北条氏康 関東争乱篇第五回
十
北条、今川、武田の三国同盟は、まだ正式には成立していないものの、結婚に関する誓約書は取り交わされているから、事実上、同盟が成立したようなものであり、この三家が互いに敵対行動をとることはなくなった。
同盟の成立は、背後を脅かされる心配をせずに、三家が本来の目的に向かって全力を傾けることが可能になったことを意味する。
山内(やまのうち)憲政(のりまさ)を越後に追い出し、上野を手に入れた氏康(うじやす)の目は房総半島に向けられた。
房総半島には、下総、上総、安房の三国がある。
そのうち、すでに下総を征し、上総も半分くらいは支配している。そこで足踏みしているのは、安房を本拠とする里見氏が手強いからである。
三国同盟の成立を機に、氏康は本腰を入れて里見氏を討伐する覚悟を決めた。
天文二十二年(一五五三)四月、氏康は下総から南下し、同時に綱成が海を渡って、安房に上陸した。
七月十三日には、氏康と綱成が合流し、上総の金谷(かなや)城を攻撃した。房総と相模を結ぶ航路の起点で、海上交通の要衝である。金谷を押さえれば、江戸湾を支配することができるのだ。新たに獲得した土地はそれほど大きくはないが、交易によって得られる利益は莫大である。
今川や武田と手を結んだ成果が、これほど早く、しかも、これほど大きなものになったことを氏康は大いに喜んだ。
今川も、尾張の織田信秀との戦いに苦労しながらも、少しずつ支配地を拡大しているから、やはり、三国同盟の恩恵を受けている。
十一
この年、三家の中で、最も躍進したのは、何と言っても武田である。信濃攻略が最終段階に入ったのだ。それは必ずしも三国同盟のおかげではなかったが、晴信(はるのぶ)の頭の中には、すでに信濃を征した後の青写真ができあがっており、その段階に至れば、三国同盟が大きな役割を果たしてくれるはずであった。
四月、晴信は信濃攻略の最大の障害となっていた村上義清の本拠・葛尾(かつらお)城を落とすことに成功した。
慌てたのは北信濃の豪族たちである。次は自分たちが武田に攻められるとわかっているからだ。
北信濃の豪族たちのまとめ役である高梨政頼は村上義清と不仲だったが、それまでの諍いを水に流して手を組んだ。これに力を得た村上義清は、葛尾城の奪還に成功した。
(どうやら決着を付けるときが来たようだ)
そう判断した晴信は、自ら大軍を率いて葛尾城に向かった。
籠城しても勝ち目はないと考えた村上義清は、得意の野戦に勝機を見出そうとした。脳裏には、五年前、上田原(うえだはら)で武田軍を壊滅寸前に追い込んだ記憶がある。同じことをしてやろうという目論見である。
五月七日、両軍は桔梗原(ききょうがはら)で激突した。
夜明けと共に始まった戦いは、昼過ぎには呆気なく終わった。武田軍の勝利である。
上田原で敗れたとき、武田軍には傲(おご)りがあった。
総大将の晴信が慢心していた。傲りと慢心が敗北という形で現れた。
今の晴信は、そうではない。
この五年で変わったのだ。
常にそば近くにいる四郎左(しろうざ)が誰よりも、よく知っている。偏屈者だから、口に出して晴信を誉めたりはしないが、心の中では、
(御屋形さまは大きくなられた)
と感心している。
七月二十五日、晴信は一万の大軍を率いて甲府を出陣し、佐久郡に向かった。村上義清に止(とど)めを刺すためである。
桔梗原の合戦のとき、村上義清は五千の兵を率いていたが、今では動員力も三千程度に落ち込み、しかも、日毎に減っている。武田の大軍に怖れをなして、村上方の豪族たちが次々と離脱しているのだ。
(戦にはなるまい)
晴信は楽観している。
村上義清の陣営に残っている豪族たちの中には武田に内通を約束している者が多く、彼らは合戦が始まったら一斉に裏切ることになっている。
村上義清も、周囲に渦巻く不穏な空気を感じないはずがなく、そんな空気を察知すれば、いつ裏切るかわからない豪族たちを率いて晴信と決戦しようとは思わないはずであった。どこかで見切りを付けて逃走を図るに違いない。
(それで信濃が手に入るのだ)
先代・信虎(のぶとら)の時代から長い歳月と多大な労力をかけて続けてきた信濃征服が最終段階に入ったことを晴信は実感する。
長窪城に入った晴信は、和田城、高鳥(たかとり)城、内村城を簡単に攻め落とした。
それでも塩田(しおだ)城に拠る村上義清は動かなかった。
いや、動くことができなかった。
八月五日、晴信は塩田城に攻め寄せた。
晴信が想像したように、戦にはならなかった。
武田に内通する豪族たちが城を開いたのだ。
村上義清は、武田軍に城を包囲されないうちに、一族郎党を率いて城を出た。兵力が少ない上に、豪族たちを信じることもできないので、武田軍と戦うことを諦めたのである。
晴信は佐久郡、埴科(はにしな)郡、小県(ちいさがた)郡から村上義清を中心とする反武田勢力を駆逐することに成功した。信濃の九割を征したと言っていい。
残るのは北信濃だけである。
北信濃には中小の豪族が乱立しているだけなので、武田の大軍を目の当たりにすれば、戦うことなく降伏するだろうというのが晴信の見通しである。
ここで言う北信濃とは善光寺平(ぜんこうじだいら)を中心とする盆地を指す。
善光寺平の南には千曲(ちくま)川と犀(さい)川が合流して形成する三角地帯があり、よく肥えた土壌と豊かな水資源の恩恵を受けた米作地になっている。二毛作によって麦も生産されているし、ふたつの川からは、いくらでも魚が獲れる。
経済的な価値が高いだけでなく、高井郡、水内(みのち)郡、埴科郡、更科(さらしな)郡という四郡にまたがる交通の要衝であり、ここを押さえてしまえば、越後、上野、甲斐の三国に容易に進出することができる。
古来、この肥沃な三角地帯を、土地の者たちは「川中島」と呼ぶ。
Synopsisあらすじ
一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。
〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
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