」
「もう少しで小田原城を落とせそうだったな」
 信玄がうなずく。
「いいえ、あれこそ小太郎の策で、小田原城を囲んでもたもたしていれば、恐らく、最後にはわれらが負かされてしまったでしょう」
「では、風摩とは引き分けだったわけだな」
「はい」
「勘助とは、どうだ?」
「あの日の戦いですが、最初の二刻(四時間)は長尾の勝ち戦でございました。しかし、その後は武田の勝ち戦だったと思います」
「ならば、引き分けか?」
「全体としてみれば、武田の勝ちと言ってよろしいかと存じますが、わたしと勘助の腕比べとして考えれば、まあ、引き分けというところでしょう」
「うむ」
「勘助が討ち死にし、もはや腕比べもできぬこととなりましたので、わたしも軍配者を辞めることにしたのです」
「これから、どうするのだ?」
「小田原に赴き、小太郎に勘助の死に様を伝えなければなりませぬ」
「その後は?」
「どうしようという当てもないのですが、とりあえず、足利学校に行ってみようかと思います。他に行きたいところもありませぬので」
「すぐに発つのか?」
「そのつもりです」
「勘助の家に寄ってもらえぬか?」
「勘助の家に......」
「太郎丸という男の子がいる。つい何日か前に二人目の男の子が生まれたと聞いた。太郎丸はまだ七つだが、勘助のことを尊敬し、いずれ自分も勘助のような軍配者になりたいと言っているそうだ。武士として、軍配者として立派な最期だったと、その方の口から太郎丸に伝えてもらえないだろうか」
「わたしが勘助の息子に......」
 冬之助が困惑した顔になる。
「気が重いかもしれぬが、他の誰よりも汝がふさわしいと思うのだ。わしの頼みを聞いてくれぬか」
「......」
 確かに気が重い。親しい友だったとはいえ、戦場では敵味方に分かれて戦い、相手を滅ぼしてやろうと智力を振り絞ったのだ。
 その結果、勘助は死に、冬之助は生き残った。
 四郎左の家族の立場になれば、
(わしの顔など見たくもあるまいに)
 そうは思うものの、信玄の頼みを無下に断ることもためらわれる。やむを得ぬ、と腹を括り、
「承知しました。行きましょう」
 冬之助がうなずく。

三十四

 信玄の小姓に案内されて冬之助が四郎左の屋敷に出向くと、玄関先に原美濃守虎胤(とらたね)が待っている。信玄が先触れを走らせて、冬之助の訪問を知らせたからである。
 虎胤は四郎左の妻・千草の父である。四郎左の義父だ。若い頃から猛将として知られ、敵から鬼美濃と怖れられた虎胤も、すでに六十五歳の老境に入り、二年前に剃髪して清岩と号している。先達(せんだっ)ての川中島の戦いには参加していない。
 冬之助が下馬すると、虎胤が歩み寄り、
「わざわざお越しいただき痛み入りまする」
 と頭を下げる。
「いいえ」
 冬之助も会釈を返す。
「どうぞ、こちらへ。勘助の妻子が待っております」
 虎胤が冬之助を先導して屋敷に招じ入れる。
 客間には千草が待っている。その横に太郎丸がちょこんと坐っている。
 千草は顔色が悪い。何日か前に子供を産んだばかりで、まだ起きられる状態ではないのだ。実際、信玄の先触れがやって来るまで床に伏せていた。無理をしている。
 二人の姿を目にすると、冬之助は姿勢を正し、
「曾我養玉と申します。長尾家では宇佐美冬之助と名乗っておりましたが、思うところがあって長尾家を辞しましたので、元の名前に戻しました」
「千草でございます。これは嫡男の太郎丸」
 千草がうなずくと、
「ようこそおいで下さいました。父の首をお届け下さり、まことにありがとうございまする」
 太郎丸が大きな声で言う。冬之助がやって来るまでに、何度も練習したのだ。
「では、そこに」
 虎胤に勧められて、冬之助が千草と太郎丸に向かい合う位置に坐る。虎胤は千草と冬之助の間、壁際に少し離れて腰を下ろす。
「勘助の最期をご覧になったのですか?」
 虎胤が訊く。
「その場におりました」
 冬之助がうなずく。
「どのような......?」
「ご存じかと思いますが、川中島の合戦では、最初のうち長尾が優勢だったのです。合戦が始まって二刻(四時間)ほどすると、武田殿の本陣を守る兵も少なくなり、長尾の御屋形さまが自ら先頭になって本陣に向けて突撃なさいました。わたしも一緒でした。本陣に攻め込むと、武田殿は床几に腰掛けておられ、そのそばに?宿もいたのです。あ、?宿というのは四郎左が、いや、勘助が足利学校時代に名乗っていた法号です。武田殿の小姓たちと長尾兵が切り結ぶ中で、長尾の御屋形さまは武田殿に何度か斬りつけました。武田殿は軍配で刀を受け止めたのです。しかし、何度目かに受け損ねて怪我をなさいました。そこで止めを刺されてもおかしくなかったのですが、?宿が武田殿の前に身を投げ出して庇ったので、武田殿はかろうじて助かりました。しかし、武田殿の身代わりとなって?宿は......」
 冬之助が言葉を止める。
 四郎左の最期を告げるに当たって、かなり脚色した。余計なことを言い過ぎてしまったか、と思った。景虎が信玄に斬りつけたのは事実だが、四郎左が身を投げ出したというのは嘘である。信玄からいくらか離れた場所で長尾兵に槍で刺されて死んだのだ。
 信玄や、信玄のそばにいた小姓たちが、あの場で起こったことをすでに話していれば、自分の話が嘘だと簡単にばれてしまうだろう、と気が付いた。
 が......。
「何と、何と......」
 虎胤の目からぽろぽろと大粒の涙が溢れる。
「勘助は御屋形さまの身代わりとなって死んだのか。武士として、何と見事な最期であることか。それでこそ武田の武士よ。のう千草、おまえの亭主は武士の鑑だぞ。太郎丸、立派な父を持ったことを誇りに思えよ」
「はい」
 千草が袖で目許を押さえる。
「養玉殿は足利学校で勘助と知り合われたのですかな?」
 虎胤が訊く。
「はい、昔のことになりましたが......」
 冬之助は、四郎左や小太郎と共に過ごした足利学校時代の思い出を語る。いつか一人前の軍配者となり、戦場で相見えようと誓ったことを話すと、
「では、勘助にとっては、養玉殿と風摩殿が誰よりも親しい友だったのですなあ。敵味方に分かれて戦い、それでも親しい友でいられるとは、なかなか、あることではない」
 虎胤が感心する。
「わたしは?宿に命を救われたことがあります。その恩義を忘れたことはありませぬ......」
 十四年前、小田井原(おたいはら)の戦いで山内上杉軍が武田軍に敗れたとき、自分は捕らえられ、磔(はりつけ)にされて処刑されるところだったが、四郎左が逃がしてくれたのだ、と冬之助が説明する。
「そんなことがあったのですか。いったい、どうやって逃がしたのですか?」
 虎胤が訊く。
「?宿の顔を殴り、?宿が倒れている隙に逃げたということにしました」
「で、殴ったのですかな?」
「殴りましたが、強く殴りすぎだ、痛いじゃないか、と?宿は鼻血を出しながら怒ってましたよ」
「まあ」
 千草がうふふふっ、と笑う。
「この世にあんな臍曲がりはいない、あんな不細工な奴もいない、とんでもないろくでなしを婿にしてしまったと悔やんでいましたが、そうではなかったのですなあ。意外にも見所のある男だったようだ。長尾の宇佐美、北条の風摩と言えば、名高き軍配者である。その二人と親しい友であったとは驚いた。まあ、二人に比べれば、かなり見劣りするのはやむを得まいが......」
「父上、何ということを」
 千草が慌てる。
 本当は四郎左が死んだことを誰よりも悲しんでいるし、四郎左のことが大好きだったことを千草は知っている。
 しかし、そんな感情を正直に表すほど虎胤は素直ではない。
「養玉先生」
 それまで黙って大人たちの話を聞いていた太郎丸が口を開く。
「何かな?」
「養玉先生とわたしの父は、とても仲がよかったのですね。羨ましいです。わたしには、そんな仲のいい友はおりませんので」
「......」
 一瞬、冬之助は言葉を失う。
(そうだ。ずっと嫌な奴だと思っていたし、あいつを好きだと思ったこともないが、それでも、あいつと小太郎ほど親しい者は他にいない。あいつらが軍配者としてがんばっていると知っていたから、わしもがんばることができたのだ。わしの人生で最も楽しかったのは、あの足利学校の頃だったのかもしれぬ......)
 それまで冬之助は、これから何をしようという考えを持っていなかったが、この瞬間に、
(やはり、足利学校に戻ろう。あそこが、わしのいるべき場所だ)
 と思い至った。
「太郎丸殿、汝はいくつだ?」
「七つでございます」
「大きくなったら何をしたいか、もう考えているかな?」
「父のような人になりたいです。そして、母と弟を守りたいのです。父が尽くしたように武田家のために尽くすことができれば嬉しいです」
「軍配者になりたいのかな?」
「はい。父のように」
 太郎丸がうなずく。
「立派な心懸けだと思う。さすが?宿の息子だ。わしは足利学校に戻る。軍配者になりたいという子供たちに教えるつもりだ。戦は、よいことではないが、この世から戦はなくならぬ。ならば、勝たねばならぬ。戦に勝つことで、この世を少しでもよくしなければならぬ。わしも汝の父も、そういう気持ちで戦に出たのだ。決して戦が好きだったわけでもないし、人を殺すのが好きだったわけでもない。わしの言うことがわかるか?」
「はい」
 太郎丸は、真摯な目でじっと冬之助を見つめる。
「父のようになりたいのであれば、足利学校に来るがよい。わしは、そこにいる」
「行きます。必ず、足利学校に行きます。父のように優れた軍配者になって武田に尽くしたいのです」
「うむ、汝の考えはわかった。母上の許しが出たら、そうすればよい」
 冬之助がにこりと笑う。珍しく邪気のない無垢な笑いである。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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