北条氏康 関東争乱篇第三十六回

十八

(悩んでおられるな......)
 脇息に寄りかかり、盃を傾ける景虎を見遣りながら、冬之助は景虎の胸中の苦悶を察する。
 拝賀の儀式の後で体調を崩し、麾下の豪族たちが次々と離反したこともあって、景虎は上野に兵を退いた。
 しかし、その時点では、北条氏の討伐を諦めたわけではなかった。
 まったく逆である。
 景虎の勢いが衰えたと考えて、氏康が小田原から出てきたら、上野から武蔵に改めて攻め込んで氏康に決戦を挑む腹だったのである。氏康を誘き出す罠を仕掛けたと言っていい。籠城している敵を攻めるのは苦手でも、野戦になれば勝てるという絶対的な自信があるのだ。
 そこで誤算が生じた。
 武田軍の動きである。
 景虎が関東にいる間に信玄は着々と北信濃で支配地を広げ、今や北信濃全域を制圧するのは時間の問題という状況である。
 そうなれば、今度は越後が危うくなる。
 北信濃から武田軍が越後に雪崩れ込めば、わずか一日で春日山城に到達する。景虎が不在では、武田軍を撃退することは不可能である。
 越後からは連日のように武田軍の動静が伝えられ、景虎の帰国を懇願する使者がやって来る。
 それで景虎は悩んでいる。
 氏康との決戦を望んで武蔵に侵攻すれば、越後に戻ることはできなくなる。その間に越後が武田軍に攻められるかもしれない。
 かと言って、このまま越後に帰国すれば、武蔵にいる長尾方の豪族たちを見捨てることになる。彼らだけでは、とても氏康にはかなわないのだ。
 武蔵を掃討すれば、氏康は上野を攻めるであろう。
 山内憲政が氏康と互角に渡り合えるはずがない。
 武蔵に攻め込むか、越後に帰国するか、どちらかを選べば、どちらかを見捨てることになる。
 景虎は動くに動けない状況に置かれている。
「おまえは飲まぬのか?」
 景虎が冬之助に顔を向ける。
 景虎の目が赤い。
 酒の飲み過ぎで血走っているのだ。
 いや、それだけではない。
 泣いていたせいもあるだろう。感情が豊かすぎるから、誰かを裏切るとか、誰かを見捨てるとか、自分がそんな不義理なことをすると考えるだけで泣けてしまうらしい。
「ご相伴させていただきましょう」
 軽く一礼すると小姓が冬之助のもとに盃を持ってくる。
「わしが注いでやろう」
 小姓の手から瓢箪を受け取り、景虎が冬之助の盃に酒を注ぐ。
「畏れ入ります」
「最初の一杯だけだ。あとは勝手に飲むがいい」
 溜息をつきながら、景虎は自分の盃にも酒を注ぐ。
「どう転んでも、わしは恨まれてしまうな。武蔵を攻めるか、それとも越後に帰るか......」
「越後に帰るべきであろうと存じます」
 冬之助がはっきりと言う。
「それが、おまえの考えか?」
「越後は御屋形さまの故郷でございます。ご家族やお身内がたくさんおられます。代々、長尾家に仕えてきた者たちもおります。まず、彼らのことを第一に考えなければならぬのではないでしょうか」
「武蔵や上野の者たちは放っておいてよいのか?」
「武蔵は、岩付城と松山城以外は、もう北条に取り返されてしまいました」
「だからこそ、武蔵に攻め込んで小田原殿と決戦すべきではないのか?」
「向こうは決戦を避けるでしょう。御屋形さまが武蔵に行けば、また籠城するに違いありませぬ。北条と武田は盟約を結んで繋がっているのです。北信濃における武田の動きは小田原殿も承知しているでしょう。決戦を避け、時間をかければ、いずれ御屋形さまが越後に帰らざるを得ないと見越しているはずです。武蔵で無駄に時間を費やすくらいならば、越後に戻るべきかと存じます。帰国して、すぐさま北信濃に兵を出して武田を叩けば、年内にまた上野に戻ることも不可能ではありませぬ」
「ふうむ、帰国して北信濃に兵を出すか......。しかし、小田原殿と同じように、武田が決戦を避けたら、どうなるのだ?」
「そうなれば、武田に奪われた北信濃を取り返すことができましょう。元々、北信濃の豪族たちは長きにわたって武田に抵抗してきた者たちばかりです。武田が決戦を避けて籠城したりすれば、武田に苦しめられていた北信濃の豪族たちが一斉に立ち上がって武田を追い払おうとするでしょう。それ故、武田はわれらと決戦せざるを得ないはずです」
「なるほど、そういうことか。武蔵に行けば肩透かしを食う怖れがあるが、北信濃に行けば、武田と戦うことができるということだな?」
「そう思います」
 冬之助がうなずく。
「わかった。そうしよう。わしは越後に帰るぞ。そうと決まれば長居は無用。直ちに帰国の支度を命じよう」
 景虎は盃を置いて立ち上がると、足音高く部屋を出て行く。行動力の塊のような男なのである。

 六月二十八日、景虎は越後に帰国した。十ヶ月にも及ぶ、長い関東遠征であった。
 普通ならば、しばらく兵馬を休めようと考えるのだろうが、景虎に常識は通用しない。帰国してふた月も経たないうちに信濃に出陣した。

十九

 八月十四日、長尾軍が川中島に現れたという知らせが躑躅ヶ崎館の信玄に報じられた。
 予期していた信玄は、いつでも出陣できる態勢を整えていた。
 にもかかわらず、すぐに出陣しなかったのは、長尾軍の兵力に驚いたからである。一万八千だというのだ。これまでに景虎は武田軍と三度戦っているが、最も兵力が大きかったときでも、六千くらいのものだった。今回は、その三倍である。よほどの覚悟を決めて出陣してきたに違いなかった。
 当初、信玄は一万三千の兵力で出陣するつもりでいた。海津城に二千の兵がいるから、合流すれば一万五千になる。長尾軍の兵力を、せいぜい一万くらいであろうと見積もっていたので、十分優位に立てると考えていた。
 しかし、相手が一万八千では劣勢である。戦上手の景虎を相手にして兵力が劣っていたのでは勝負にならない。
 信玄は出陣を遅らせて、更に兵を集めることにしたのである。

二十

 これまでの景虎であれば、善光寺に本陣を置き、その周辺に兵を配置するはずだが、今回は善光寺に五千の兵を残すと、一万三千の本隊を率いて更に南下した。犀川を渡って八幡原を縦断し、千曲川の畔にある妻女山(さいじょさん)に布陣した。
 妻女山の頂上からは八幡原を一望できるだけでなく、遠く北信濃の山々まで見通すことができる。
 妻女山の東一里弱(三キロ)の場所に武田方の海津城があり、目のいい者が遠眼鏡を使えば、城の中にいる武田兵の顔形まで識別できるほどの近さだ。
 長尾軍は妻女山の頂上付近の樹木を払い、岩を掘り起こし、地面を削って平らにした。突貫工事で急拵えされた平地に景虎の本陣が置かれた。この平地は、後に陣馬平(じんばだいら)と呼ばれることになる。
 景虎は自分の考えを誰にも説明しないから、長尾軍の将兵は、なぜ、景虎が妻女山に布陣したのかわからなかった。
「海津城を落とすために決まっているではないか」
 と推測する者が多い。
 もっともな考えである。
 この二年ほどの間に北信濃における武田支配が急速に進んだのは海津城の存在が大きい。
 海津城に武田軍が常駐し、北信濃の豪族たちの動向に目を光らせ、未然に反乱の芽を摘むようになってから、武田支配に抵抗する豪族たちの勢いが目に見えて衰えた。
 その目障りな海津城を緒戦で血祭りに上げることができれば、長尾軍の士気も大いに揚がるであろう。
 しかし、景虎は一向に動こうとしない。
 そもそも海津城を攻めるのであれば、妻女山に登るのではなく、善光寺から一直線に海津城を目指すのが当然である。いずれ信玄が大軍を率いて駆けつけるのはわかっているのだから、その前に海津城を攻めるべきであろう。そうせずに妻女山に登ったということは、海津城を攻めるのが目的ではない、ということになる。
「いつも逃げ回っている信玄と今度こそ決着を付けるために、敢えて海津城に手を出さず、武田本隊の到着を待っているのではないか」
 という者もいる。
 まさか海津城を見捨てることはできないだろうから、必ずや信玄は八幡原に現れるであろう。それを景虎は待っている、というわけであった。
 説得力のある説明だが、そうだとすれば、やはり、誰にも説明できない疑問が残る。
 なぜ、妻女山に布陣したのか、ということである。
 信玄の到着を待つのであれば、善光寺でもいいはずである。
 いや、兵法の常識からすれば、そうしなければならないのだ。なぜなら、妻女山は千曲川の南岸にある。武田軍が八幡原に布陣すれば、長尾軍は退路を断たれてしまう。
 信玄が長尾軍を上回る兵力を率いてくれば、長尾軍も迂闊には動くことができなくなるし、万が一、武田軍に妻女山を包囲されてしまえば、やがて兵糧が尽きて自壊することになる。
 なぜ、みすみす自軍を危険な場所に導いたのか、結局、誰にもわからなかった。
 いや、そうではない。
 一人だけ見抜いている者がいる。
 冬之助だ。

「御屋形さま」
 冬之助が景虎に声をかける。
 陣馬平には饅頭形に小高く盛り土された場所があって、その上は畳一枚分ほど平らになっている。陣馬平そのものが見晴らしのいい場所だが、この盛り土の上に立つと、更に視界が広くなり、八幡原だけでなく、川中島全域を見渡すことができる。陣馬平に本陣を構えてから、景虎は暇があると、この盛り土に登っている。上がってこい、と手招きされて、冬之助も盛り土に登る。
「よい眺めだと思わぬか」
「はい。実に見事な眺めでございます」
「のどかよなあ。しかし、あと何日かすれば、この平穏な風景が血で染まることになる」
「では、いよいよ?」
「信玄が甲府を出た。しかし、信玄は臆病な男だな。今になっても兵を集め続けているらしい。ふふふっ、戦は兵の数だけで決まるわけではないのにのう」
「どのくらいの数でやって来るのでしょうか?」
「一万八千と聞いた」
「ほう、それはかなりの数でございますな。向こうも総出でやって来たということなのでしょうか」
「わしより兵が少ないのでは心配なのであろうよ」
「海津城の二千と合わせて、ざっと二万。武田が二万、こちらが一万八千、この狭い土地で、それほどの大軍がぶつかるとは......。すごい戦になりそうでございますな」
「なぜ、妻女山に登ったのかと皆が心配しているようだな」
「ずっと黙っているおつもりですか?」
「甲府に放っている忍びのおかげで信玄の動きがわかるように、わしの近くにも信玄の忍びが潜んでいるであろう。誰かに話せば、それが次から次へと伝わって、最後には信玄の耳に入る。それは避けたい。それに......」
 景虎が冬之助を見て、にやりと笑う。
「何も話さなくても、わしの考えを承知している者もいる。そうだな、冬之助?」
「自分なりにいろいろ考えてはおりますが、それが当たっているかどうか......」
「ならば、訊ねよう。やがて、信玄が川中島に現れるだろうが、どこに布陣すると思う?」
「相手が信玄でなければ、敵の布陣する場所はひとつしかありませぬ」
「あそこか」
 景虎が顎をしゃくる。八幡原の南、千曲川の北岸付近である。千曲川を挟んで、妻女山の長尾軍と対峙することになる。
「あそこに布陣すれば、われらは敵陣を突破しない限り、善光寺に戻ることができなくなってしまいます。敵が一万八千、こちらが一万三千なのですから、敵が有利に決まっています。しかも、戦いが始まれば、われらは海津城の敵に脇腹を攻められることを覚悟しなければなりません。善光寺に五千の味方がいるとはいえ、ここに駆けつけるのに二刻(四時間)はかかるでしょうから、その間に合戦は終わってしまいます」
「悪くない見通しだな。わしが信玄ならば、きっと、そうする。おまえでもそうするだろう」
「いくらかでも戦のわかる者であれば、そうするでしょう」
「しかし、信玄は違う。そうだな?」
「少しくらい自分が有利であっても、信玄は決して無理をしません。すでに北信濃を支配しているわけですから尚更です。できるだけ戦を避けて時間を稼ぎ、冬になるのを待とうとするはずです。決戦などしなくても、われらが越後に引き揚げれば、信玄は満足するでしょう。とすれば......」
 冬之助は目を細めて八幡原のずっと北に目を凝らし、
「用心深く旭山か葛山あたりに布陣するのではないでしょうか。しかし、善光寺には五千の敵軍がいるわけですから、万が一にも戦にならぬように、もう少し離れた茶臼山(ちゃうすやま)あたりに布陣するかもしれませぬな。茶臼山であれば、犀川のこちら側とはいえ、われらが善光寺に引き揚げるのを妨げることにはなりませぬ」
「何としてでも、わしとは戦わずにすませたいということだな」
「それが信玄の考えであろうと思われます」
「最初から、こっちが不利だな。向こうは冬を待つだけでいいが、わしらは違う。決戦することなく越後に帰国するのは、信玄に負けたのと同じことだ。それ故、何としてでも信玄を八幡原に引きずり出さねばならぬ」
「海津城を餌になさるおつもりですね?」
「信玄がまたもや逃げ回るのであれば、信玄の目の前で海津城を焼き払い、二千の武田兵を皆殺しにしてやる。千曲川沿いに杭を立てて、そこに武田兵を磔(はりつけ)にしてもいい。それでも信玄が出てこないのであれば、もはや打つ手はない。負けを認めて越後に帰ろう」
「今度ばかりは信玄はのんびり冬の訪れを待っているわけにはいかないわけですね。なぜなら、冬が来る前に海津城が焼き払われてしまうわけですから。二千の武田兵を見殺しにするか、それとも、われらと八幡原で決戦するか、ふたつにひとつ、どちらかを選ばなければならない」
「そういうことだ」
 景虎がうなずく。
「信玄が来る前に海津城を攻め落としてしまったのでは、信玄は甲府に引き揚げてしまう。あの城があるおかげで、今度こそ信玄と雌雄を決することができる。それが今までとは違うところだ」
「はい」
 景虎と冬之助は海津城に目を向ける。ちょうど食事時なのか、いく筋もの炊煙が立ち上がっている。その周りを多くの武田兵が忙しげに歩き回っているのが見える。

二十一

 八月二十四日、一万八千の武田軍が川中島に現れ、妻女山の西北にある茶臼山に布陣した。あくまでも長尾軍との決戦を回避しようとする信玄の意図が明らかになったと言っていい。
 信玄の目論見では、武田本隊が川中島に到着すれば、長尾景虎は妻女山を下りて善光寺に退却するはずだった。
 ところが長尾軍は動かない。依然として妻女山に留まり続けている。
「どう思う、勘助? なぜ、長尾は動かぬのだ」
「御屋形さまが八幡原に出てくるのを待っているのだと思います。恐ろしいほどに頑固ですな」
「わしが出て行かねば、どうなる?」
「海津城を攻めるでしょう」
「海津城か......」
 茶臼山の本陣から眺めると、海津城は妻女山の左手に見える。まるで隣り合っているように見える。それほどの至近距離なのだ。
「あの城を築いたおかげで、わしは北信濃を手に入れた。その城が今ではわしの心を惑わせる」
「長尾景虎にも、それがわかっているのです。海津城を人質に取られたようなものです」
「長尾景虎が妻女山を下って海津城に向かってきたら、戦わずにさっさと逃げろと命ずることもできる。それで二千の城兵は助かる」
「御屋形さまも八幡原で決戦しなくても済みます。長尾景虎は、さぞ悔しがることでございましょう」
「十三年だ......」
 信玄がぽつりとつぶやく。
「上田原で村上義清に敗れてから、ということでございますな?」
「あの敗北ですべてを失った。佐久も諏訪も敵軍に蹂躙された。それから川中島を制するまで十三年かかった。海津城を長尾に渡せば、その十三年が無駄になる。また、すべてを失うことになる」
「......」
 四郎左には信玄の言いたいことがよくわかる。
 長尾軍が海津城に常駐するようになれば、いずれ川中島を奪われるであろう。それは武田氏による北信濃支配の崩壊を意味する。長尾の影響力が北信濃から埴科(はにしな)郡や更科郡、北安曇郡に波及すれば、信濃全域の支配体制まで揺るぎかねない。海津城を失うことには、ひとつの城を失うという以上の重要な意味があるのだ。
「茶臼山を下りるのならば、長尾景虎が望んでいるように八幡原に布陣するのではなく、海津城に入ってはどうでしょうか? そうすれば、決戦を避けることもでき、海津城を守ることもできましょう」
「だが、二万だぞ」
 五千人くらいならば何とか収容できるだろうが、さすがに二万人が入るには狭すぎる。
「かなり狭苦しい暮らしになるでしょうが、そう長くなければ耐えられましょう」
「敵の策に乗せられて八幡原に布陣するより、ましかな。長尾景虎を悔しがらせてやろう」

 八月二十九日、信玄は茶臼山を下り、八幡原を横切って海津城に向かった。右手に妻女山を眺めながら、悠々と行軍した。馬の背で揺られながら、何度も妻女山を見上げる。すぐ後ろを、四郎左がついていく。
(む?)
 信玄の目が一点を凝視する。無数の長尾の旗が揺れる中に、墨染めの衣をまとった沙門の姿が見える。小高く盛り上がった場所に立っているので目についた。頭を白い袈裟で包んでいるから余計に目立つ。
(景虎ではないのか)
 信玄がハッとする。
 手綱を引いて馬を止め、その沙門を凝視する。
 沙門が右手を挙げ、大きく左右に振る。まるで信玄に挨拶しているかのようだ。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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